【プロ野球】DeNAクーパー・ヒュンメルが語る「衝撃だったイチローとの出会い」と「武蔵府中時代のほろ苦い思い出」

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【プロ野球】DeNAクーパー・ヒュンメルが語る「衝撃だったイチローとの出会い」と「武蔵府中時代のほろ苦い思い出」

4月13日(月) 10:05

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DeNAクーパー・ヒュンメル インタビュー(後編)

横浜DeNAベイスターズの新外国人であるクーパー・ヒュンメルにとって日本は、野球への愛情が深まった特別な場所でもある。

かつて日本の少年野球チームに所属していたDeNAのクーパー・ヒュンメルphoto by Sankei Visual

かつて日本の少年野球チームに所属していたDeNAのクーパー・ヒュンメルphoto by Sankei Visual





【名門・武蔵府中に入団】7歳の時、父親の仕事の都合で東京・代官山に移り住み、翌年には府中へと住まいを移した。そこで地元のリトルリーグチーム「武蔵府中」に入り、本格的に野球と向き合うようになった。

「武蔵府中リトルは、2003年のリトルリーグ・ワールドシリーズで世界一になったチームです。私はその年の秋に入団しました。本当に楽しくて、野球に夢中になりました。その経験があったからこそ、もう一度、日本でプレーしたいという思いをずっと抱いていました」

DeNAへの移籍が決まると、ヒュンメルは当時両親が撮影してくれた武蔵府中リトル時代の写真を見返したという。さらにインターネットで検索していると、思いがけない画像を見つけた。

「『プロになった武蔵府中リトル出身の3人』というキャプションとともに、茂木栄五郎(現・ヤクルト)、横尾俊建(現・日本ハムコーチ)、そして僕が一緒に走っている写真が出てきたんです。思わず『うわっ!』と声が出て、鳥肌が立ちました。本当に信じられなかったですね。

とくにエイゴロウ(茂木)のことはよく覚えています。ものすごくいい選手でしたし、名前の響きも強く印象に残っていました。プロ野球選手になったことは知りませんでしたが、それを知っても、驚きはありませんでした。というのも、ほかの子どもと比べて、エイゴロウの運動能力は群を抜いていたからです」

茂木はヒュンメルと同じ1994年生まれだが、早生まれのため学年は1つ上だった。その茂木に対して、後輩のヒュンメルは「23年越しの嫉妬心」を抱いているという。

「武蔵府中リトルに入って最初の練習の日、コーチに『ポジションは?』と聞かれて、自信満々に『ショートです』と答えました。でも、エイゴロウがすでにショートのレギュラーで、コーチはためらうことなく『キミは外野だ』と言いました。

それ以降、投手や捕手を含めてさまざまなポジションを守ってきましたが、ショートだけは一度もありません。今回、日本に来る時もたくさんのグラブを持ってきましたが、ショート用だけは持ってきていないんです(笑)」

【憧れの存在だったイチロー】そしてヒュンメルが10歳になった2004年、一家は故郷であるオレゴン州ポートランドへ戻った。しかし、その後も彼の野球には日本で受けた影響が色濃く残り続けた。

ポートランドの約280キロ北にはシアトルがあり、自然とマリナーズの大ファンになった。当時の球団の顔は、言うまでもなくイチローだった。

「どの選手よりもヒーローでした。"走攻守"三拍子が揃った、まさに理想の野球選手です。とにかく格好よくて、憧れの存在でした」

これまで紆余曲折の野球人生を歩んできたヒュンメルだったが、幸運なこともあった。2022年オフ、ダイヤモンドバックスから通算3球団目となるマリナーズへトレードされたのである。ヒュンメルは当時をこう振り返る。

「2023年のキャンプは、本当に楽しみにしていました。目的は、子どもの頃のヒーローに会うことでした。そして、ある日の打撃練習中に外野を見ると、ボールを拾っているのがイチローだったんです。信じられませんでしたし、奇跡だと思いました。『球拾い』という言い方は少し失礼かもしれませんが、正確には守備練習をしていたんです。引退して4年も経っているのに、まるで現役のように美しい動きでした。

本来なら打撃に集中すべき場面でしたが、思わず彼の守備に見入ってしまいました。構えや打球への反応、あえて動かない判断、打球の軌道の読み方......すべてが印象的でした。『自分ならこう動くが、彼はこう判断するのか』と考えながら見ていましたし、本当にいい勉強になりました。とくに印象に残っているのは、一歩目の動きとフェンスまでの距離の取り方でした」

【イチローの教えと家宝になったサイン】そしてヒュンメルは意を決し、イチローに教えを請うた。

「感動したのは、引退後も野球の難しさを忘れていなかったことです。守備や打撃の難しい部分をきちんと認めたうえで、丁寧に説明してくれました。現役を終えた選手が指導者になると、野球の難しさを忘れてしまう人が少なくありません。だからこそ、それを認めてくれるだけで、こちらとしてはとても安心できるんです。

現役の選手たちとしっかり通じ合っていると感じましたし、それは引退後も日々の練習で我々と同じように体を動かしているからだと思いました。もともと、現実的な考え方を持った人だなと感じました」

憧れのヒーローから多くを学べると期待していたヒュンメルだったが、開幕からわずか3週間足らずでマイナー降格となり、イチローと離れることになった。さらに昇格を果たせぬまま、オフに移籍することが決まった。

それ以降、イチローと接する機会はなかったが、昨年アストロズに在籍中、シアトルに遠征する機会があった。2年前のキャンプ中に果たせなかった思いを胸に、ヒュンメルは「今度いつチャンスが訪れるかわからない」と、イチローにサインをお願いした。

昨年はちょうど、イチローが野球殿堂入りを果たした特別なシーズンであり、ヒュンメルは記念パッチ付きのマリナーズの白い背番号51のユニフォームを用意した。

「お願いしたら、快くサインを書いてもらいました。ようやく手にすることができて、本当にうれしいです。家宝にします」

家宝となったそのユニフォームは、彼の野球人生を支える"原点"として、これからも背中を押し続けるだろう。





クーパー・ヒュンメル /1994年11月28日生まれ、アメリカ・オレゴン州出身。右投両打で、外野手と捕手をこなすユーティリティプレーヤー。2016年のMLBドラフト18巡目(全体531位)でミルウォーキー・ブルワーズに指名されプロ入り。その後はダイヤモンドバックス、マリナーズ、アストロズ、ヤンキース、オリオールズなど複数球団を渡り歩いた。22年にメジャーデビューを果たし、昨年までMLB通算119試合に出場。マイナーでは高い出塁率を武器に実績を残している。26年から横浜DeNAベイスターズに加入。勝負強さと柔軟な適応力を兼ね備えたスイッチヒッターとして期待される。

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