橋田壽賀子脚本の人気長寿ドラマシリーズ『渡る世間は鬼ばかり』(TBS系)で10歳から12年間、“加津ちゃん”こと野々下加津役を演じていた宇野なおみさん(36歳)。かつて“天才子役”と呼ばれた宇野さんは現在、フリーライター、エッセイストとして活動中です。
そんな宇野さんが30代女性として等身大の思い、ちょっとズッコケな日常をお届けするエッセイ連載。今回は宇野さんが“ある縁”のある静岡県熱海市を訪れたときのことを綴ります(以下、宇野さんによる寄稿)。
脚本家・橋田壽賀子先生ゆかりの地、熱海へ
ちょっとした出会いで人生は変わる。
なんておセンチメンタルな書き出しをしてみました。皆様ご機嫌よう、宇野なおみです。私はちょっとした出会いを積み重ねて、こんな徐々に奇妙な人生を送っているんですが、今回は久しぶりに熱海に行ったお話です。
熱海と言えば、橋田先生のお住まいがあったことで有名。2026年1/10~2/23に開催されていた、「熱海市名誉市民脚本家橋田壽賀子生誕100年記念特別展」に行ってまいりました!
まずはちょいと観光をしてみる
熱海駅前も結構様変わりはしていましたが、昭和レトロを体現したような街並みは残っておりました。驚いたのは、若い観光客がいっぱいだったこと!関東近郊には手軽な観光地なのかもしれませんね。温泉も海もありますし。
先生のお宅には何度かお邪魔したことがあります。出演者やスタッフさんで伺う機会などがあったんですよ。TBSチャンネルの番組でお邪魔したこともあったかな……?
というわけで、改めて観光をしてみることにしました。なんでかって?今までは熱海駅でタクシー拾って「橋田壽賀子先生のおうちまで」って言うだけだったからですよ!どういう仕組みなんでしょうね、個人宅の名前を言えば連れてってもらえるって……岩崎弥太郎みたいだ。
豪華絢爛! というより、快適であたたかなおうちだったことを覚えています。でももちろんかなり広かったですし、高級なことは間違いなかったと思います。
「ちょっと」のつもりが結構満喫
まずパワースポットという來宮神社(きのみやじんじゃ)へ。楠の木が有名です。冬とは思えないあたたかさだったので、のほほんと日光浴をいたしました。
それから地元のケーキ屋さんに飛び込み、おいしそうなケーキをゲットして梅園へ参りました。足湯入れましたよ~!
地元のゆるキャラと写真撮りたかったのですが、子ども優先で断念。遠近感でツーショを叶えました。
それから歩いていたところ、偶然「双柿舎」(そうししゃ)に遭遇。もともとあることは知っていたのですが……ここはシェイクスピア全集を翻訳し、早稲田大学の教授でもあり、新劇の成立に深くかかわられた坪内逍遥(つぼうちしょうよう)先生のご自宅です。
都の西北の制作に関わった人、と言えば比較的わかりやすいかしらん。今回も大学のせんぱぴ(あだ名。仲が良すぎて、もはや敬語とこのふざけた敬称だけが私を後輩たらしめている)が一緒だったので、「早大の学徒として寄るべきです!!」と言い、散策をいたしました。
偉大なる逍遥先生も創作の壁にぶつかり、作品を作ることは一時断念したという年表に励まされました。わかる~~~!!!友達?
文豪たちの展示の奥に橋田先生の展示が!
さて、すでに自分たちの目的を忘れそうになっていますが、ようやく大正時代の別荘、戦後は高級旅館として名を馳せた起雲閣に到着です。
『ズッコケ三人組』モーちゃんに雰囲気そっくりのせんぱぴがのんびりと言ったのは、「なんでここ来たがってたの?橋田先生の展示は?」。「……ここで展示してるって言ったじゃないですか」とズッコケる、ハチベエ似の私。
気を取り直して。起雲閣自体がま~~素敵な建物でして。なかなか展示にたどり着けませんでした。何しろ私は古い日本の洋風建築が大好き。神戸の異人館や福島の「天鏡閣」都内ですと「前田侯爵邸」「庭園美術館」など、あちこち訪れております。「住みたい」「もうここに住む」しか言わないんですけど(笑)。
起雲閣は庭を囲むようになっていて、中央にある美しい日本庭園を建物のどこからでも眺められるようになっています。根津美術館と同じ根津氏の設計なのですが、やっぱり通じるものがありました。建築やデザインもその人がにじみ出るのが興味深いですよね~。
起雲閣が旅館になってから、熱海を訪れる有名人が多く宿泊したそうです。中でも文豪とはゆかりが深く、『金色夜叉』の尾崎紅葉はもちろん、志賀直哉、谷崎潤一郎、太宰治、坪内逍遥といった宿泊・訪れた文豪の展示が宿のお部屋それぞれにあります。
ひとつひとつの部屋に上がってのぞくのが、なんだか編集者になった気分。本の虫なのでここでいくらでも時間が溶けそうでした。どれもいいお部屋!
