第78回カンヌ国際映画祭審査員賞受賞作、 第98回アカデミー賞ドイツ代表に選ばれた「落下音」が公開された。ギャガ新設のアートハウス映画レーベルNOROSHI配給第2弾として公開される本作は、新鋭マーシャ・シリンスキ監督による4つの異なる時代を生きる4人の少女たちが、同じ土地で体験する不可解な出来事を描いた、百年にわたる映像叙事詩だ。
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【フォトギャラリー】語られなかった土地のトラウマ、百年の時を経て響きあう少女たちの不安――「落下音」場面写真
カンヌ映画祭公式上映後には、その独自の映像表現と世界観で批評家、観客を驚嘆させ、テレンス・マリック、ジェーン・カンピオン、ミヒャエル・ハネケ、デビッド・リンチらの名が引き合いに出されるものの、シリンスキ監督は、22歳で夭折した写真家フランチェスカ・ウッドマンの作品が「最大のインスピレーション源」と公言している。
世代の異なる4人の少女たちの胸に秘めた思いと出来事がある種の幽霊譚の如く描かれ、「失われた時を求めて」のように、時空を超えた記憶と感情を見るものの脳裏に投影する。シリンスキ監督がこのほど、日本メディア向けのオンラインインタビューに応じた。
――北ドイツのアルトマルクに監督が滞在したことが本作構想のきっかけになったそうですが、撮影地として選んだ理由は何だったのでしょうか。また、あの農場は監督や近しい方の所有物だったのですか?
あの場所がきっかけにはなりましたが、実は初めて訪れたわけではありませんでした。もともと共同脚本家のルイーゼと私は、「時代を超えて体に刻み込まれる感情や思い」や「世代を超えて受け継がれるトラウマ」をどのように映画にすればいいか、ずっと考えていたんです。ただ、私たちの関心は「目に見えないもの」だったので、どうすれば映画にできるか答えを出せない状態が続いていました。
アルトマルクの村自体は2018年から何度も訪れていました。四面を建物に囲まれた中庭がある農場なのですが、コロナ禍の際に「しばらく滞在してもいい」ということになり、長期滞在をしました。そこは数十年の間、空き家になっていた場所でした。滞在する中で「もしやこの建物が、私たちの考えていることを受け止める『入れ物』になるのではないか」という考えが生まれてきたのです。
ちなみに、アルトマルクの建物と私の個人的な繋がりは全くありません。私が育った場所でも、出身地でもありません。アルトマルクは旧東ドイツ地域ですが、私はそちらの出身ではなく、父親はフランス人ですし、ルイーゼもあの場所には関係ありません。
ただ、建物自体が出発点や決定的な要因だったわけではありません。この映画は他のどの場所でも誕生し得たと思っています。たまたま場所が旧東ドイツだったため、歴史的なトラウマと結びついている部分はありますが、私たちが何より興味があったのは、人物の内面世界でした。
――1910年代のアルマ、1940年代のエリカ、1980年代のアンゲリカ、そして現代のレンカ――4つの世代を生きた少女を描く物語の構成は、どの段階で決まったのでしょうか。土地の記憶に基づく映像イメージが先にあったのか、それとも4人の女性という設定が先だったのでしょうか。
私たちが描きたかったのは、自分たちの中にある「どこから来るのかわからない不安や恐れ」です。世の中がうまくいっているように見えても抱えてしまうこの不安はどこから来るのか。時代を通して体に刻み込まれ、受け継がれている感情を見てみたかったのです。
リサーチをする中で、かつての女性たちが死ぬまで誰にも語らず、胸にしまっておいた話がたくさんあることが分かりました。それは非常に強い「恥」の気持ちと結びついている経験であることが多いのですが、そうした経験が世代を超えて、何らかの形で人々の体の中に刻み込まれている、先祖と繋がっていることを示したいと思いました。
次に、その「目に見えないもの」をどう映画に落とし込むかを考えた際、あの建物であれば感情を捕まえられるのではないかと考えました。私たちが日常的な何でもない会話をしている同じ場所で、かつて誰かが人生に関わるような経験をしたかもしれない。その組み合わせから緊張感が生まれると考えました。
私自身、子どもの頃から「今自分が座っている場所に、昔はどんな人が座り、何を考えていたのだろう」とずっと考えていました。その感覚を映画に活かしています。そこに暮らした全員の意識の流れが、同時に記憶し、夢を見るような意識の流れを映画として捉えたいと思いました。
リサーチを進めるうちに、視点は4人の女性に集約されていきました。当初は男性の登場人物も考えていましたが、多くの女性たちが歴史の余白に追いやられるような秘密や暗い話を抱えて生きていたことが分かったため、それを物語の中心に据えることにしました。
建物の歴史から逆算し、1914年の第1次世界大戦、そこから直接の接点はないけれど何かが体に残るであろう二世代おきの設定を考えた結果、1910年代、40年代、80年代、現代という4つの世代になりました。
――原題はドイツ語で“In die Sonne schauen”「太陽を直視する(見つめる)」という意味ですが、英題は「Sound of Falling」、邦題「落下音」となっています。これらのタイトルについて教えてください。
実はかなり長い間、別のワーキングタイトルがありました。直訳すると「お医者さんは大丈夫だと言っているけれど、私は気持ちがブルーだ」というような長いタイトルで、4年ほど使っていました。しかし、配給会社から「長すぎて誰も覚えられない」と言われ、カンヌ国際映画祭への出品が決まった際に、新しいタイトルを考えることになったのです。
そして最初に決まったのが英語の「Sound of Falling」で、オリジナルとなります。その後、ドイツの配給会社が「どうしてもドイツ語のタイトルが欲しい」と言うので、熟考しました。
しかし、ドイツ語には「Sound」に相当する適切な単語がありません。Geräusch(ゲロイシュ)という言葉はありますが、どちらかというと、英語でいうところのノイズ(雑音)に近いニュアンスになってしまいます。そこで、劇中で登場人物が目を閉じて太陽を見る場面から着想を得ました。
目を閉じて太陽の方向を向くと、まぶたの裏で光がオレンジ色に揺らぎます。私たちは太陽を直接見ることはできず、見ようとすれば痛みを伴います。同じように「死」を直視することも痛みを伴う。そんな連想から決めたタイトルです。単に表面を見るのではなく「その中を見つめる」というニュアンスが含まれています。
――セリフが少ない映画作りにおいて、監督にとっての「映画の持つ力」とは何ですか?
人は時間が経つと、自分や他人が言った言葉を正確には思い出せなくなります。しかし「感覚」は思い出せると思うのです。ある場所に行った時の気持ちや、誰かと会った時の感覚は、ずっと残ります。
脚本を書くプロセス自体が「記憶を呼び覚ます」作業だったため、自然と対話の少ない、感覚を重視した映画になっていきました。名前の付かない感情や、自分からも他人からも隠しておきたいような感情に、私たちは強い関心を抱きました。
私たちは自分の体に囚われて物事を見ていますが、後から何かを思い出す時、その場面を「外から」見ているようなイメージとして思い出しているのではないでしょうか。そういう意味で、記憶というものは必ずしも当てになりませんが、一方で「感覚」や「感情」は、ずっと残る非常に大事なものだと信じています。
【作品情報】
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落下音
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(C)Fabian Gamper - Studio Zentral