連載:一流アスリートもみんな最初は「ルーキー」だった
五郎丸歩インタビュー(後編)
◆五郎丸歩・前編>>私生活でも「すれ違う奴ら、全員倒してやる」
◆五郎丸歩・中編>>大先輩のレジェンドに「大畑!下がれ!」と呼び捨て
早稲田大では全国大学選手権、そしてヤマハ発動機ジュビロ(現・静岡ブルーレヴズ)では日本選手権を制した名フルバック──五郎丸歩。日本代表の15番として臨んだ2015年のラグビーワールドカップでは、そのキャリアの集大成とも言える出色のパフォーマンスを見せた。
初戦の南アフリカ戦では1トライを含む24得点で歴史的逆転勝利に大きく貢献し、同じく勝利を収めたサモア戦、アメリカ戦ではマン・オブ・ザ・マッチに選出。唯一敗れたスコットランド戦でも前半終了間際に世界を驚かせたトライセービングタックルを決めるなど、全試合で世界レベルのプレーを見せた。
3勝した日本代表は勝ち点で南アフリカとスコットランドに及ばず、惜しくも初の決勝トーナメント進出を逃して涙を飲んだ。だが、五郎丸は大会のドリームチーム(ベストフィフティーン)に選ばれ、世界最高のフルバックの称号を手にする。
五郎丸歩氏に大ブームとなった「五郎丸ポーズ」についても聞いたphoto by Yuka Shiga
日本では空前のラグビーブームが巻き起こり、その報道の中心には常に「五郎丸」の名前があった。早稲田大で大型ルーキーとして名を馳せた当時と比べても段違いの注目を浴び、国民的なスター選手となっていった。
だが、五郎丸はある違和感を覚えていた。
「それまでは『佐賀工業の五郎丸』『早稲田の五郎丸』と報じられてきたのが、2015年のラグビーワールドカップを機に『ラグビーといえば五郎丸』と、ラグビー界全体の顔みたいな扱いになっていました。
でも、あれは断じて自分だけで成し遂げたことではなく、当時のメンバーや選ばれなかった選手、それまでの日本代表のみなさん、いろいろな方々の力があったから、あの結果が出たわけです。にもかかわらず『なぜ自分にばかりスポットが当たるのか』と疑問に思っていました。
また、キック時の(ルーティンの一部である)ポーズが過剰に注目されてしまい、『もっとラグビー自体のよさにフォーカスを当ててほしいのに......』という歯がゆさがありました」
【最初は誰しも真似から入る】ラグビーが日本中を席巻した2015年の新語・流行語大賞は、事前にノミネートされていた「五郎丸ポーズ」が年間大賞に内定していたという。
「主催者から『大賞に決まったから授賞式に出席してほしい』と声がかかったのですが、出席しないと大賞にはならないということでした。ですが、やはり『ひとりで成し遂げたわけじゃない』という思いが強かったですし、そもそもトップリーグのシーズン真っ最中だったので『行けません』と返事をしました(最終的には別の候補が年間大賞となる)。
また、ワールドラグビーからも『表彰式に来てくれ』と声がかかりました。もちろんうれしかったのですが、やはりチーム(ヤマハ発動機ジュビロ)ファーストと考えていたので、公式戦出場を優先しました」
日本代表がラグビーワールドカップでの戦いを終えてから、わずか1カ月。トップリーグ開幕というタイトなスケジュールも影響し、五郎丸は12月の新語・流行語大賞の授賞式に出席できなかった。それは紛れもない事実だが「あくまでも全員でつかみ取った3勝である」という五郎丸の信念が揺るがなかったことも、また事実である。
ラグビーは15人対15人で行なわれる極めて高度なチームスポーツだ。自分ひとりだけがまるで「ラグビーのアイコン」のように扱われてしまうのは、長年ラグビーとともに生きてきた五郎丸の価値観とは相容れないものだった。
「ただ、『野球といえば誰をイメージするか』と考えた時にイチローさんが浮かぶように、イチローさんの動作がよく真似をされていましたよね。それを思い出して『ああ、最初は誰しも真似から入るよな』と考えるようになったんです。
であれば、『自分を切り口にしてラグビーの本質的な部分を伝えていくことができれば、もっともっとラグビーのよさが広がっていくんじゃないか』という発想の転換ができたんです。それからは気持ちが一気に和らぎました」
【『ONE TEAM』が社会的なブーム】五郎丸は、続けて語る。
「多くの方から『サイン書いて!』とか『一緒に写真を撮って!』と頼まれるのが、最初は本当に苦手でした。ですが、その発想の転換ができてからは、『自分が対応することによって、ラグビーファンが増えていくかもしれない』と思えるようになりました。
