「修理は治療」と痛感…予約殺到の“ぬいぐるみ専門クリニック”院長が語った「開業を決意したターニングポイント」

これまで1万7千体のぬいぐるみを治療した箱崎なつみさん(撮影:高野広美)

「修理は治療」と痛感…予約殺到の“ぬいぐるみ専門クリニック”院長が語った「開業を決意したターニングポイント」

4月5日(日) 11:00

【前編】「亡くなった母を見ているのかも」ぬいぐるみ専門クリニックを“保護者たち”が訪れる「切実な理由」から続く

「縫い」「包む」が語源とされている“ぬいぐるみ”。最近では「ぬい活」という言葉も流行しており、お気に入りのコを旅行先やレストランで記念撮影している姿もよく見かけるようになった。今回注目したのは、開業以来10年間で1万7千体を治療した、ぬい専門のクリニック『杜の都なつみクリニック』院長の箱崎なつみさんと、クリニックを訪れた依頼者たち。取材を通じて、ぬいぐるみたちが、大切な縁を縫い、温かな思い出を包む家族であることを、あらためて感じた。

「このコたちは、入院中のコの付き添いで来てくれています。患者さんが寂しくないように、という保護者さんの思いが込められているんです」

『杜の都なつみクリニック』の箱崎なつみ院長(40)がこう話す。

白黒のパンダ、ピンクのサル、若緑のカエルなどが肩を寄せ合う待合室で、折り目正しい白衣が彼女の清潔感を引き立たせている。

「私自身、小学生のころから手先が器用だと自覚していました。母からはお菓子づくり、父にはプラモデルづくりを教わりました」

’86年1月23日、東北の一大都市・宮城県仙台市で長女として生まれた箱崎さんは、4歳下に弟がいる2人きょうだいだ。父(72)は会社員、母(65)はパートやアルバイトをしていた。

全長100メートルの仙台大観音を間近で仰ぐ実家には父方の祖父母がいて、そこで7歳まで暮らしている。

「物心ついたときから、祖母に針仕事を教わっていたんです。祖母は編み物、縫い物が上手で、町の人に仕事として頼まれていました。私は2~3歳で巾着袋は縫えるようになっていました。ですので、最初の洋裁の先生は祖母です」

実家で教わる技術を器用な手先で生かし、学校では教師からよく褒められたという。

「自己肯定感も持て、褒められることが私の糧になりました」

仙台育英学園高校3年時、4年制大学進学は選択肢になく、「洋裁かパティシエかで悩んだ結果、わけても好きだった縫い物の道」を選んだ。

仙台市内の専門学校で3年間学び、より専門的なテクニカル科まで修めて卒業。’07年、東北一の規模の洋裁洋品店に就職し、婦人服のオーダーサロンで勤務することに。

「その後、’10年には洋服修復店に勤めることになりました。洋服、カーテン、インテリア、バッグなどのお直しに加え、ぬいぐるみ修理というメニューがあって。そこで、はじめて私は、ぬいぐるみの中綿を出して、中身がどうなっているのかを知ったんです」

