カーリング女子日本代表にとって、8度目の五輪は厳しい結果となった。
ミラノ・コルティナ五輪のラウンドロビン(総当たり予選リーグ)初日、スウェーデン戦、デンマーク戦と続けて敗れると、3戦目のスイス戦は競り勝って初白星を挙げたが、そこからアメリカ、韓国、カナダ、イタリア、イギリス相手に5連敗。最終戦の中国戦で2勝目を飾るも、2勝7敗で8位に終わった。
ミラノ・コルティナ五輪では2勝7敗の8位に終わったカーリング女子日本代表photo by Tsutomu Kishimoto/JMPA
全9試合のうち、8試合で3点を失うエンドがあった。逆に、日本が3点以上獲得したエンドはイタリア戦での一度のみ。思うようにスコアを動かせなかった。
アイスリーディング(氷の読み)にも苦しんだ。
大会序盤から、予想以上に伸びるクセを持つ石、滑りのあるアイスに、フロントエンドからなかなかアジャストできず、セットアップの時点でアドバンテージを作れなかった。もちろん、リードの近江谷杏菜もセカンドの小谷優奈もいいショットは放っているのだが、自身が担う2投を好ショットでそろえることが難しかった。
また、日本が2点以上リードしている状況があったのは3試合だけ。それも、わずか3エンドのみだ。
常に追う展開を強いられ、複数点を狙うためにコーナー戦を挑む。もちろん、それ自体は悪いことではない。もともとセンター戦とコーナー戦でバランスよく戦えるのがフォルティウスの強みだ。
しかし今大会は、センターライン付近のアイスが手探り状態のまま、コーナーにも投げざるを得ない、という状況ばかり。その結果、盤面を悪くしたところで、相手に中央を固められてスチールされる、という悪循環からなかなか抜け出せなかった。
それでも、開き直って挑んだ最終戦の中国戦では、フォルティウスらしさを存分に出してくれた。リードからフォースまで、それぞれのショットが2本そろわなくても、1本ずつは必ず好ショットを決め、ミスが出ても次のショットでそれをカバー。持ち味となる粘りのカーリングを見せてくれた。
ショット率は、スキップの吉村紗也香が相手スキップに投げ勝ったのみ。チームとしても中国を下回ったが、キーショットを決めることで余裕を作り、辛抱強くゲームを進行させた。世界と戦える潜在能力は見せたと言える。
ただ、厳しいことを言えば、参加10カ国中8位だった、ということ。プレーオフ進出は叶わず、期待された結果が出せなかった。
難しいアイスだったのは確かだが、それは各国とも状況は同じだ。アイスリーディングに遅れが出たのは、フォルティウスというよりも日本代表全体の課題として、今後に生かしていかなければならないだろう。
日本代表ということで言えば、フォルティウスが必死にあがいているなか、五輪代表チームの選考方法への疑問や、「他のチームであれば......」といった意見を耳にした。
無論、選手たちはもちろんのこと、応援してくれたカーリングファンにとっても、今回の結果は望んだものではなかったに違いない。だが忘れてはいけないのは、フォルティウスが五輪出場を勝ち取ってその舞台に立った、という事実だ。
日本は2022年北京五輪以降、男子、女子、ミックスダブルスの世界選手権でメダルを獲得できたのは、2023年ミックスダブルの松村千秋(中部電力)&谷田康真(北海道クボタ)ペアの銀メダルだけだ。男子、女子、ミックスダブルスのいずれも、世界選手権の結果に応じて振り分けられるオリンピックポイントを獲得できず、ミラノ・コルティナ五輪出場に向けては、すべての種目が世界最終予選に回っている。
そもそもミラノ・コルティナ五輪において、最も危惧されていたことは、オリンピック本番で勝てないことではない。男子、女子、ミックスダブルスのすべてが最終予選を勝てず、オリンピックにカーリング選手団を送り出せないことだ。オリンピックでカーリング競技の話題がなく、4年に一度の普及のチャンスを逸することだ。
そういう意味では、フォルティウスはオリンピックのアイスに立って9試合を戦い抜いたことで、日本代表のタスクは十分にこなしている。
悔し涙は、自分たちのためだけに流す権利があるし、他者がそれを批判する理由はひとつもない。重要なことは、今回の結果をこれからどう糧にしていくのか。
フォルティウスも、日本カーリング界も、捲土重来を期す必要がある。
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