名勝負を支える“プロキャディ”が日本では不足している?元競技ゴルファーが語る「普通では味わえない」魅力、心得や誇り

岩﨑亜久竜(左)とキャディの湯本開史氏(撮影:上山敬太)

名勝負を支える“プロキャディ”が日本では不足している?元競技ゴルファーが語る「普通では味わえない」魅力、心得や誇り

4月22日(水) 21:05

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マスターズで史上4人目の連覇を達成したローリー・マキロイ(北アイルランド)。大きな重圧に耐えながら快挙を遂げると、共闘したキャディと熱い抱擁を交わした。名勝負を演じるプレーヤーの横には、いつもキャディがいる。選手を支える重要な存在だが、いま日本国内ではなり手が減少しているという。20代で活躍する若手キャディに話を聞いた。(取材/文・高木彩音)



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ツアープロを支えるキャディは、一般のゴルフ場のハウスキャディさんと違い、『プロキャディ』と呼ばれる。有名なキャディといえば、古くは尾崎将司さんの32回の優勝をサポートした佐野木計至氏だろう。

全盛期のタイガー・ウッズ(米国)にはスティーブ・ウィリアムス氏という名参謀がいた。松山英樹が2021年にマスターズを制したとき、ホールアウト後、コースに一礼をする早藤将太キャディの姿は、世界中から称賛された。プロキャディは世間から注目される存在だ。

そのなか、岩﨑亜久竜の帯同キャディを務める28歳の湯本開史氏は「プロに帯同する若いキャディは不足していると感じています」と、現在の日本国内でのプロキャディ界の人員不足の現状を指摘する。

国内の男女ツアーを合わせれば、1週間で約200人、多ければ300人近い選手が試合に出場するが、それに見合うプロキャディの数は足りていないのが現状だ。キャディ歴10年、20年のベテランは多いが、20代のなり手が少ないという。

そもそもプロキャディになる方法すら知られていないのが実情だ。20代でプロキャディとして活躍する4人に聞いてみた。


■元競技ゴルファーが多く、中には脱サラキャディもいる


4人ともジュニア時代から競技をしていた流れで、キャディの道に進んでいた。ツアープロとして活躍する道は選ばなかったのだろうか?どのタイミングで進路を決めたのだろうか。

今季から米国男子ツアーを主戦場とする平田憲聖のキャディを昨年まで務めていた桑島大紀氏(25)は、現在は男女さまざまなプロのバッグを担いでいる。5歳でクラブを握りプロを志したが、大学時代にスキーでヒザを負傷。競技の道から離れる決断を下した。プロに最も近い立場で関われる仕事として、キャディの道を選んだという。


こんなキャリアを歩むキャディもいる。24歳の伊与翼氏は7歳からゴルフを始め、大学卒業後は福井県の漆器会社への就職が内定していた。2023年の「ダンロップフェニックス」で史上7人目のアマチュア優勝を遂げた杉浦悠太とは、福井工大高校時代の同級生。その大会では、伊与氏がキャディバッグを担いでいた。

杉浦のアマチュア優勝を支えた伊与氏は、高校1年時に同級生である杉浦の実力を目の当たりにし、「プロへの道を断念しました」と早い段階で競技の道を諦めた。日本を代表するトーナメントでの優勝という稀有な経験が転機となり、進路を大きく変更。現在は岡田晃平や政田夢乃、昨年の初優勝を支えた脇元華らのキャディを務めている。


また、サラリーマン生活を送ってからキャディに転身したケースもある。河本結や鍋谷太一らのキャディを務める27歳の小藪誠人(こやぶ・せいと)氏。10歳でゴルフを始め、大学卒業まで約10年競技を続けたが、17年の「RIZAP KBCオーガスタ」で初めて鍋谷のキャディを経験した時に「あ、プロを目指すのは無理だ」とツアープロのレベルの高さを痛感したという。

「正直に言うと、僕は本当にゴルフが下手でした。ジュニアの頃は特にひどくて、鍋谷さんがいたらめちゃくちゃいじられるぐらい。自分が一番、自分の下手さは分かっていました。でも親は『一回始めたならプロテストを受けろ、落ちてもいいから挑戦しろ』というタイプで、辞めたいと思いながらも辞められず、ずっと続けていました」と明かす。

そして、プロになることを諦めて就職を決意し、東京で不動産コンサルタントとして3年間サラリーマン生活を送った。しかし、17年にキャディを務めた鍋谷の父が営むレッスン場にジュニア時代から通っていた縁もあり、インストラクターとしての活動をスタート。プロキャディ業も本格的に始動した。