洋服でもバッグでも、お客さんは大事な持ち物を修理してもらったことに感謝する。だが……。

「ぬいぐるみは、お渡しするときのお客さまの反応が違いました。『本当にありがとうございます!』と、泣いて喜んでくださる方もいたほどです」

そこで箱崎さんは痛感した。

「ぬいぐるみを預ける方は、家族を入院させている思いなんだ。すると修理は治療。あんなに喜んでくださるのは、ご家族が元気になって退院されるからなんだ!」

彼女は「ぬいぐるみ修復を突き詰めたい」という希望を抱くように。

「ただ当時は会社の方針がありました。『ここまでがお直しできる範囲で、ここから先はお直ししてはいけない範囲』というように」

会社に技術体系がなかったというより、当時は「ぬいぐるみ修復」という分野が未開拓だったのだ。

「でも私は特に立体の見取り図を頭で瞬時に描くのが得意で、ぬいぐるみの全体像から細部にわたるまで『もっとお直しできる』という思いが強くなっていきました」

独立の夢を描き始めた矢先の’11年3月11日、仙台市で東日本大震災に被災する。幸い、家族、親戚、近しい友人に命を落とした人はいなかったが、

「食べ物に困り、ライフラインに困り、一生元に戻らないんじゃないかと思うくらい、生活が一変しました。『この先どうなっちゃうんだろう……』って。

そのいっぽうで、『震災をくぐり抜けたからこそ、新しいことにチャレンジしなきゃ』という思いに駆られました」

丸3年かけて独立に向けて貯蓄し、計画を練ったという。

「開業資金300万円がたまるまで、毎日食パンや、醤油をかけた豆腐を食べ、おかずも、もやしと油揚げだけの炒め物とか……」

仙台の城下町で、祖父母のいる実家で料理や洋裁を覚えたというから、記者は“箱入りのお嬢さん”と思い込んでいたのだが、

「実は7歳で両親とともに実家を離れたあと、高校時代あたりまで、ライフラインを止められるような生活でした。料金の未払いのためです。父がいろいろ事業を起こしては失敗するような状態で。おかげで“貧乏暮らし”をすでに経験していたんです」

ヨモギやフキなどの野草を摘んでおかずにし、ロウソクの明かりで過ごすことも苦ではなかった。

「さすがに、すいとんだけだとおなかが減って仕方なかったですが」

そんな少女時代の経験があったからこそ、厳しい節約生活にも耐えることができたのだろう。

専門学校時代の学費の多くは「祖母が賄ってくれた」という。祖母にしてみれば、自身の洋裁の腕を隔世遺伝したような孫娘に、夢を託したかったのではないか。

《ぬいぐるみの修復に抱いた理想》《震災で芽生えたチャレンジ精神》、そして《箱崎家の女系で継いだ、芯の強さ》、これらが三本の矢となって、’16年の「なつみクリニック」開業が実現したのである。

■「私たちには子供がいないので、ねこちゃんも私の棺に入れてもらおうと思います」

なつみクリニックには、熱心なリピーターもいる。3月に入って取材に応じてくれた、67歳の男性Aさんだ。

「わが家には、犬、熊、ウサギ、イルカ、ペンギン……現在計62匹のぬいぐるみがいます。なつみクリニックではこれまでに8匹がお世話になりました」

Aさんは2人兄弟だったが、43年前に兄(当時23歳)を、不慮の事故で亡くしている。31年前には父が亡くなり、以後は会社員として勤務しながら、母と2人で暮らしてきた。

「私は母との毎日を大事にしたいという思いで、53歳のときに会社を早期退職しました」

だが母をいたわりながらの安泰な日々も、長くは続かなかった。’14年、突然体調を崩した母は、2週間ほど闘病したのち、82歳で他界してしまったのだ。

「以来、一人住まいなんです」

母の生前から「かわいがっているぬいぐるみはいた」というが、

「やっぱり母が亡くなった後から、ぬいぐるみは増えてきましたね。にぎやかなほうがいいと思い、どんどん増やしちゃったんです」

はじめてなつみクリニックを知ったのは’23年。テレビで紹介されているのを見てHPで予約した。

「当時54歳くらいだった熊のバチロウくんを治療してもらいました。『すこしでも若返ってほしい』と。リクエストに『おちょぼ口がチャームポイントなので、そこは変えないでほしい』と」

バチロウくんは入院中に中綿を交換するだけではなく、目のパーツや、「おちょぼ口」の舌の生地を交換するなど大がかりな治療となった。

「無事完治です!」と連絡を受け、向かった’24年2月の退院時、バチロウくんと対面した感想は、

「僕も(バチロウくんの)きょうだいたちも『ああ、若返ったね! これで(母の死後に増えた)ちびちゃんたちと同じくらい生きられるね』って。それ以来、リピーターになって現在に至ります」

犬や猫などのペットを飼おうと思わなかったのかと問うと……。

「もう『死』に直面したくないんです。彼らは治療を受ければ若返ることができる。そして永遠に生きられますからね」

友人と旅行するときは心配で、出先から家に電話をかけるという。

「彼らが元気か確かめるんです。『みんな元気にしてる? あさって帰るよ』って。帰宅すると私の声の留守電が入っていてね……」

Aさんにとって彼らの存在は?

