かつて人気芸人だった人物が今、寿司職人としてカウンターに立っている。2000年代後半、お笑いのショートネタブームの中心で、テレビに引っ張りだこだったお笑いコンビ「はんにゃ.」のツッコミ担当・川島章良氏(44歳)だ。
川島氏は、がんを経験するなど人生の荒波を経て、間借りという形で寿司店を始動させた。
転身への思いと苦労、紆余曲折の人生を川島氏が回顧する。
寿司店なら「芸人のスキル」が生きる
ーー恵比寿で「鮨 川しま」を始められましたが、なぜ寿司店を?
川島章良:
理由はいくつかあります。かつて父が京都の祇園で「津乃鶴」という懐石料理店をやっていて。父が退いたあとは、父の兄弟が引き継いでいたんですが、残念ながら12〜3年前に閉店してしまいました。いつか「津乃鶴」の屋号を復活させるのが悲願だったんです。
ーーそのための大きな一歩ですね。お父様の反応はいかがでしたか?
川島章良:
号泣して喜んでくれました。
ーー懐石料理ではなく、寿司店にしたのはなぜですか?
川島章良:
職人とお客さんが、カウンター越しでコミュニケーションをとる業態だからです。芸人として20年やってきて鍛えられた「空気を読んで話す能力」が生きると思いました。
5か月の修行でイロハを学ぶ
ーー飲食の経験はあったんですか?
川島章良:
父の影響で、料理を始めたのは小学2年のころ。アルバイトですが、イタリアンのお店で働いたこともあります。2018年からだしパックのEC販売店「津乃鶴だし」を営んでいて、だしの研究はかなりやってきました。お寿司屋さんのメニューにも、だしはかなり大事な要素になるので繋がっています。
ーー寿司は技術が必要ですよね。修行はどのくらいされたんですか?
川島章良:
間借りをさせていただいているお寿司屋さんの大将について約5か月教わりました。子どものころから料理もしていましたし、だしパックの会社のレシピ研究もやってきたので、ゼロからという感じではありませんでしたね。経験もあったので、調理や調味については覚えが早かったみたいで、2回目でもう「握れているね」と言ってもらえました。ただ、シャリの硬さや形を、満足のいくものにするのが大変でした。ネタを置いた瞬間にフワッと沈む感覚を目指したものの、なかなかできなくて。
ーー壁を乗り越えるため、何をされました?
川島章良:
日々、1匹の鯛をさばいて、それを80貫くらい握っていました。また、お客様相手だと、スピードも必要になるので、3時間で350貫を握る練習などもしましたね。オープン前には大将から「お客さんに出しても問題ないレベル」というお墨付きをいだだけました。
初日は「本当に緊張した」
ーー実際に営業を始めてみて、いかがでしたか。
川島章良:
1人前25,000円のコースでして、決して安くはないんです。当然、下手なことはできません。ようやく慣れましたけど、最初は本当に緊張しました。
ーーテレビや舞台など、緊張するシチュエーションは数多く経験しているはずなのに。
川島章良:
練習通りにはいきません。オープン初日、一人目のお客さんの1貫目は、置いた瞬間にお寿司がコテっと転んでしまいましたからね(笑)。
ーーそれは焦りますね(笑)。客層はどんな感じですか?
川島章良:
紹介制なので芸人仲間が中心ですが、時には上場企業の社長さんも来られます。舌の肥えた方に鍛えていただいている緊張感があります。
ーーどんなメニューを提供しているんですか?
川島章良:
仕入れによって変わるので、ネタやメニューが変わりますが、だいたい1人前18品ぐらいを出していますね。カウンター6席を2回転しているので、1日12人のお客様に食べていただいています。
「いいとも!」に出て、売れたことを確信
ーー2008年ごろからのブレイク時は、どのような生活だったのでしょうか。
川島章良:
2009年は505本の番組に出演させていただきました。子ども向けの帯番組では1つのコーナーを1日で20本撮りしたこともありました。
ーー調子に乗らなかったんですか?
川島章良:
それはなかったです。同期のオリエンタルラジオは、もっと早く、もっとすごいブレイクをしていましたからね。
ーーとはいえ、「自分たちも売れたな」と思えた瞬間もあったのでは?
川島章良:
『笑っていいとも!』(フジテレビ系列)のテレフォンショッキングに出た時ですね。子どものころから、一流芸能人が出る場所だと思って見ていましたし。
ーー当時は寝る時間もないほどでしたか?
川島章良:
毎晩深夜に劇場用のネタの稽古をしていましたから、服を着替えに帰るだけで、家で寝た記憶があまりないような状態です。
仕事の失速と、腎臓がん発覚
ーーその後、テレビへの露出が減少してしまいます。
川島章良:
シンプルに実力不足かなと。来た仕事をすべて受けようとしていたのですが、僕らの身の丈に合わない場面で失敗することもありました。
ーー例えばどんな仕事ですか?
川島章良:
真っ先に思い浮かぶのは、年齢の離れた大御所の方とトークだけで進める番組ですね。当時の僕らには何もできなかった。
ーー仕事が減っていた2014年に腎臓がんが発覚。
川島章良:
実は、当時付き合っていた女性にプロポーズをする30分前に告知を受けたんですよ。だから、結婚してはいけないんじゃないかとか、お腹の中にいる赤ちゃんにもがん細胞を持たせてしまっているんじゃないかとか、最悪のことばかり考えてしまいました。
ーー精神的にもかなり追い込まれていたんですね。しかし、その苦難も現状に繋がっているのかもしれません。
川島章良:
だしパック店を始めたのも、このがんがあったからです。自分の食事を見直し、だしを活用して塩分を控える研究を始めたことが今に繋がっています。ただ、そう考えられるのも、軸にあるのが芸人という職業だったからかもしれません。昔は、テレビや舞台で面白いことをするのが芸人だと思っていました。今は、「人生そのものが芸人」という感じです。芸人で、ここまでお寿司に向き合っている人は他にいないので、それも含め「あいつ何やってんだ」って面白がってもらえたら嬉しいですね。
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還暦になっても寿司を握り、芸人も続け、がんの講演も継続したいと川島氏は語る。人生のすべてを芸へと昇華させ始めた彼の挑戦を応援したい。
<取材・文/Mr.tsubaking>
【Mr.tsubaking】
Boogie the マッハモータースのドラマーとして、NHK「大!天才てれびくん」の主題歌を担当し、サエキけんぞうや野宮真貴らのバックバンドも務める。またBS朝日「世界の名画」をはじめ、放送作家としても活動し、Webサイト「世界の美術館」での美術コラムやニュースサイト「TABLO」での珍スポット連載を執筆。そのほか、旅行会社などで仏像解説も。
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