中谷潤人LAキャンプリポート(第2回)
(第1回:井上戦に向けたLAキャンプをスタート"アメリカのおじいちゃん"の死が「闘うひとつの意味になった」>>)
5月2日、東京ドームでの井上尚弥戦が迫るボクシング世界3階級制覇王者・中谷潤人選手。その強さの源泉に迫る話題の書籍『超える中谷潤人ドキュメント』を上梓したノンフィクション作家の林壮一氏による、中谷選手の直前キャンプ密着・第2弾。果たして、"モンスター"をどう攻略するのか――。
【「ボクシングができている環境は、当たり前じゃない」】「何?昨日ロードワークをしなかっただって。どんなに疲れていても、走るのがボクサーだ。ジムワークだけでは不十分。日々、学習するのがプロだ」
中谷潤人を指導するルディ・エルナンデスは放送禁止用語をまじえながら、そう言った。5月2日に"モンスター"井上尚弥の持つWBA/WBC/IBF/WBOスーパーバンタム級タイトルに挑戦する中谷は、リトルトーキョーの一角に立つLA Boxing Gymをトレーニングの場としている。モンスター戦を控えて恒例のロスアンジェルス・キャンプ中だ。
中谷(右)を指導するルディコーチ
ルディは、同ジムで汗を流すプロボクサーを戒めたのだ。中谷のコーチは、前日、ジムワークだけでメニューを終えた若者に向かって、さらに告げた。
「言い訳をするんじゃない」
そしてまたFワードを繰り返した。
この日の練習後、ルディは私に囁いた。
「ジュントなら絶対に有り得ないことだ。ボクシングに向かう気持ちが違う」
15歳で渡米し、ルディとともに歩んできた中谷は、4階級制覇を狙って井上に挑む。ここ最近、宿舎の周りをロードワークしていると、頻繁に声をかけられる。ファンからの激励はもちろん、数年前までジムで一緒に練習していた元ボクサーとの再会も少なからずある。その度に「応援しているぜ!」と肩を叩かれるという。
長くプロボクサーを続けられるのは、ひと握りのトップファイターのみ。多くは己の限界に打ちひしがれて挫折し、リングから遠ざかっていく。そんな元選手にとって、中谷は羨望の的であり希望だ。自身が果たせなかった夢を託すタイプもいる。
中谷は語る。
「純粋にうれしいですが、応援される立場になると、いろんな人の思いを感じます。職業としてボクシングができている環境は、当たり前じゃないんだと認識しますね。だからこそ、エネルギーをもらえるというか。今、この場にいる自分はさまざまな人に支えられてきたのだから、感謝しないとなっていう思考になります。結果を出して、いい波動を与えたいですね」
慣れ親しんだLAの街。このところ、中谷が起床する午前8時の気温は16度くらいだが、正午には30度を超える。そんな街で時折、鈴の音を鳴らしながらアイスクリームを売る小さな車が通る。中谷はその姿にノスタルジーを覚える。
「15歳の頃、ジムで練習してルディの家に帰ってきて、ちょっとくつろいでいると、アイスバーを売る車がやってきました。ソファやベッドで横になっていると、音が聞こえてきたんです。目にすると懐かしいですね。買ったことはないんですが、音が昔と変わらないなって。ロスっぽいというか、あの頃の自分も頑張っていたよなと」
アイスクリームを売る車
【トレーニングで「違う自分」が出てくる喜び】ルディの言葉どおり、中谷は手を抜いたり、サボろう、あるいは楽をしようと考える男ではない。彼はボクシングに己を捧げ、とことん自分を搾り尽くせるタイプだ。無論、言い訳を探す人間でもない。だからこそ、このポジションまで上ってきた。
モンスター戦に向けた今回のキャンプでも、ルディはこれまでと同じように月、水、金、土にスパーリングを組み、火、木は全力シャドーボクシングのメニューを与えている。3月24日のトレーニングからは、16キロの重りが入ったベストの着用を命じた。そして2日後は、7分間の自転車漕ぎも取り入れた。20秒間、思いきりペダルを踏み、心肺機能を高める。そして20秒休み、また漕ぐ。
重りが入ったベストを着てのシャドー
中谷は自身を追い込みながらも、楽しんでいた。大一番への重圧はなく、モンスターと拳を合わせられることが楽しみで仕方ない、という感情が伝わってくる。
3月26日、流れ落ちる汗を拭ったあと、中谷は話した。