「ひとこと、家族です」

いっぽう幼少時に買ってもらったぬいぐるみを治療に出し、自身の「終活」の一環とした女性がいる。

東京都在住の笹本久美子さん(67)は結婚37年になる夫(73)と2人暮らし。介護が必要となった母(享年91)を’21年5月に、父(享年89)を同年10月にそれぞれみとっている。

「その後、実家を売却することになりました。家の中を整理しているとき、このねこちゃんの存在の大きさに気づいたんです」

笹本さんがいう「ねこちゃん」は、1歳の誕生日に買ってもらい、電車に乗るときも膝の上にのせて連れて歩いた、幼少時からの思い出がつまったぬいぐるみだ。

「母は洋裁が上手で、ねこちゃん用の着物、帯、パジャマ、お布団まで、ぜんぶ縫ってくれたんです。そのねこちゃんを、実家に置いたまま私は結婚しました。実家で見つけたとき、もうヨレヨレになっていたので『きれいになってほしい』と思いました」

親が亡くなったとはいえ、実家を売却したことには「自責の念に駆られていた」という。そんなときネットで、なつみクリニックの存在を知り、’24年12月にねこちゃんを入院させた。

「ねこちゃんは、腕の付け根の縫い目から破れてしまっていたり、全身の体毛が剥げてしまっていました。打ち合わせでは、細部まで希望を聞いてくれて、お顔も『元どおりにできます』ということでしたが『治さないで結構です』と。私と一緒に65年過ごしてきたので、お顔はそのままにしてもらいました」

きれいに治療完了した部分と、ともに年輪を刻んできた部分。それらすべてを含め、笹本さんは「いっしょにあの世に行きたい」と願っている。

「私たち夫婦には子供がいないので、ねこちゃんも私の棺に入れてもらおうと思います。その願いは主人も承知しているんです」

なつみクリニックの治療は、それぞれの依頼者の人生、さらにその先にまで向き合うものだった。

■「それぞれ唯一無二。目の位置や顔の輪郭…相談しながら個性を生かして治療を」

「保護者さんたちは、ぬいぐるみと、それぞれ唯一無二の接し方をなさっています。生地、つめもの、できた年代による縫い方の違いもあって、いま販売されている新品と同じにすればいいというものではないのです。

目の位置や顔の輪郭……相談しながら、個性を生かして治療しています」

箱崎さんが治療へのこだわりを、こう話す。使用する素材は、持ち込みもあれば、リクエストに応じてスタッフが買い付けにも出向く。

「お店を回っていて『(求められていたのは)これだ!』と、買うこともあります」

こんな念の入れようのためスタッフ8人で請け負うのは、現状の月120体が精いっぱい。それでも1月で開業から10周年を迎え、これまでに1万7千体の患者さんを完治させてきた。

さらには近年、シンガポールやタイ、アメリカ、北欧からも問い合わせや予約が増えている。

「さすがに経営規模の拡大が必要と感じています。スタッフが満足して、安心して働ける環境を維持したいんです」

業務と就業環境の改善のために多忙な彼女だが、私生活では’25年12月24日に第1子を出産した。

「3990グラムの女の子です。いまは子供が泣けば、ミルクか、抱っこか、おむつか……てんてこ舞いの状態です」

出産はイラストレーターの夫(47)のほか、クリニックの創業メンバーである婦長の庄司かおりさん(40)、統括の平山みなこさん(40)が立ち会った。

「ずっといっしょに歩いてきた2人には、見届けてほしかったんです。私が限界まで苦しむ姿を」

そう言って、ほほ笑む。

クリニックでの取材の最後に、スタッフも参加して記念撮影。入院中の患者さんや、付き添いのコたちに目を向けながら、箱崎さんが言った。

「このコたちのお顔が正面に来るように撮ってもらっていいですか? 生命が吹き込まれる感じで、生き生きしてくるんです!」

今日もまた、思い出のつまった患者さんたちが、保護者に連れられて、なつみクリニックのドアをたたく――。

(取材・文:鈴木利宗)

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