アメリカで3000本以上の作品に出演し、世界的な知名度を誇る日本人ポルノスター、まりかさん(44歳)。2007年にグラビアアイドルとしてデビューし、2年後にはセクシー女優に転身。2014年からは活動拠点をロサンゼルスに移して活躍を続けていたが、2019年には乳がんを公表している。
「がんで乳房全摘の診断をされても、死の恐怖より『仕事はどうなる?』が先でした。再建手術は当たり前のことだったんです」
デビューのきっかけ、単身渡米しポルノスターの仲間入りを果たすまでの道のり、乳がん闘病秘話や、支えてくれたパートナー男性との絆まで、赤裸々に語ってくれた。
同期のグラビアアイドルたちがセクシー女優に。「私もやりたい!」
――今回はまりかさんが、日本に一時帰国されたタイミングでのインタビューです。
「毎年1ヶ月くらいは日本に帰ってきているんですよ。こっちで知り合いと会って喋っていると、日本語を忘れかけていることに気づかされます」
――まりかさんは2009年にセクシー女優としてデビュー。それまではグラビアアイドルとして活躍していました。
「そもそものスタートは、バイト感覚で雑誌の読者モデルをやったことなんです。カメラで撮られることがすごく楽しくて、どうしたら続けられるだろう?と考えて、オーディション雑誌を見て片っ端からいろんなところを受けまくったら、サンミュージックに所属することができました。
ただ、その後も勝手に色んなオーディションを受けまくっていたら、バレてクビになっちゃった(笑)。ズルしようとしたわけではなく、単にそれがいけないことだとは知らなかったんですよ」
――最初にちょいセクシー系の作品に出るようになったきっかけは?
「たまたまネットでグラビアの制作をしている人と知り合ったんですよ。そしたら、知り合って1週間後くらいに『沖縄でのグラビア撮影でモデルの子がキャンセルになったから、代わりに出ない?』と連絡があったんです。前乗りでホテルに宿泊させてもらって、その日はすごく楽しかったんですが、寝る前に同室だったメイクさんに『パイ〇ンにしてきた?』って聞かれて、『えっ!?』って」
――そういう撮影だとは知らなかったのですね。
「はい。私は普通のグラビアだとばかり思っていたのですが、ポージングもかなりキワどい感じだったので途中で察しました。事前に聞いていた雑誌の発売日が母の誕生日だったので、娘の晴れ姿をプレゼントしようと画策していたのに……」
――それは無理かも(笑)。
「でも、撮影は嫌ではなかったし、むしろ楽しかったですよ。その後も仕事がどんどん決まったし。でも、当時は事務所に所属していなかったんです。サイン会がやりたくてもできなかったから、自費でDVDを購入してショップに直談判したり、ティッシュにチラシを挟んで配ってみたり、1人で頑張っていました」
――ものすごいバイタリティですね。
「しばらく経つと、さすがに個人では限界を感じて事務所に入りましたけどね。そしたらヌード写真集も決まったし、Vシネマや深夜テレビ番組にも出演できたし、もう順調そのもの。でも、担当マネージャーが独立することになり、それについていってからは完全にゼロからのスタートになってしまいました」
――セクシー女優への転身を決めたのはその頃ですか?
「そうですね。暇を持て余してネットを徘徊していたら、同時期にデビューしたグラドルたちがセクシー女優になったと知ったんです。それが、範田紗々ちゃんやHitomiちゃん。めちゃくちゃ売れている姿を目の当たりにして、『すごい……私もやりたい!』と」
――それでソフトオンデマンドの「第1回SODstarシンデレラオーディション」に?
「当然のようにマネージャーからは怒られましたが、私はやることを心に決めてしまったので、貫いてしまいました(笑)」
日本のハードコア女優から世界のトップポルノスターへ
――その後、まりかさんはハードジャンルの仕事もこなすハードコア女優として名を馳せました。海外進出を意識し始めたのはいつ頃ですか?
「2013年から、日本とかけもちで定期的にアメリカに行くようになりました。完全に拠点を移したのは翌年の2014年。飼い猫とともに渡米しました。でも、当時はまったく英語がしゃべれなかったんですよね。男優の大島丈さんからは『せめて駅前留学してから行けよ!』と言われました(笑)」
――心に決めたらすぐに動く、まりかさんの性格がよくわかります(笑)。向こうでの仕事はどのようにして探したのですか?
「最初は知り合いのポルノライターさんのツテで、エージェント契約を進めていたのですが、サインしようとした瞬間に業界の重鎮みたいな方が通りかかって、『君は往年のスターのオーラがある!』と言われ、最大手のトップエージェントに連れて行かれたんです。簡素なレンタルオフィスで、ソファーに横たわっていたクッキーモンスターみたいなおじさんに『脱いでみろ』と言われたのは衝撃でした(笑)。
結局そのときは、すでにレジェンド的な日本人ポルノスターのアサ・アキラさんがいるからって断られてしまいました。でも、フェイスブック経由で日本マニアの監督が私を見つけてくれて、フリーの女優として撮ってくれたんです。ただ、そのタイミングで、ポルノ業界に性病が流行ってしまって……。完全に業界がストップしちゃったんですよね」
――せっかくアメリカにまで行ったのに……。
「それでも性病検査だけはしっかり受け続けていたら、前に断られたトップエージェントから『うちにおいでよ』って言ってもらえたんです。その後は、もう順調そのもの。インターナショナル女優としてアワードにノミネートしてもらえるまでになって、じゃあ次はアメリカ人のカテゴリでのノミネートを狙おう、と考えていました。でも、その時期に乳がんが発覚したんです」
死の恐怖よりも「仕事はどうなる?」
――どういう経緯でがんが見つかったのですか?