現在は大阪府にある『Westfield Golf』(ウエストフィールドゴルフ)でレッスンを行っており、昨年、2勝を挙げた河本結の優勝をキッカケに依頼もあり、アマチュアへ向けたコースマネジメントの講師もしている。


2023年「日本オープン」覇者の岩﨑とタッグを組んで5年目になる湯本氏は、5歳でゴルフを始め、競技に打ち込む。19歳の頃、日本プロゴルフ協会(PGA)のプロテストに合格した。“現役”時代に松山英樹のコーチを務める黒宮幹氏に師事し、当時、一緒に練習していた松田鈴英のキャディを務めたことがきっかけでプロキャディの道を歩み始めた。

ゴルフはうまかったが「幼い頃から明確な目標があったわけではなかった。むしろ練習は大っ嫌いだった」という。プロになったものの、思うように努力を積み重ねることができず、ツアープロとしての芽が出なかったことで、キャディの道に進んだ。

そこで出会ったのが同学年の岩﨑だ。「彼は本当に練習をする。僕ができなかったこと、目標としていたことも、彼ならできるかもしれないと思ったんです」。だからこそ、バッグを担ぐ。単なるサポートではない。「僕の夢を一緒にやってくれているというか、僕の分までやってほしいという思い」と熱い想いがある。

選手の成功は、自身の夢の続きでもある。目標にたどり着くその日まで、「一緒にお付き合いしたい」という言葉には、静かな覚悟が宿る。

何者でもなかった者たちが、プロの世界で名を知られる存在になる。知らない人から応援され、ゴルフ場で『知っています』と声をかけられる。プロスポーツの最前線に関われる実感――。それこそがキャディという職業の魅力だという。稼ぐこともできる。「普通では味わえない」経験もできる。「だからキャディっていいなって思うんです」と湯本氏は素直に言った。



■選手をサポートするうえで意識している“心得”


プロキャディの役割は、バッグを担ぐだけではない。風向きやグリーンの傾斜、マネジメントなど選手にアドバイスを送ったり、時には心の支えにもなるだろう。実際にはどんなことが求められるのだろうか。

キャディ業務の基本として湯本氏は「まず、1つ目に“立ち位置の把握”です」と話す。「僕の選手だけでなく、同じ組のプレーヤーの気が散るようなことはしないようにします。打つときは絶対に動かない。クラブを落とさない。周りに迷惑をかけないことは、気を付けています」。まずは選手のプレー環境を整えることだという。

伊与は「選手が回りやすい雰囲気づくり」を意識する。帯同選手が“中心”になれる空気をつくり、居心地よくプレーできるようつとめる。ボギーなどスコアを落としたときは「1年間で何百回もラウンドする中の1打」と前向きな声をかける。

一方で桑島は、選手の感情が落ち込んだときは基本的に「黙っています」と気持ちが落ち着くまで、そっとしておくタイプだ。落ち込んだ選手に余計な言葉はかけずに「少し離れて歩いたりして、あまり話さないです。選手のペースを優先にしています」と話した。

小藪も基本は待つ姿勢。「10年以上やっている選手に僕が何か言うのは失礼だと思うので、基本は落ち着くまで待ちます」とベテラン選手に無理に助言はしない。「本当に怒っているときはそっとします。落ち着いたタイミングで冗談を挟んだりして和らげていきます」と選手の表情を見て言葉をかけるなど、“寄り添う”スタイルだ。

2つ目に、湯本は「“1歩1ヤード”。これは本当に大事です」と挙げた。選手の残り距離を測るときに、メモをしている位置から歩測するが、「その一歩が10センチでもズレていたら、10歩で1ヤードも変わってしまう」と一歩の幅は、選手の一打に大きな影響を及ぼすという。「これはキャディの基礎」と話すように、自宅やホテルで1ヤード(約90センチ)を測って、常に“選手の大事な一打”を左右する一歩の感覚を体に染みつけるようにしている。

3つ目に「暗算のスピード力」(湯本)が大事になるという。エッジまでの距離、エッジからピンまでの距離、高低差、風をその場で把握し、計算する。「選手のリズムを崩さないためにも計算スピードを早くし、それを伝えて、クラブを選べるようにします」と選手のペースに合わせてスムーズにクラブを渡すように意識している。

