もし私たちが「聞こえる側」の人間として生きてきたのだとすれば、聴覚障がい者の世界は常に“想像の外側”にあるものです。「私たちの話し方」の特異性は、その距離を埋めようとするのではなく、その隔たりそのものを感覚として提示してくる点にあります。
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【動画】「私たちの話し方」予告編
本作は、聴覚障がいという条件を単なる「不自由」として描くことを避け、そこに複数の選択肢と価値観が存在することを丁寧に浮かび上がらせます。手話を軸に生きる者、人工内耳を通じて“聞こえる側”に近づこうとする者、そしてその両者のあいだを往復する者――そこにあるのは単一の「障がい者像」ではなく、きわめて多層的なアイデンティティの広がりです。
2025年の第20回大阪アジアン映画祭で上映された際にも、本作は静かながら確かな反響を呼び、スペシャル・メンションを獲得しました。決して大きな声で主張する作品ではありませんが、観終わったあとにじわじわと感覚が変わっていく――そうしたタイプの映画であることを実感させる反応だったと言えるでしょう。
大阪アジアン映画祭での上映から約1年を経て、本作は待望の全国公開へとたどり着きました。すでに劇場公開がスタートしており、その静かな余韻はスクリーンの外へと広がりつつあります。今回のコラムは同映画祭での上映時に行われた、アダム・ウォン監督へのインタビューをもとに構成したものです。
――本作の企画は長い時間をかけて構想されたと伺いました。出発点はどこにあったのでしょうか。
最初のきっかけは10年前にさかのぼります。ただその時は、まだ自分はこのプロジェクトに関わっていませんでした。当時、プロデューサーやNGOに関わる人たちが聴覚障がい者の文化に関心を持ち、「何か作品にできないか」と考えていたんです。最初はドキュメンタリーなのか短編なのかも決まっていませんでした。
その後、いくつか短編の脚本が書かれて、その中の一つに「海の中で手話をする」というシーンがありました。それを読んだとき、とても強く印象に残ったんです。私たちは普段、手話は“聞こえる世界では不便なもの”だと考えがちですが、海の中ではむしろ優位に働きます。この視点の反転が、とても重要だと感じました。それは単に設定として面白いというだけでなく、「何が不利で、何が有利なのか」という基準自体が、実はとても相対的なものだという気づきでもありました。
――そこから「聴覚障がい」というテーマが、より具体的になっていったのでしょうか。
はい。さらに話を聞いていく中で、「聴覚障がい者のアイデンティティ」という考え方に出会いました。もし完全に聴力を回復できる技術があったとしても、それを選ばない人がいる、という話を聞いたとき、大きな衝撃を受けました。それまで自分の中では、「聞こえるようになること」は当然良いことだと、無意識に思っていた部分があったと思います。でもそうではない、と。
そのときに、このテーマを映画にするべきだと思いました。ただ同時に、すぐに理解したのは、これは一つの価値観でまとめられる話ではない、ということです。人工内耳を選ぶ人もいれば、手話を選ぶ人もいる。そして両方を使いながら生活する人もいます。この多様性こそが、この題材の核心だと思いました。
――リサーチもかなり徹底されています。
かなり時間をかけました。正直に言うと、楽しいというよりは、むしろ大変で、ある意味では苦しいプロセスでした。この題材は実在する人たちの生活に関わるものなので、いい加減な理解のまま扱うことはできないと思っていました。
本を読んだり、ドキュメンタリーを見たりするのはもちろんですが、それ以上に、実際に多くの聴覚障がい者の方と会って話をすることを大切にしました。また、自分自身も手話を学びました。しかも通訳なしで、直接教わる形です。
音のない空間で、ジェスチャーだけを頼りに理解していく。その過程は非常に新鮮で、自分がどれだけ「音」に依存しているかを強く意識させられました。この経験は、映画の中の手話のシーンや、コミュニケーションの描写に直接つながっています。
――劇中では異なる立場の人物が描かれています。この構成はどのように生まれたのでしょうか。
最初から設計していたわけではありません。リサーチを重ねる中で、自然と見えてきたものです。強く自分のアイデンティティを肯定する人もいれば、そのあいだで揺れている人もいる。そして両方の世界を行き来できる人もいます。
そうした異なる立場を並べることで、より現実に近い構造になるのではないかと考えました。一つの立場だけを強調すると、分かりやすい物語にはなりますが、現実からは離れてしまいます。この映画では、その「揺れ」や「矛盾」も含めて見せたいと思いました。
――主演のジョン・シュッインの演技も非常に印象的でした。
彼女はとても重要な存在でした。以前に一度一緒に仕事をしたことがあり、そのときから印象に残っていましたが、この役に最初から想定していたわけではありません。
ただ、彼女が手話を学び、コミュニティとも関わっていることを知り、「この役に合うのではないか」と思うようになりました。実際に一緒に作業してみると、彼女は単に手話ができるというだけでなく、その文化の中にある感覚や距離感を理解していました。それがこの役にはとても重要だったので、最終的にお願いすることにしました。
――本作では音の扱いも非常に特徴的です。
音は最初から重要な要素だと考えていました。単に「聞こえる/聞こえない」を表現するのではなく、それぞれの人物がどのように世界を“知覚しているのか”を伝えたかったんです。
人工内耳を使っている人や医師にも話を聞き、その体験をできるだけ具体的に理解しようとしました。
同じ「音」でも、どう聞こえるかは人によってまったく違います。その違いが、その人の感じ方や性格にも影響しています。だからこそ、音響は単なる演出ではなく、その人物の内面を表すものとして扱いました。
「私たちの話し方」が提示しているのは、「聞こえる/聞こえない」という単純な対立ではありません。むしろそこにあるのは、「どのように世界と関わるか」という選択の問題です。人工内耳を通じて“普通”に近づくことも、手話を通じて自らの共同体を選び取ることも、どちらも一つの生き方であり、そこに優劣は存在しません。しかし同時に、その選択は常に社会的なまなざしの中に置かれています。とりわけ、「科学が発展すればろう者はいなくなる」という発想に象徴されるように、“正常”への同化を前提とする価値観は、無自覚のうちに排除の論理を含んでいます。
本作は、その構造を強く告発するわけではありません。むしろ、静かに、しかし確実にそれを可視化していきます。そして観る者に問いを残します。私たちは本当に、「普通」である必要があるのでしょうか。あるいは――“普通”とは、誰が決めているのでしょうか。その問いは、作品を離れたあとも、長く観客の中に残り続けます。
(筆者:徐昊辰)
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私たちの話し方
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