第79回カンヌ国際映画祭の「カンヌプレミア」部門で披露された黒沢清監督、初の時代劇が、米澤穂信による同名のミステリー小説を映画化した「黒牢城」(こくろうじょう/6月19日全国公開)だ。もっとも、本作はいわゆる時代劇からイメージするような派手な戦場シーンも、チャンバラもない。舞台はほぼ城の中。織田信長に反旗を翻した武将、荒木村重(本木雅弘)が籠城中に城内で殺人が起こり、それを機に不可解な事柄が続く。一体城内で何が起きていたのか、という謎に迫る物語である。
この型破りな時代劇において、名匠黒沢監督が目指したものは何か。カンヌで話を訊いた。(取材・文/佐藤久理子)
―― 黒沢監督は以前から時代劇をお撮りになりたかったそうですね。時代劇と言ってもいろいろありますが、具体的にどういった系統の時代劇というイメージをお持ちだったのでしょうか。
正確に言いますと、もちろんジャンルとして興味があったんですが、その場合僕が思い描くのはいわゆるチャンバラだったんです。 チャンバラをやりたいという非常に素朴な欲望がずっとありました。で、今回米澤さんの原作を映画化しませんかというお話を頂いて喜んだのですが、いわゆるチャンバラとは全然違うんですね(笑)。戦国時代でありながら、ほとんどの物語が城や屋敷の中だけで進むセリフ劇で、 全然チャンバラじゃないんだ、というので最初はやや戸惑いました。それでも、僕が思うに1950年代ぐらいに全盛期を迎えていたある種の時代劇の様式、大体スタンダードサイズで白黒画面で、どこか薄汚い武将髭を生やして、きゅっと古臭いちょんまげ姿の侍が居るというものに、さすがに白黒スタンダードというわけにはいかなかったですが、それに近いスタイルを持ったものを、と思いながら作りました。ただストーリーに関しては、もちろん原作もあり、実在する荒木村重という武将の話がベースになっているわけですが、いわゆる古風な侍の映画とはまったく違うものにしたいという欲望がありました。
――主人公、荒木村重の物語のどんな点に強く惹かれたのですか。
村重に関しては、じつは以前から興味があったんです。そんなに有名な人ではないですが、それでも一部ではよく知られている。信長を裏切って牢城したけれども、信長に城を取り囲まれたら、城の者たちをみんな残してひとりで逃げていった、本当に卑怯な、武士の風上にもおけぬ男ということで有名なんですけれども、僕は基本的にそういう人が好きなんです。侍とか武士道といったものとまったく反する動きをする、一種の自由人のような人が好きなんですが、頂いた原作がまさに彼が10カ月の牢城で最後にひとりで逃げていく、どうして城を去るに至ったかという、歴史的には謎とされているんですが、そこが結構細かく書かれている。なるほど、こういう経緯があって、といってももちろんフィクションですけれども、このようにして彼は最後城を出ていくのか、と非常に腑に落ちたんです。
――その荒木村重像ですが、映画ですと自由人という以上に、援軍を待っているという状況はあるとしてもなるべく戦いたくない、争いを嫌う者として描かれています。そこに託した黒沢監督ご自身の思いはどのようなものだったのでしょうか。
これは原作にも書かれているのですが、村重の妻である千代保の、「進めば極楽、退けば地獄という言葉は偽りだ、退いた者にも極楽はあるぞ」というセリフがあって、これは非常に仏教的な言葉ですし、この言葉そのものを現代に置き換えるというのはちょっと難しいのかもしれませんが、そこには現代にも通じる一つの真実があって、村重はまさにそれに従った男なんだなと理解したんです。生きていればやはりいろいろなことに囚われるじゃないですか。
現代に置き換えてわかりやすく言うと、 例えばお金儲けとか権力欲とかですね、それを追及しない者は社会的に失格、つまり地獄で、追及した者だけに極楽がある。まあそこまで極端ではないにせよ、それだけが価値観というか。あるいは、今の権力者の方々が何を考えているのか知りませんが、沽券に関わるとか、プライドとか、弱みを見せてはいけないとか、いろいろな理屈でいがみ合っていて、そうでないものの価値観を一切認めない。経済的に意味のないものは何の価値も生まない、そういう世界観から抜け出したいなと、実は多くの人が心の奥底では感じているのではないでしょうか。
