55億円という巨額の詐欺を現実にした、積水ハウスの地面師たち。Netflixのドラマが大きな話題を呼んだが、犯人たちのリアルな素顔を追ったひとりの女性記者がいる。河合桃子氏だ。総勢17人が逮捕されたこの事件で、実行犯のひとり「連絡役」を中心に、時に対面で、時に獄中の主犯格への手紙を通して、約2年にわたり取材を重ねて書き上げた『地面師連絡役カトウ』は、小学館ノンフィクション大賞を受賞した意欲作だ。刊行を記念して、河合氏による特別寄稿を掲載する。
55億円詐取直後の記憶。報酬は2億
白い紙の手提げ袋をふたつ提げた中年男が、都営新宿線・森下駅近くの交差点でタクシーを拾おうとしていた。袋の中身は、積水ハウスから騙し取った55億円のうちの2億円。1000万円の束が透明なビニールで横二列にパッキングされた、むき出しの“ゲンナマ”だ。すれ違う通行人に覗かれれば一巻の終わり。男はソワソワと落ち着かなかった。
「もう家には帰れない」
そう思いながら男はタクシーで新宿へ向かい、憧れだったパークハイアット東京に逃げ込んだ。だが部屋で札束を眺めるうち、込み上げたのは喜びではなく、自分自身への怒りだった。「ちくしょう!」と叫び、札束をベッドに投げつける。
これが、私が2年ほど向き合った男――2017年の積水ハウス地面師詐欺で「連絡役」を担った、カトウ(仮名)である。
綾野剛が演じた交渉役の〝素顔〟
初めて会ったカトウは、巨額詐欺の実行犯にはおよそ見えないごく普通の中年男だった。身長170センチほどのガッシリした体型に、下がり眉の人の良さそうな顔。逮捕されたのは総勢17人。起訴・服役した10人のなかで唯一、自ら警察に出頭した男だ。
取り調べで、刑事に開口一番こう尋ねたという。
「この事件で、死人は出ていませんか」
被害に耐えかねた積水社員が自殺していたら――そう思うと怖かったのだという。
「俺は結婚もしてないし、子供もいない。守るものがないから、犯罪に身を沈めてしまった」
巨額詐欺の犯人とは思えない、奇妙な良心と小者ぶり。私はこの男から目が離せなくなった。
実際の犯行は「拍子抜けするほどテキトー」
カトウが関わった事件は、2024年に配信され大ヒットしたNetflixドラマ『地面師たち』のモデルである。彼自身は、綾野剛が演じた交渉役の「半分の役割」を担ったと語る。
だが、ドラマと現実は驚くほど違った。劇中では口封じの殺人まで描かれるが、実際の犯行は淡々として、拍子抜けするほどテキトーだったのだ。地主になりすます“役者”の「面接」は、履歴書もなく、メモ書きした個人情報を暗記させるだけ。連れてこられた女性は髪もボサボサで、とても資産家の地主には見えなかった。偽造の権利証は、道具屋によって紅茶でシミをつけて古紙に見せかけた手製の代物。しかも1か所だけ新字体の漢字に書き間違えのような箇所もあったーー。
カトウ自身の役回りも、華やかとは程遠かった。
「役者を商談に連れて行って、外でただ取引が終わるのを待つだけ。稼働は多いのに、待ち時間が長い。よく喫煙スペースやレンタルビデオ屋で暇つぶししてた」
出番の多くは“待機”だったと、カトウは苦笑する。こうも言った。
「結局、みんなただ金が欲しいだけ。手に入れても湯水のように使う。派手に見えて、中身は空っぽなんですよ」
では、ごく普通の男がなぜ転落したのか。
カトウは元・野球少年だ。四番・キャッチャーでキャプテンを務め、名門大学野球部に推薦で進む。だが「これは俺じゃ、ついていけねえ」とレベルの違いに挫折し、肩も壊してあっさり中退した。
「早く社会に出て金を稼ぎたい。なんでもいいから社長になりたい」。
そんな彼が憧れたのが、独身で自由に遊び、高級車を乗り回す不動産ブローカーたちだった。
「世話になってた不動産会社の社長に頼まれて、資産家のおばさんから俺の名義で金を借りたんです。気づいたら3000万円。でも社長は急に亡くなって、残ったのは借金だけ。穴を埋めようと消費者金融にも手を出して……そこから、地面師の世界にズブズブと」
そうやって、カトウは坂道を転がり落ちた。
「例の土地」はタワマンに。ドラマ効果で「むしろ内見希望者が増えた」
実を言えば、私はカトウと同学年だ。野球少年だったカトウと違って私は学生時代に無軌道に突っ走った時期があった。だが就職氷河期に社会へ出た私がカトウと違ったのは、「文章に関わる仕事で生きていく」という指針を早くに見つけられたこと、ただそれだけかもしれない。
普通の人生と転落は、思っているよりずっと地続きにある。
「野球っていう道が絶たれてから、夢中になれることはもちろん仕事のやり甲斐も感じられないまま年齢だけ重ねてしまった。その代わりにあぶく銭に散財する悪い大人に憧れ、金に取り憑かれ軽い気持ちで犯罪に加担してしまった。逮捕されて服役し反省したところで今さら取り返しがつかないことばかりです」
そう語るカトウの横顔に、かつてキャプテンを張った少年の面影はなかった。
地面師たちが狙った五反田の土地は、いま「アトラスタワー五反田」という高さ105メートルのタワーマンションに姿を変えた。1億5000万円の部屋を買った住民は「事件は知っているけれど、過去のこと。死者が出たわけでもないし」と涼しい顔だ。皮肉なことに、ドラマの配信後はこの物件の内覧希望者がむしろ増えたという。犯行グループのアジトだった事務所が入った雑居ビルも、今は新築マンションに建て替わって跡形もない。
街は絶えず新陳代謝を繰り返す。一方で、詐欺を繰り返す人間の本質は変わらない。現に大阪では、同じ手口の地面師事件がまた起きている。
東京拘置所で「もう犯罪はしない」と誓ったはずのカトウもまた、更生を願う家族の声をよそに、相変わらず危うい場所をのらりくらりと漂っている。あの日、札束を投げつけて泣いた男は、今もまだ、自分の居場所を探しあぐねている。
河合桃子(かわい・ももこ)/1977年東京都生まれ。ライター。週刊誌を中心に執筆。幅広く取材活動を行っており、特に性風俗にまつわる事件などアングラな業界を長年取材している。
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