村田夕奈監督が20歳で監督した映画「おとなになりたくなれますように」。第19回田辺・弁慶映画祭で映画.com賞を受賞したこの作品は、テアトル新宿で5月25日から28日の4日間、テアトル梅田で6月12日に上映される。かつての友人が夢に出てきたという自身の体験を基に、村田監督が20歳の節目で制作された本作。本記事では、村田監督へのインタビューをお届けする。(インタビュー・構成/日比楽那、撮影:笠川泰希)
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【フォトギャラリー】「おとなになりたくなれますように」■忘れるために作られた「おとなになりたくなれますように」
――「おとなになりたくなれますように」の制作が始まるまでの経緯を教えてください。
村田:もともとこの作品は、クリエイター活動をサポートしてもらっているクマ財団の展覧会で上映するために制作することになりました。一緒に展覧会をやったメンバーは絵画、彫刻、建築、工芸と、それぞれの領域で自分の表現はこれだとはっきりしている人たち。対して私は、まだそのとき2本しか映画を撮っていなくて、「あなたの表現は?」と問われたときに映画です、とはっきり言えない部分があったので、制作を通していっぱい実験をして、自分なりの映画とは何かを体現しようと考えました。
その頃、頭の中にあったのは、高校の最後に撮った「自画自讃」という作品。忘れたくないという祈りを込めて作ったけれど、完成したときには、撮影場所だった高校のホールに全部置いてきた感覚があって、忘れて前に進めそうだと思ったんです。
映画制作って、忘れないためになると同時に、忘れるためにもなるというか。あとは、「自画自讃」を上映したときに「こういうことを思い出しました」って感想をもらって、思い出すという行為も一度忘れた後だからこそできることだと気づいたんです。
そうして忘れるための映画を作りたいと思っていたら、20歳になってすぐの頃に夢の中でかつての親友と再会しました。それこそ忘れられない記憶になって、夢の中で見た光景やあの子の表情を何回もなぞりました。
そんななかで一緒に過ごした時間を思い出して、「あのとき本当はこうして欲しかったのかな」とか「あれは自分は嬉しかったけどあの子はどうだっただろう」とか、内省しようと思えばいくらでもできてしまって。楽しかった記憶すらも歪んでしまうと思って、それは悲しいから、この出来事こそを映画にして、忘れて前に進もうと思ったのが「おとなになりたくなれますように」の始まりです。
――「おとなになりたくなれますように」がオムニバス形式なのは、夢を起点に作り始めたことが影響しているのでしょうか。
村田:夢のカオスを表現するためでもあったし、いっぱい実験をするために、それぞれ別のものとして成立していたほうがおもしろいなっていうのもあったし、 展覧会で見せることを想定していたので、いつお客さんが来ていつ帰ってもいいように、始まりと終わりがたくさんあるオムニバスが一番空間に馴染みやすいんじゃないか、という理由もありました。
――少し遡って、村田さんの初監督作から本作までの流れも伺いたいです。
村田:まず、高校2年だった2021年に1本目の監督作「可惜夜」を撮りました。その後、高校の卒業式の翌日から5日間で「自画自讃」を撮って、終わらせたくなさすぎて1年くらい編集せずに置いておいたんですけど、MOOSIC LABに出品すると決まって急いで仕上げて、大学1年の秋に発表しました。それから大学2年で「おとなになりたくなれますように」を撮って、今は大学3年になりました。
振り返ると、大人という言葉に引っかかったときに映画を撮り始めて、そこからずっと大人になっていくなかでの感覚を一つひとつ確かめるように映画を作ってきました。高校生の頃、将来の自分が上手く落ち着いて、「あのときあんなことあったな、ハハハ」って笑ってるのを想像してすっごいむかついたのが、1本目を撮る原動力になったんですよ。
実は、今は大人になりたくなってる自分がいるんですけど、当時の自分、本当に忘れてほしくないと強く思っていた自分に「忘れてないよ」って言ってあげたくて、同じテーマに向き合っているところがあると思います。
■純粋な映画であると同時に「物語をもたない34分間のエッセイフィルム」
