Why Japan?私が日本でプレーする理由
ドミトリー・ムセルスキー/サントリーサンバーズ大阪
ロングインタビュー第4回(全4回)
サッカーのJリーグだけでなく、バレーボールのSVリーグにも、さまざまな国からやってきた外国籍選手が在籍している。彼らはなぜ、日本を選んだのか。そしてこの国で暮らしてみて、コートの内外でどんなことを感じているのか。シリーズ初のバレーボール選手は、先日、今シーズンかぎりでの現役引退を発表した元ロシア代表ドミトリー・ムセルスキーだ。
【日本で一番印象に残っている試合は昨季決勝第1戦】「サントリーサンバーズ大阪に入団してすぐの頃、チームメイトがみんなで私の誕生日を祝ってくれたんだ。あんなに温かく迎えてくれるなんて想像していなかったから、本当に嬉しかったよ。その後に、みんなで釣りに行ったり、バーベキューをしたりして、すぐに打ち解けることができた。チームと仲間の計らいに、心から感謝している」
対戦形式の練習でポイントを取り、チームメイトと喜ぶドミトリー・ムセルスキーphoto by Shogo Murakami
日本で一番印象に残っていることは何かと訊くと、ドミトリー・ムセルスキーはそう応じた。なかなか具体的な言葉を返さない彼にしては、珍しい回答だ。それくらい、特別な出来事だったのだろう。
異国で暮らし始めた時に、自分を受け入れてもらえる場所があると感じると、とても嬉しいし、落ち着くことができる。初めて国外での生活を始めたムセルスキーにとって、節目の30歳の誕生日は微笑ましい記憶となり、彼の心に刻まれている。
またスポーツ面でも、日本での最高の思い出は、バースデイに関連するものだ──ただし、それは彼の妻が生まれた日だった。
「私は妻の誕生日に行なわれた試合で、一度も負けたことがない。だが、昨シーズンのSVリーグ・ファイナルの第1戦は危なかった」
2025年5月3日に行なわれたSVリーグ決勝第1戦で、サントリーはジェイテクトSTINGS愛知に2セットを先行された。しかしそこから驚異的な粘り強さを見せ、第3セットを26-24で奪い、続く2セットを32-30、26-24でモノにし、3時間25分に及ぶ死闘を制した。第1話の冒頭で紹介したロンドン五輪決勝にも通じる大逆転劇だ。サントリーは翌々日の第2戦をストレートで勝ち、SVリーグの初代王者に輝いている。
【長年にわたって酷使してきた身体は確実に擦り減っている】「自分の人生で一番の試合はロンドン五輪決勝だが、このSVリーグの一戦も実に印象深いものだ。(両チームを通じて)マッチポイントは計21回もあった。最後の最後まで、どちらが勝ってもおかしくなかったんだ。でも妻の誕生日だったこともあり、私は勝てると信じていたよ」
その時もスタンドからは大勢のファンが声援を送っていた。日本のバレーボールファンについては、次のように語る。
「ものすごく親切で、思慮深い人々だと思う。そしてすごく驚かされたのは、選手にプレゼントを持ってきてくれることだ。自分にとっては初めての経験だったし、嬉しかった。それから彼女たちや彼らは、一緒に写真に収まりたい時には、こちらにきちんとお願いしてくる。ほか国では、いきなり肩を組まれて撮られたりすることもあるから」
そうしたすべてが、ムセルスキーの胸に生き続けると、彼は言う。チームメイト、コーチ陣、スタッフ、ファン、数々の激戦──加えて、穏やかな日々や行く先々で触れた日本の伝統や文化なども。そして8年間を過ごした日本には、また戻ってきたいと言う。
「引退後に指導者になるつもりはまったくないが、古巣の試合を観戦するために、また日本を訪れたいと思っている。ここには友だちもいるし、忘れられない場所になったから」
──その時を皆が待っているはずです。
「どうかな。アスリートは今その瞬間に活躍していることが重要だから」
ムセルスキーは最後にまたそう言った。そしてこちらが差し出した右手を大きくて分厚い手で包み込み、インタビューは終わった。
その後、私たちはチームの練習の冒頭を見学させてもらった。コンディションが万全ではなかったムセルスキーは念入りにストレッチをして、チームメイトと同じメニューをこなしていく。ボールをふたつ使った3対3の練習では、ポイントを取るごとに仲間と喜び合い、失点すると共に悔しがった。188センチの髙橋藍が小さく見えるほどのチームの主柱かつチームプレーヤーは、現役最後のシーズンを楽しんでいるようだ。
ただ彼自身が言うように、長年にわたって酷使してきた身体は確実に擦り減っている。このインタビューの後、サントリーは第15節のヴォレアス北海道との2試合に連勝したが、ムセルスキーの出番は短かった。
【「息子もバレーボール選手を目指すかもしれない」】そして彼が先発を外れた日本製鉄堺ブレイザーズとの第16節では、あろうことか、2戦連続で0-3のストレート負けを喫している。サントリーがすでにチャンピオンシップの出場権を手にしているとはいえ、驚きの結果に変わりはない。それまで1敗しかしていなかった王者の連敗の要因には、チームの根幹を担ってきた元ロシア代表アタッカーの不在があるはずだ。
願わくば、今シーズン中にムセルスキーのフィジカルコンディションが整い、またあの圧巻のパフォーマンスを披露するようになればいいと思う。バレーボールの真のレジェンドの最後のシーズンにふさわしい花道が作られることを祈っている。今シーズンのチャンピオンシップは5月17日までと公式に記されており、彼の妻の誕生日とは重ならないようだけれども。
「8年間というのは、長い時間だ」とムセルスキーはインタビューの終盤に言った。
「だからロシアに戻ったら、またその生活に慣れる必要がある。新しい生活、いや古くて新しい生活に。家族と共に、またいちから築き上げていくよ」
──息子さんの将来も楽しみですね。
「あるいは彼もまたバレーボールの選手を目指すかもしれないし、フットボールの選手になりたいと言うかもしれない。私は黙って見守るだけだが」
静かで穏やかなバレーボール界の巨星がいた8年間を、日本のこのスポーツに携わる人々は感謝しているに違いない。トップ中のトップレベルの人材がもたらしたものは、目に見えるものからそうでないものまで、数多あるはずだ。
日本のバレーボールファンは、ムセルスキーの勇姿をあと何回見られるだろうか。またコートに戻り、パワフルなスパイクやサーブやブロックに加え、あの優しそうな笑顔を見せてくれることを願っている。
(了)
ドミトリー・ムセルスキーDmitriy Muserskiy
1988年10月29日生まれ、旧ソ連・マキイフカ(ソ連崩壊後にウクライナ領となり、現在はドネツク人民共和国の施政下)出身。8歳でバレーボールを始め、15歳でプロになり、23歳の時にロシア代表として出場したロンドン五輪の決勝で大活躍し、金メダル獲得に貢献した。W杯、欧州選手権、チャンピオンズリーグ、クラブ世界選手権など、代表とクラブの双方で様々なメジャータイトルを手にした後、29歳の時にサントリーサンバーズ大阪へ移籍。日本での8シーズン目となる今季かぎりで、現役を退くことを表明している。身長218センチ、ポジションはオポジット(元はミドルブロッカー)。
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