「当然ですが今日のシャドーでは、井上選手の動きをイメージしながらやりました。ボクシングは基本の繰り返しですよね。本当に0コンマの角度とか0.1秒のタイミングとか、小さな差で変わってきます。そんななかで僕が大事にしているのは、バランスです。強く打ったあとも、疎かになってはいけない。いかに相手にダメージを与えられるかを意識しています。
日によって体調も違いますが、5月2日はベストの状態でリングに上がらなくては。ただ、試合の日のリングでも、当日のコンディションと相談しながら自分の闘いをすることが肝心です。
自転車漕ぎは、初めてのメニューでしたが確かにきついです。でも、こうしたインターバルトレーニングでまた違う自分が出てくるので、新鮮ですし、喜びがあります」
自転車のトレーニングを行なう中谷
ルディも言った。
「何度も口にしてきたが、ナオヤ・イノウエこそ、今日のボクシング界でパウンド・フォー・パウンド・ナンバーワンのベストファイターだ。日本ボクシング史上、最高の選手であることも間違いない。彼のこれまでの戦績や、現在の地位を見ても明らかだ。現時点では、イノウエこそがトップであり、世界一だ。私たちは、彼のポジションを奪いにいく。イノウエに勝ってこそ、ジュントは真の最高になれる。
どうすればジュントをそこまで引き上げられるか......。我々は今、猛練習をこなしている。これまでのやり方とは少し異なるアプローチも取り入れた。試合当日、積み重ねたすべての練習の成果を、リング上で完璧に発揮できることを願っている。最も強い選手を打ち負かし、世界中に衝撃を与えたい。そのためのトレーニングだ」
【チームとして、強く生まれ変わる】ロードワークをサボった選手に向けて吐いた口調とはまったく異質の、穏やかなトーンでコーチは続けた。
「今回は、ジュントに対して非常に繊細かつ高度な技術指導を行なっている。"妙技"と呼べるようなものだ。ほんのわずかな動作で相手の攻撃をいなし、そこから即座にカウンターを繰り出せるような、微細な動きさ。といっても、イノウエ陣営は、私たちが用意するあらゆる戦術や技術を、すでに理解しているはずだ。こちらの手札は見抜いているよ。イノウエ自身、過去の試合でそうした状況を何度も経験してきているのだから。
私たちもまた、彼らの戦略を把捉している。勝敗を分けるのは、どちらがより素早く、正確にそれを実践できるか――。つまり、実行力にかかっている。果たして、我がチームがそれを完璧に遂行できるかどうか。それがテーマだね。
やるべきことは、5月2日の試合当日、世界最強のファイターを相手に万全の準備を整えること。ただそれだけさ。ジュントは、より強くなるための課題に取り組み、ひたすら成長を目指している。試合までの限られた時間を使いきり、我々はさらなる高みを目指して進化する。我がチームは、より強い自分たちへと生まれ変わろうとしているんだ」
汗でシャツが変色するほどの激しいトレーニングでも笑顔
3月27日のスパーリング中、中谷は何度かオーソドックスにスイッチした。WBOフライ級タイトルの返上を決めた2022年の夏、ルディの指導の下、中谷はLAキャンプの初日から最終日まで右構えでメニューをこなした。そして、昨年11月、スーパーバンタム級転向第1戦を控えたラモン・カルデナスとのスパーリング中にも、何度かオーソドックスで闘った。カルデナスは、2025年5月に井上に挑戦し、8ラウンドTKOで敗れたものの、モンスターからダウンを奪った世界ランカーだ。
中谷はカルデナスをオーソドックスで翻弄したが、今回のキャンプでも、ルディの言う高度で繊細な動きのひとつとして、右構えを見せたのだ。
「これまでやってきたことに加え、徹底的に自分の武器を磨き上げて体に染み込ませていきます。今はその作業です」
挑戦者は、ボクシングが好きで好きでたまらない気持ちを隠さず、虎視眈々と4つのベルトを狙っている。
【関連記事】
◆【ボクシング)中谷潤人が井上尚弥をノックアウトするという見立ても......米国の識者たちに訊く5・2東京ドーム決戦の行方
◆第1回を読む:中谷潤人が、井上尚弥戦に向けたLAキャンプをスタート"アメリカのおじいちゃん"の死が「闘うひとつの意味になった」
◆【ボクシング】井上尚弥戦が決まった中谷潤人が語る、苦戦からの学びと成長「壁が高ければ高いほど、乗り越えた時の達成感も大きい」
◆【ボクシング】山中慎介が語る、中谷潤人が「井上尚弥以外はメッタ打ちにされた」強敵相手に直面したスーパーバンタム級の壁
◆井上尚弥は現代のボクシングビジネスに一石を投じた2026年はどのような立ち位置になるのか?