「近所に住んでいた日本人のおばさんが乳がんになったんです。触ったらわかるらしい、と聞いて自分の胸を触ってみたら、まさにしこりがありました。病院で診察をしてもらったら『がんじゃない』と断言されたのですが、しこりを摘出した後、経過観察で病院に行ったら、やっぱり『がんです』と言われました。しこりはとったけど、ミクロ単位の細胞で転移があるかもしれないとのことで、両胸を全摘出する、と……」
――その時の心境は?
「現実感がなくて、ヘラヘラしていましたね。そのまま『仕事に行ってきまーす』って撮影に向かいました。深刻な事態だと理解はしていたのですが、認めたくなかったんです。それに、私にとっては、死の恐怖よりも『仕事はどうなる?』の方が先でした」
――摘出した後に、すぐに再建手術を行ったとか。
「そうです。全部とって、すぐに入れました(笑)。正直、入れないという選択肢はなかった。仕事がしたかったから、ということではなく、私にとっては当たり前のことだったんです。幸い転移はありませんでしたが、再建手術は何回か繰り返しました」
――その間はさすがに休業したんですよね?
「術後の療養期間は1ヶ月くらいでした。日本ならそのうちの1週間くらいは入院するはずなのですが、アメリカでは1泊で退院。それ後は病院からナースが自宅に派遣されるんです」
――だいぶ日本とはシステムが違うのですね。
「それでもドレーンの取り換えとか、自宅で管理するのは本当に大変でした。そんな中で私を支えてくれたのが、いま横にいるパートナーのクリスなんです」
――実は今回のインタビューにも同席しているクリスさん(笑)。どういう方なのですか?
「アメリカのポルノ男優です。でも、仕事を通じて知り合ったわけではないんですよ。向こうで車が壊れたときに、友達が修理業者を呼んでくれたのですが、その業者さんと一緒にきたのがクリスだったんです。業者さんとはイトコという続柄でした(笑)」
――そんなシチュエーションで同業者に出会うことってあるんですか!?
「それより前にも、どこかのパーティーで会ったことがあるみたいなのですが、私は思い出せず(笑)。でも、もう10年くらいずっと一緒にいるんですよ。日本滞在中は、私の実家に一緒に泊まっています」
――親御さんも公認のパートナーなんですね。
「最初はビックリしていましたけどね。でも、遠いアメリカで乳がんを患った私のそばには、ずっとクリスがいてくれたから。クリスのおかげで孤独な闘病生活にならなかったことを、うちの親もすごく感謝しているみたいです」
ずっと、カメラの前で何かができる存在でありたい
――現在、AV新法の影響もあり、日本のアダルト業界は変革期を迎えていますが、アメリカのポルノ業界には大きな動きはありましたか?
「コロナ禍以降、OnlyFansなどのソーシャルメディアサービスで動画を配信する女優が増えました。アメリカのポルノ業界では今はOnlyFansが正義なんですよ。監督やスタイリストは女優が直接雇うようになりました。スタッフはメーカーではなく女優に営業をかけていて、メーカーはどんどん潰れているのが現状です」
――雇用形態が、もともと日本とは違ってエージェント制ですもんね。
「もはやエージェント契約を辞めている子も多いですよ。OnlyFansを始めてみたら、なぜ自分が稼いだお金をエージェントにとられないといけないのか?と疑問に感じるようになったのでしょうね。今後もこの流れは続いていくかもしれません」
――まりかさん自身の今後の目標は?
「ラスベガスで行われるAVN(アダルト・エンターテインメント・エキスポ)で、殿堂入りすることが目下の目標です。賞はもらっているんですけどね」
――すごい!目標が超ワールドワイド!
「この前、ヨーロッパのアワードにも呼ばれて、レジェンドの境地に降り立ったな~と(笑)。でも、それもあって、そろそろポルノスターとしての終活をしようと思い始めたんですよ」
――引退ということですか?
「すぐにという話ではありません。3~4年かけてゆっくりとやり残したことや、次に繋げていくことを精査しようと考えています。ポルノスターを辞めても、ずっとカメラの前で何かができる存在でいるために」
――ある意味、一生現役宣言ですね。
「読モ時代に『楽しいからカメラの前にいたい。これが私の日常になるといいな』と、思ったことから始まって、今に至っています。ポルノスターとしては『私、もうじゅうぶんやったんじゃない?』って思うので、そろそろ終活。活動拠点も海外のままか日本に戻るかも考え中です。
実は去年、子宮頸がんにもなったんですよね。ステージゼロだったので1時間の手術で終わって寛解もしているのですが」
――待ってください。最後にさらっとすごいことを告白しましたね。
「私の人生、いろんなことがありすぎて小さい出来事のようになってしまった(笑)!」
――ありがとうございました!
<取材・文・撮影/もちづき千代子>
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