――3作目となった「おとなになりたくなれますように」について、監督は「物語をもたない34分間のエッセイフィルム」と言い表されていました。
村田:実験しようと思って作ったら、純粋に映画だと思えるものができました。でも今回、テアトル新宿、テアトル梅田での上映が決まって、あらためてこの作品と向き合ったとき、自分では純粋に映画だと思っているけれど、だいぶ変わった作品であることを再確認したんです。
観に来てくださった方々が見方がわからないまま終わってしまうのはもったいないと思い、どう伝えるのがいいか考えました。結果、実験映画としてこの作品を見つめ直してみて、実験映画のなかでも、フィクションとドキュメンタリーの間にあるものとしてエッセイフィルムと言えるんじゃないか、と。それからエッセイフィルムと再定義して宣伝を進めることにしました。
田辺・弁慶映画祭では「感覚派だね」といった感想をもらったんですけど、それはおそらく、受賞作のなかでもひときわロジックに頼らずに作ったように見える作品だからだと思うんです。
実際、意味ばかりに価値があるとされる社会に寂しさを感じて、その価値観とは真逆のものを作りたいという意図があって、この作品では言葉を覆い隠したり、あえて人物たちの関係性を明示しないようにしたりしました。それが「物語をもたない」という言葉につながっています。
観る人が作品と一緒に自分自身を見ることができる作品を作りたかったという意図もあって、でも映画館という空間には物語を求めて来る人が多いわけだから、そこで急にこの作品が始まったらわからないよな、と気づいて、わからないでいいんだよっていうのを丁寧に示していけたら、と思ったのがきっかけです。
村田:私は夢の中だと上手く走れなくて、大きい声も出せなくて、そういう夢の中で生じる障害を表現したいという思いがありました。あとは、夢の中で胸がざわざわしたことが起きてもまだ残ってるとか、過去のことを思い出そうとしても記憶がばらばらになって解像度が違うとか、逆によく見えなくても、聞こえなくても、なぜか心が動くときのこととか、そういう実感を映像で表現したかった。
夢の中でかつての親友と会ったとき、その子が気まずそうに笑っていて、でも、気まずいのは多分、私なんですよ。「あのときああ言えなかった」とか「本当は連絡したかったけど今が楽しくてできなかった」とか、自分の気まずさを、彼女の姿に見出していて。夢って自分の記憶が基になっているから、夢の中で見るものって全部が自分に見えると思うんですよね。映画にも近いことを感じていて、登場人物の誰もに感情移入したり、見つめているつもりが見つめられているような感覚になったり。実験しながら、そういう感覚を映像にしました。
――実験的な描き方によって感覚を伝える側面があるのと同時に、すごく日常的なシーンもあるじゃないですか。明け方に起きてしまって寝ぼけたまま話すシーンとか、ささやかかもしれないけれどかけがえのない瞬間のなかで、登場人物それぞれが記憶に向き合う姿も印象的でした。そうしたシーンについても伺いたいです。
村田:私はすごく寂しがり屋で、いつも寂しいのは自分ばかりだと思ってしまっていたんです。たとえば高校を卒業して2年間、SNSで見る同級生がどんどん知らない人になっていくように感じて、今会っても楽しく話せる自信がなくて、そういうふうに距離ができることが寂しかった。でも、同時に私も変わったし、自分が寂しいと思っているとき、多分私も相手に同じように寂しさを手渡しているんだろうなって気づきました。
誰かに置いていかれてばかりじゃなく、置いていってもいる。 でもその先で私がまた新しい誰かに出会って救われているみたいに、私もきっと、誰かを救うこともあって。「おとなになりたくなれますように」の脚本を書く前に第五章の詩を書いたんですけど、そのときに考えていたそういうことが、作品の全体にも散りばめられていると思います。
【田辺・弁慶映画祭セレクション2026】上映日
テアトル新宿:5月25日(月)〜 5月28日(木)
テアトル梅田:6月12日(金)
・各回20:40より上映開始予定
・上映後アフタートーク開催
5月25日登壇者:大熊花名実、光嶌なづな、園凜、端栞里、小春、千田つむぎ、清水元太、下川恭平、野口天音、村田夕奈監督/松崎まこと(MC)
【作品情報】
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