何の価値もないように見えても、自分はこれが好きだとか、こっちが気持ちよいとか、感情としてそちら側が自然だという方向に進んでいけたらどんなにいいだろうと、僕自身も思うわけです。村重はあの時代、あんなにいろいろな古臭い価値観が周りにがっちりある中で、そこからふわっと抜け出ようとした人なのかなあと。あとからどんなに卑怯者とか、裏切り者とか言われようとも、そんなことしたら地獄に落ちるぞと言われようとも、自分に素直に進んでいった人なのだろうというところが、彼の最大の魅力だと思っています。
――映画を観ると、まさにいまの日本の状況とマッチしていると言いますか、つまり一般市民は戦いたくない、戦争に巻き込まれたくない、といった状況のもとにいろいろと議論があるわけですが、本作を作るにおいて、たとえ直接的なメッセージではないにしても、世の中の情勢をどのくらい意識されていましたか。
これがなんと言いますか、今回に限らないですが、最初から現代社会とかいまの日本が置かれている状況とかを強く意識して映画を作り始めるということはなく、たとえば面白い原作があったり、ジャンルの要請があったり、まったく異なるところから映画を作ろうという動きが始まるわけです。とはいえ脚本を書いたり細かいセリフができてきたり、俳優がそれを口に出して言ったりと、ひとつひとつが具体的になっていくと、不思議なものですよね、僕自身も現代に生きている人間なので、メッセージを込めようとは思っていなくても、知らず知らず自分がいま漠然と考えている社会や日本についての、といっても僕は政治家でも思想家でもないので、それは大した考えではないですが、やはりどこかにそれは必ず反映してくるのです。俳優たちも、僕は一言も言っていないのに、それをなんとなく察して自分の演技に取り入れたりしている。それが言いたくて作ったというわけではないにしても、出来上がったものを観るとおっしゃる通り、現代の何かに明らかに通じるものがあったことがわかるのです。
――今回のようにセリフが多く、また室内のシーンが多い時代劇において、映像を組み立てていく上でこだわられたのは、どのようなことでしたか。
古い時代劇、たとえば黒澤明の「蜘蛛巣城」(1957)などを観ますと、 あの頃の上下関係、いわば主従関係が目に見える形ではっきりしているんですね。偉い人は立っていて、目下の者は跪いて何か言う、つまり跪く人と立っている人が同時にいる。それをどう撮るのか。これは高低差が激しいので、じつはすごく撮りづらいんです。それを黒澤明や、溝口健二もそうですけれど、うしろの建造物の様子も含めて、少し上からなんですけども実にうまく撮っている。二人の、あるいは集団の上下関係が自然に画面に収まるようになっている。それを撮影監督の佐々木靖之さんといろいろと研究しました。
たとえば跪いていたものが急に立ち上がるといった高低差がある動きの芝居が複雑に絡み合う場合、カメラをどこに置けばいいのか。付け加えると、やっぱりこれはスタンダードサイズならではなんですね。今回はヨーロッパVistaという、もう少し横長のサイズになったんですけど、これが60年代以降、シネマスコープになってくると高低差の表現は非常に厳しくなります。今回はやはり50年代の古典を狙ったので、シネマスコープじゃない、基本的には少し上から見た構図で撮っていくことを意識しました。
――原作はミステリーとしての面白さがあり、村重により囚われの身となった官兵衛(菅田将暉)が、村重の要望で謎解きをしていく部分が核にあります。この面白さを映像に移し替える上で苦心された点はありましたか。
謎解きは本当に難しいと言いますか、僕はこれまでミステリー要素があるものはいくつかやってきましたが、完全なミステリーをやったことはないんです。で、それの難しさというか特徴は、 もう起こってしまったことを、こんな犯罪があったのだと説明する、たとえば探偵が説明するとか、犯人はお前だとか、こういう手口だったなどと語る。映画の場合ともすると、全てをセリフで説明するのはわかりづらい、あるいは面倒だということから、過去の犯罪が行われる瞬間をフラッシュバックを使って表現することはままあるんですが、今回は一切それをやめました。