最後は、「こまめに天気予報の確認と把握。風向きは1時間ごとに把握しておくこと」(湯本)と話した。スタート前に1時間ごとの風向き、気温、天候の変化などをチェックし、メモしておく。プロには随時、毎ホールの状況を伝えるようにしているという。

「この4つはキャディ業務としての基本で、18ホール選手と戦ううえで、かなり大切なことだと思っています。あとは、間違えたらすぐに謝ること。それも大事にしています。選手に負担を負わせたくないですし、気持ちを下げてほしくない。気まずいままだとプレーに害を及ぼしてしまうので」

日に日に変わるグリーンのコンディション、アドレス前と打つときに変化してしまうことがある風向きなど、想定外なことが起きるときもある。それによってミスが出たときはすぐに謝ることを意識し、選手のメンタルケアも徹底している。

こうした姿勢は、丸山茂樹らのキャディを務め、師匠としてあがめる杉澤伸章氏から学んだ。「コースマネジメント以外のことも考えていて、メンタルサポートのことも含めて、本当にすごいと思います」と讃える。

岩﨑が優勝した23年の「日本オープン」では、初日が終わってから毎日30〜40分ぐらい杉澤氏と電話で話し、『今こういう感じか、じゃあこうしたほうがいいよ』とアドバイスを受けた。「多分まだ10分の1ぐらいしか教えてもらってないと思いますが…」と今後も学びを惜しまない。



■キャディという仕事の喜び


湯本氏は選手に夢を託して全力でサポートをすることに生きがい、喜びを感じる。他のキャディの声も聞いた。

帯同キャディが1週間で得る収入は、基本給で12万~15万円。これに加え、選手が予選通過を果たした場合には、獲得賞金の10%前後がインセンティブとして支払われる。選手によっては月曜や火曜から会場入りし、練習にも帯同するため、勤務は実質6~7日間に及ぶ。

優勝賞金4000万円であれば、400万円のインセンティブを受け取れるが年間に何勝もできるのはほんの一握り。逆に予選落ちならばインセンティブはなし。また試合が続けば休みも少ないのが実情だ。それでもこの仕事を続けられるのは、報酬以上の価値がそこにあるからだった。

その価値について伊与氏は「優勝したときです。それに尽きると思います」と即答。昨年も「伊藤園レディス」で脇元の初優勝をサポートしている。「選手ではないけれど、一番近い立場として、ほぼ一緒の喜びを味わえる。その瞬間は本当に良かったなと思います。年間で何試合優勝できるかは分からないですけど、その瞬間に立ち会わせてもらえてありがたい。しばらくは続けていきたいです」。過去2度の優勝を経験し、大きな達成感を味わってきた。

桑島氏は「旅行感覚でいろいろな場所に行けることも魅力」と話す。「試合先でおいしいものも食べられますし、優勝の喜びもありますけど、普段はなかなか行かない県に足を運べるのは大きいなと思います」。選手とともに全国を巡ることができる点も、この仕事ならではのメリットだと感じている。

一方、サラリーマン経験のある小藪氏は、異なる角度から魅力を語る。「サラリーマンは同じ場所に行って、同じ人たちと仕事をする“ルーティンワーク”。キャディは毎週違う場所に行き、いろんな人に出会える。試合の緊張感も、社会人になってからはなかなか味わえないものです」。前職との違いは達成感にも表れる。

「どれだけいい契約を取っても、正直そこまでうれしくなかった。最初の1、2年は上司に喜んでもらえるのがうれしかったけど、契約を重ねるうちにその喜びも薄れていきました。仕事自体は楽しいけど、やりがいが足りないと感じていました」。しかしキャディは違う。「予選を通ればめちゃくちゃうれしいし、トップ10でもうれしい。優勝したら脳汁が出まくる。その刺激が大きいんです」と目を輝かせた。

競技ゴルファー時代は「本当に下手だった」と振り返るからこそ、「上のレベルの選手と話す立場ではなかった」とも語る。それがキャディになることで、「対等ではないですけど、選手とすごく近い存在になれる」と実感。憧れていた存在のすぐそばで戦えること――。それもまた、キャディという仕事の大きな魅力の一つだ。



■キャディという仕事への誇りと、ゴルフ界への強い問題意識


日本のゴルフ界に対する危機感もある。プロキャディが不足していると前述したが、コロナ禍ではセルフプレーも認められる大会もあったが、基本的にツアー競技のセルフプレーは認められていない。プロキャディがいなければハウスキャディや知人がキャディを担う。その現状を、「あまりいい状態ではない」と湯本氏は見ている。