いよいよ企画展示室へ
ぐるっとすべての部屋を回って、ついに最奥の「企画展示室」へ。ここで橋田先生の展示があります。盛況でした!
まず目に入るのは、石井ふく子先生とのツーショット。去年の橋田賞のパーティーでも展示されていた写真ですが、実によい写真です。もう一枚、お若いころのおふたりもありました。
昭和~平成のテレビ黎明期から女性プロデューサーと脚本家、というタッグで文字通り道を切り開いてきた最強バディのおふたり、喧嘩はしょっちゅうだったと聞き及んでいますが、唯一無二の雰囲気が写真からのひしひしと。いいなあ……憧れます。
たまに混じる見覚えのあるもの
先生の資料庫か書斎での写真だと思うのですが(渡鬼の単行本が映り込んでますね)、かつて先生のおうちで、遊び飽きた私、ここでくつろいで『春日局』のコミカライズを読んでいた記憶があります。怒られろ……親戚の家に来てるんじゃないんだから……。その節はまことに申し訳ありませんでした。
ちなみに、渡鬼の台本に関しては「これ撮らなくていいかも、家にある」と言っていました。ちょいちょい家にあるものがあったんですよね☆
台本の隣には幸楽のメニュー。私はメニュー表を立てかける芝居がついていたことが多かったので、よく触っていましたね。何食べたいか、とか話していた記憶。
黎明期からの女性脚本家としての胆力
橋田先生は松竹脚本部で最初の女性社員として抜擢されたそうですが、思うようにキャリアが築けなかったようです。テレビの脚本家という道にたどり着きますが、当時はテレビを書く人の立場は低かったとか……。
『西郷どん』中園ミホ先生、『アンナチュラル』野木亜紀子先生、『虎に翼』吉田恵里香先生、『国宝』奥寺佐渡子先生、綺羅星のように活躍される女性脚本家の先端にはこの方がいたわけで……。
先生が南極でペンギンといるかわいらしい写真もありましたが、ご当人がまさに「ファーストペンギン」だったんですよね。
今を生きるわたくしは、ちょっとした女性差別を受けるとゲーーーーー!!!!!!!! 信じられない!!!!! ここは令和! お前は昭和! 遺物と決別! と叫びそうになるんですが、(すぐ韻を踏む癖がある)当時のエンタメ業界で、先生はいかに大変だったことでしょうか。どれだけの辛酸を舐めながら、逃げずに書き続けたのでしょう。私は、小柄なその背中に背負ったものの重みとすごみに、いつも圧倒されていました。
ほんの少し混じりあって
実をいうと、先生との思い出は実はそう多くないんです。現場に来る方ではなかったですし、私なぞ、番組の末席に座らせていただいていた子どもでしたからね。でも、わずかな記憶でも強烈に残り、今の私に強い影響を与えています。
シャイだから現場に来ないと伺っていましたが、先生はずっと、書くことに夢中だったのでは、と思います。手書きの原稿はその証。熱海の海を見ながら、人から見れば山籠もりのように、ずっと書いていたのでしょう。退屈とは無縁だったのではないでしょうか。作家って多分そういうもの……。
伝説の女性脚本家と言えば向田邦子さんが真っ先にあがるかと思います。ただ、あれほどに書き続けた女性脚本家は、まだ橋田先生ひとりなのではないでしょうか。亡くなる数日前まで書いていたと聞きますし。
書き続ける天才、おそろしい生き物です。
せっかくなので海まで歩き、持ってきたとらやのミニようかんと懐紙(茶道で使う、紙のお皿代わり)でおやつタイムをしつつ、ぼんやり考えておりました。ちなみに前に書いた「セルフサブスク」の2月分です!
目標にするには偉大過ぎて、お釈迦様の手の中の孫悟空のような気分ですけれども。私もせめて、「書き続ける」だけは頑張っていきたいと思います。
<文/宇野なおみ>
【宇野なおみ】
ライター・エッセイスト。TOEIC930点を活かして通訳・翻訳も手掛ける。元子役で、『渡る世間は鬼ばかり』『ホーホケキョ となりの山田くん』などに出演。趣味は漫画含む読書、茶道と歌舞伎鑑賞。よく書き、よく喋る。YouTube「なおみのーと」/Instagram(naomi_1826)/X(@Naomi_Uno)をゆるゆる運営中
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