というのは、もちろんミステリーという形式をとっていますから、どんな事件が起こって、どんな謎が解かれるかというのは重要なんですが、僕はそれよりも、荒木村重という主人公が、黒田官兵衛といろいろ話しているうち、最終的にやはり城を出ていく、これは歴史的事実ですが、どうしてそこに至ったのかという彼の変化、彼が城の中で何をしようとしていたのかということこそが重要だと思いました。謎解きもフラッシュバックでこんな事が起こりましたと説明するより、村重が一生懸命言葉で語り、部下たちが最初は半信半疑で、「いや殿、それはおかしい」などと言いながら、 だんだんなるほどと、村重が何とか部下たちの心をつなぎ止めようとする、その逡巡する彼の姿こそ描くべきであると考え、あえてフラッシュバックは使いませんでした。
――素晴らしいアンサンブル・キャストに魅せられますが、ここでは3人の方に絞ってお訊きしたいと思います。 まずは先ほどおっしゃっていたような自由人、村重に本木さんを選ばれた理由を教えてください。
戦国武将という特殊なキャラクターで、 これもすごく最初は悩んだんですが、 もちろん年齢的要素もありながら、いかにも戦国武将っぽい、なんとなく不精ひげが似合いそうな人というのがまずあったんですけど、村重はその中で、見た目はなんだか荒々しいようで、同時に繊細で自由な考えを持った人で、モダンなクールな面もある。野生と知性どっちもいける人って誰なんだろうと考えて、自然に本木さんに行き着きました。本木さんに髭を生やして薄汚くするのを嫌だと言われたらまずいなと思ったんですけど、ご本人はそれを非常に喜んでやってもらえたのでよかったです。モダンなところとワイルドなところの両方の魅力ということでお願いしました。
――黒田官兵衛役の菅田将暉さんとは、「Cloud クラウド」に続き今回が二度目ですね。
はい、それで官兵衛はもう菅田さん以外いないと思いました。彼は本当に演技が上手いのと、「Cloud クラウド」の時もそうだったんですが、何者だかよくわからないキャラクター、いい人のようで悪い人のようで、何か企んでいそうで純朴なようで、どっちなの?というのがわからないまま進んでいく演技が抜群なのです。何者か正体不明の男、悪魔のようにも見えるけど、すごく従順なようにも見えるという。しかもまだ30代そこそこという年齢で。もう菅田さんしかいないと思っていました。
――村重の妻、千代保役の吉高由里子さんとは初めてのタッグですが、どんな要素が千代保に適していると思われたのでしょうか。
吉高さんは2年前ですか、NHKの大河ドラマで「光る君へ」という紫式部の役を吉高さんが演じたものを、いたく感激して見ておりました。まず見た目から来るものですが、とても古風な、典型的な昔の日本人風に見える。けれども、紫式部の役がそうだったんですが、すごくインテリジェンスがあるんです。ただ主人に従順というだけじゃなくて、ちゃんと自分の意見を持っているけれども声高にそれを主張したりはしない、そこは古風ですが紫式部がまさにそんな感じだったので、今回のような難しい役柄にぴったりかと思いました。長いセリフが沢山ありましたけれど、吉高さんもとても上手い方でした。今回は初めて組む方も多かったですが、俳優さんたちには本当に恵まれていたと思います。
――最後に、黒沢監督は70歳を迎えられて、ここに来て念願の時代劇を撮ることを達成されたわけですが、今後70歳からの黒沢監督の新時代は、どのようなものになるでしょうか。
いや〜どうですかね、あんまり先のことを考えていないんですよね、出たとこ勝負で今まで来ましたので 。次こうして、ああしてというプランは何も立っていません。だからひょっとしたら「黒牢城」が遺作になるかもしれないんですが(笑)、また低予算のジャンル映画のようなものをやるかもしれませんし、今までやったこともないような何か新しいものをひょいとやるかもしれません 。まったく決めていないというのが、僕の70歳以降の展望です。
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黒牢城
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