数多くのプロキャディが切磋琢磨し、学び、経験を積み、その中から選手が最良のパートナーを選べる環境が理想的。岩﨑がDPワールド(欧州)ツアーに参戦したときに海外の現状を知った。3年前までヨーロッパツアーに出ていた」という、元選手がキャディを務める例も珍しくないという。レベルの高い人材が支える土壌があるのだ。

日本には男子で約3000人、女子で約2000人以上のプロゴルファーがいる。その一方で、レギュラーツアーの舞台を経験できないままキャリアを終える選手も少なくない。ならば一度、キャディとして最前線を体感する道があってもいいのではないか――。「こういう世界なんだと知って、もう一回練習を頑張ろうとか、自分は違う道で関わろうと決める」ことも、選択肢の一つではないかと話す。

さらに、ジュニアゴルファーが減っていることにも目を向ける。小学校高学年のときに石川遼がツアーで優勝した姿を見て“夢のある舞台”と感じた湯本キャディ。当時はジュニアゴルファーの数も多く、ゴルフ場ではジュニア料金があり、ジュニアゴルフ大会なども今よりも盛んだった。「いまは少子化問題もあって、ジュニアゴルファーが減ってきています」と寂しい現実も感じている。

「(僕の)立場は弱いけど、またそのときのような盛り上がりをつくりたい」。まず考えているのは、「プロゴルフ界はプロになることが全てではなく、キャディという一職業であり、専門職があること。ゴルフはプロだけでなく、キャディも輝けます。だからこそゴルフを始めてもらって幅広く夢を見てほしい」と自身もプロゴルファーを目指し、プロになった今だからこそ思いを明かした。これからもキャディとしてたくさんのジュニアゴルファーに“夢”を届けていきたい。

選手としても、キャディとしても、ゴルフ界をより良くしたい。その根底にあるのは、かつて努力しきれなかった自分自身への思いと、今、夢を託すパートナーへの信頼だ。バッグを担ぐその姿には、選手の未来だけでなく、日本ゴルフ界の未来を思う視線が重なっているように見えた。(取材/文・高木彩音)

■湯本開史
ゆもと・かいし/1997年生まれ。キャディ歴5年。優勝経験2回。ベストスコアは「63」。2018年に日本プロゴルフ協会のプロテストに合格。現在、松山英樹のコーチをしている黒宮幹氏に教わり、当時同チームだった松田鈴英のキャディを5年前に務めたことをきっかけに“プロキャディ”を志し、現在に至る。帯同する岩﨑亜久竜とは同級生で、22年の「東建ホームメイトカップ」からタッグを組み、海外ツアーにも挑戦してきた。現在は帯同キャディのほか、ゴルフイベントの企画・運営やプロキャディのマネジメント業を手がける株式会社アントシャスの代表取締役を務める。

■伊与翼
いよ・つばさ/2001年生まれ。キャディ歴4年。優勝経験2回。7歳からゴルフを始めて、父や祖父の影響で福井工業大学卒業まで競技を続けた。福井工業大高校1年時に、同級生の杉浦悠太の存在を見てプロの道を断念。大学卒業後は福井の漆器会社に就職が内定していたが、23年「ダンロップフェニックス」で杉浦悠太のアマチュア優勝時にキャディを務めたことが転機となる。岡田晃平、政田夢乃らを担当。昨年の「伊藤園レディス」で初優勝を挙げた脇元華らのバッグも担いだ。

■桑島大紀
くわしま・たいき/2000年生まれ。キャディ歴5年。優勝経験4回。福島で練習場を営む家庭に育ち、5歳でクラブを握る。プロを目指していたが、大学2年時にスキーで膝を負傷し約10か月間プレー不能に。競技を離れる決断をし、“プロゴルファーに最も近い立場で関われる仕事”としてキャディの道を選んだ。平田憲聖ら多くの男女プロを支えている。

■小藪誠人
こやぶ・せいと/1999年生まれ。キャディ歴3年。優勝経験2回。小学6年の夏ごろにゴルフを始めた。通っていたのは、現在バッグを担ぐ鍋谷太一の父が営むレッスン場。そこで鍋谷と出会い、本格的に競技に打ち込んだ。大学卒業まで約10年続けたが、現在は『Westfield Golf』(ウエストフィールドゴルフ)でレッスン活動も行う。昨年、河本結の2勝を支えたことをきっかけに、コースマネジメントの講師も担当。現在はキャディとレッスンの“二刀流”だ。


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