「映画のファッションはとーっても饒舌」という湯山玲子さん。おしゃれか否かだけではなく、映画の衣装から登場人物のキャラクター設定や時代背景、そしてそのセンスの源泉を深掘りするコラムです。
「ファッションなんてどうでも良い。外見を着飾るよりも中味が大事」と、これ今でもモラルとして十分に通用する話で、ルックスや能力が高くて周囲からの承認もふんだんにあるエリートは実はこういうタイプが少なくない。前作の主人公、ジャーナリスト志望のアンディの入社直後はまさにその権化。要するに、ファッションをバカにしているわけだ。しかし、その「正しさ」の鼻っぱしは、モードのお膝元において、編集長からへし折られる。
「アナタが何の気なしに購入したそのセーターの色は、セルリアンブルーと言って、そもそも一流デザイナーが発信したもの」と、アンディの普段着セーターに編集長のミランダが鉄槌を下した名シーン。そう、もはや現代に生きる我々の消費選択の全ては、業界の美的判断、流行の形成、商業的流通の結果から逃れられない、という不都合な真実がここで暴露される。このくだりは、「自由意志なんぞはもはや無い」という人間の欲望と消費行動の核心が凝縮されていて、まさに、専門新書一冊分の知見が詰まっているがごとくだ。
そして、それから20年後の続編では、確固たる社会の権力と価値であった、ジャーナリズムや権威と歴史あるメディアが、ネット社会や広告資本の変化で失墜していく様子がシビアに描かれていく。ジャーナリストとして権威ある賞に輝きながらも、新聞社の大量解雇の憂き目に遭ってしまうアンディがリクルートされたのが、皮肉にもかつての雑誌社だった。編集長のミランダは健在だが、版元の死去によって大きく現場にテコ入れが入り、もはや全てが思うがままの女帝ではいられなくなっている。アンディも編集長も、その極めて現代的な産業構造変化の現実に直面することになるのだ。
さて、今や第一線のジャーナリストとなったアンディだが、そのファッションはかつてのような野暮天ではない。「見た目社会」のツールとしてのファッションの効果を現場での経験から体得したはずの彼女は、取材相手に好印象や信頼感を与える着こなしの実現はもちろんのこと、美意識の塊である編集長やご意見番の同僚ナイジェルの影響を受けて、「モードを取り入れることによって、一目置かれ、センスの良い人だと思われる」という、極意も身につけている。
そんな彼女の出で立ちは、基本的にパンツとジャケット。働く女性の定番であるマニッシュファッションだが、現在のジェンダーレス流行を取り入れてのそれは、紳士服生地のベストを素肌にまとうジャン=ポール・ゴルチエのセットアップや、襟のピークを際立たせてボディラインを美しく見せる、これもまたストライプのスーツ姿という具合。ちなみにこのふたつのスーツはストライプ柄。我が国の着物文化においては、江戸時代に芸者が好んだ「縞(しま)」柄があるが、これは「男物の縞柄を着て、粋を表現したスタイル」であり、時空を越えて同様のセンスが存在することがおもしろい。 映画ファンならば、ニューヨーク×マニッシュで思い起こすのは、ウディ・アレン監督の「アニー・ホール」。当時その装いは、変わり者の個性派ファッションだったが、現在に至ってはノーマル。これも時代の変化だろう。
ジャーナリスト時代の彼女が見出したのは「パールのネックレスをどんな服にでも合わせて愉しむ」という、今ではおしゃれ上級者の着回しでポイントになる一点豪華主義。モノセックスでシンプルな着回しも、それがあるだけで格段に垢抜ける。よく見るとトグル付きの金のボールチェーンネックレスとのダブル使いであり、ハーパーズ・バザーのシンガポール版の情報によると、ブランドはジェマ・ウィンとのこと。パールネックレスはもしかして、お母さんのお古かもしれない。と思いきや、コチラはジェームズ・バンクスによる、タムシュカ製品のカスタマイズだった。
パールは王室セレブの日常にも頻繁に登場する。そんな格の高さの一方で、庶民にも手が届く値段感や人造パールを使っての、コスチューム・ジュエリーなどの波及で(ココ・シャネルの影響大)、ジュエリー・アイテムの中では、特別な存在。金や銀、宝石が醸し出す、ギラギラしたバリュー感の無さが、知性や品の良さを感じさせるわけで、そのあたり、アンディの個性にきちんと寄り添ってくる。ちなみにパールは、世界的な真珠ブランド、ミキモトとコム・デ・ギャルソンのコラボで、ジェンダーレスなアクセサリーとして、男性も取り入れ始めたという最近の傾向があり、ジャーナリスト稼業である主人公のキャラを見事に補完してもいるのだ。
そう、このお気に入りを使い回す精神は、20年前より強力になってきたSDGsというメッセージにも重なってくる。加えて、彼女が常に持ち歩いている大ぶりの仕事バッグはブランドの中では比較的安価なコーチのそれもビンテージ。すでに投資の株券みたいになっているブランドバッグ最新作なんかではないところもミソ。
さて、その一方で、ミランダ編集長の第一アシスタントを務めていたかつての同僚、エミリーのファッションは対照的だ。彼女は業界の価値観を完全に内面化しており、常にモードの先端を体現せざるを得ない。彼女は雑誌社から転職しており、この時代メディアよりも権力を持つようにもなってきたラグジュアリーブランドの、それもディオールの有力者となって、かつて崇拝していた女帝ミランダと対等な存在として堂々と立ち現れる。
その着こなしのすべては、大変にエッジが効いていて、もちろんディオールのドレスやブラウス、アレクサンダー・マックイーンのガウンや、ルブタンの太ももまでのデザインブーツ、ヴィーダーホーフトのコルセットなど、アイテムひとつひとつがデザインの見本市のよう。コレクションシーズンのファッション雑誌には、会場の外でキャッチされた業界人のスナップが載るが、彼女ならばそこの常連だろう。