また、当初は『自分がラグビー界全体の顔になってしまった』という思いがあったので、下手にサインや写真を断ってしまうと、『ラグビー界全体のイメージが悪くなる』と責任を背負い込んでいました。でも、その発想の転換を境に対応できない時は、『ごめんなさい。ちょっと勘弁してください』と断る選択ができるようになり、精神的にすごくラクになりました」
五郎丸がイチローをヒントに発想を転換し、積極的にラグビーのPRを進めるようになったことは、その後の普及・育成に少なからず影響したことだろう。ワールドカップ翌年の2016年からオーストラリア(スーパーラグビー)、フランス(TOP14)と海外でのラグビー生活が続いたものの、五郎丸は間断なく日本のラグビー人気の向上に貢献し続けた。
「自分が(ラグビーの魅力を)発言することによって世間にラグビーの要素が少しずつ広がっていき、2019年に日本で初開催されたラグビーワールドカップでは『ONE TEAM』が社会的なブームになりました。
日本代表も4年かけてすばらしい結果(初の決勝トーナメント進出)を残してくれましたし、外国出身選手も含めていろいろな人たちにフォーカスが当たるようになったので、微力ながらラグビー界の力になれたのかなと感じました」
日本代表のルーキーイヤーに当たる19歳当時、五郎丸は「代表になかなかコミットできなかった」という。だが、経験と年輪を重ねたことで自らがラグビーのアイコンになることを受け入れ、現役生活を継続しつつメディア出演などを通じて競技の本質を地道に浸透させていった。
「ONE TEAM」は2019年の新語・流行語大賞の年間大賞に選ばれた。4年前の幻の大賞「五郎丸ポーズ」とは完全に対極にある、ラグビーの本質をひと言で示した真の流行語と言えよう。
【リーチが引退するまでには......】現在は地域振興などラグビー以外の活動にも力を入れている五郎丸だが、代表OBとしてラグビー界で成し遂げたいことがある。
「2015年当時からずっと考えていることですが、今まで日本代表を背負って戦ってきた選手の功績を称える場が、日本にはないんです。これは大きな問題だと思っています。ラグビーワールドカップ2035年大会の日本招致が始まっていますが、それよりも先に歴戦の日本代表メンバーに報いる場を作るべきだと考えています。
2019年の日本大会ですばらしい結果を残し、今シーズンで引退する中村亮土や流大(東京サントリーサンゴリアス)、ツイ ヘンドリック(浦安D-Rocks)、ピーター"ラピース"ラブスカフニ(クボタスピアーズ船橋・東京ベイ)など、代表を背負いながらラグビーを世に広めた人たちを称える場を作らなければなりません。
そうすることによって、次世代の子どもたちが『自分も代表になりたい』と志すようになると、海外を経験したなかで感じます。リーチ マイケル(東芝ブレイブルーパス東京)が引退するころまでには、ぜひ実現したいと思っています」
五郎丸が大活躍した2015年のラグビーワールドカップを記憶しているという彼の長男は、高校ラグビーの名門校で今春ルーキーイヤーを迎えた。もちろん愛息に限らず、全国の多くの子どもたちにラグビーに触れる機会をもたらし続けるとともに、日本ラグビーの功労者を称えることで競技の普及育成を促していきたい考えだ。
不器用かつ強がりで、自分を表現するのが苦手だったという、かつての五郎丸歩の姿はすでにない。不惑を迎え、知見を蓄えた、日本で最も有名なラグビーの伝道師は、これからも幅広い分野でラグビー界を支えていくことになるだろう。
(了/文中敬称略)
【profile】
五郎丸歩(ごろうまる・あゆむ)
1986年3月1日生まれ、福岡県福岡市出身。現役時代はフルバック。3歳でラグビーを始める。佐賀工業高では全国高校ラグビーに出場し、早稲田大では全国大学選手権を3度制覇。19歳で日本代表に初キャップ。通算57キャップ。トップリーグではヤマハ発動機ジュビロで5度のベストフィフティーン、3度の得点王に輝き、通算1282得点は歴代1位。2014年度は日本選手権初優勝に貢献。2015年ラグビーワールドカップに出場し、南アフリカ戦の歴史的勝利をはじめとする3勝の立役者となる。2021年の現役引退後は静岡ブルーレヴズのCROとしてクラブ経営に尽力し、現在は一般社団法人Future Innovation Labの共同発起人として地域振興などにも注力するなど、さまざまな活動を展開。
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