しかし、それ以上にカッコいいのは、白いシャツにビスチェを着こなすデイリーの仕事着や、ディオール旗艦店での改装工事場面での、ジャン・ポール・ゴルチエのオーバーオールジーンズというヒップなドレスダウンの装い。これらは、ストリート系、ヒップホップやサブカルチャーテイストの影響があり、彼女のようなファッション原理主義者としては面目躍如で、これは観客のみなさんが大いに参考にしていい装い。常にモードの最前線のセンスを「着ることで知る」努力を欠かさないのがエミリーなのだ。
もはや、オワコン感アリアリのファッション業界の力学変化だが、本作はそれでも希望の光を感じさせる背景として、後半にイタリアはミラノコレクションという場を選んでいる。
パリコレクションでファッションの頂点に立つフランスは今でこそ、グルメにファッションにと文化発信大国だが、その源流はイタリア。その文化は単に古代ローマやルネサンスの記憶を指すだけではなく、地中海交易、都市国家、キリスト教世界、宮廷文化、職人技が重なり、日常生活に根ざしながら、同時に美意識、身分、地域性、社交、経済力を表してあまりある。それは、このAI時代に「人間万歳」を伝えることができる最後の砦のようだ。
さて、編集長ミランダの着こなしとして印象的なのは、何と言っても調和的で柔らかな明暗と、装飾的なフリンジを多用した、ドリス ヴァン ノッテンのジャケットだろう。衣装担当のモリー・ロジャースによると、これは前述した第1作における「セルリアンブルー発言」時に着ていたビーズとスパンコールのジャケットに対する「精神的な対比」として選んだという。分かりやすく言えば、「この衣装文脈を読んでくれ」というものだが、この職人技の手仕事感や、ルネサンス絵画を思わせる自然が融和したような色調は、その後のミラノコレクションのプロローグであり、こんな時代にファッション感はどう生き残ることができるのか?! という回答なのだ。
ちなみに、ニューヨークでのランウェイシーンで、ミランダは深紅のボリューミーなドレスを身につけるが、これは数少ない本作のためのオリジナルで、デザインは当時、バレンシアガに加入したばかりだったピエールパオロ・ピッチョーリ。と、ここでもイタリア勢が選ばれている。
映し出されたミラノコレクションのランウェイには、スパンコールやラメに刺繍、箔付きファブリックなど、いにしえの宮廷のドレスを思い起こさせる重厚かつゴージャスなドレスが炸裂。女帝ミランダの装いは、宝石装飾をあしらったイブニングダスター、アンディも、メンズウェアを彷彿とさせる黒のベルベットパンツにシースルーシャツの胸元に光り物のストライプが入った飾り布が差し込まれたトップス姿。コチラ両方とも、アルマーニ・プリヴェのオートクチュールならではのセクシー&ゴージャス。
実は撮影中にアルマーニ御大は逝去したが、結果この映画は彼と彼のバックグラウンドに対する最大のオマージュにもなった。ちなみに、普段はナチュラルメイクのアンディは、アイラインとリップをくっきりと彩って、女らしさ全開だ。アン・ハサウェイは割とナチュラル美人として知られているが、こういうメイクをすると、その美形ぶりに圧倒される。やっぱ、女優って凄い!
舞台がニューヨークの編集部から、ミラノコレクションへ移ることは、単なる華やかなロケーション変更ではない。ニューヨークがメディア、速度、経済原則最優先の都市であるなら、ミラノは職人性、着飾ることの伝統、素材、仕立ての記憶を背負う都市。ミラノコレクションは、伝統に培われたファブリック生産技術、伝統的な男女の性差や役割に基づけたセンス、世代を超えて継承される美意識が可視化される場なのだ。
ユニクロなどのファストファッションが行き渡り、デジタル時代の情報消費に飲み込まれたファッションのネクストは、オンリーワンの手仕事や技術の次元なのだろうという”読み”がここには存在する。思えば金融の世界でも現在、仮想通貨のバリューが下がって、金の価値が上がっているではないか!!
また、このミラノ文脈の中では、編集長ミランダは、古い権威なのではなく、服を文化として読み、技術として評価し、歴史として守ろうとする勇者にも見えてくる。もちろん、その美意識は他者を傷つけ迷惑この上ないが、マーケティングやビッグデータなどでははかれない価値を見抜く力を彼女は持っていて「コンプラ違反だけど、これもアリでしょ。だって人間だもの」という彼女の暴力性と必要性を同時に描いているところがミソでもあるのだ。
このコラムでは何度も繰り返しているが、一流のハリウッドの映画衣装担当は、キャラの個性の裏に作品のテーマや、通奏低音である時代のセンスをたたき込む。衣装/スタイリストは、前作のパトリシア・フィールドに代わって、モリー・ロジャース。パトリシアのような思い切った遊び心はないが(前作でアンディがファッショナブルに変身する第一弾のシャネルのミニスカートは圧巻だった)、キャラクターの成熟度、立場、心理状態に関して抜群のフィット感を醸し出したセレクト群には脱帽なのだ。
重ねて言うが、アンディの定番、パールのネックレスのカッコよさには心を打たれた。この夏、私をはじめたくさんのフォロワーが街に出現しそうですよねっ‼
【作品情報】
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プラダを着た悪魔
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