こども家庭庁の調査によれば、2023年度に報告された児童虐待相談対応件数は、22万5509件と調査以来過去最多を更新した。
一方で、虐待を受けた子どもが、被害を認識できずSOSを出せないケースも多い。両親が生活の拠り所である子どもからすれば、両親が自分を傷つけているとは思いづらく、無意識のうちに「自分がおかしい、悪いのだ」と自責するケースもあるはずだ。
山本楓さん(仮名・24歳)も、家族からの虐待に気付けなかった一人だ。
思春期に父から無視や威圧的な言動を受け、家庭内では常に緊張を強いられていたものの、当時の山本さんはそれを「虐待」だとは捉えていなかった。むしろ「自分の振る舞いが悪いから」と、原因を自分に求め続けていたという。
なぜ子どもは、家庭内の異常に気づけないのか。そして気づいたときには、なぜ心や身体に深刻な症状として現れてしまうのか。山本さんの話から、虐待が「見えにくい形」で残す傷と、その後の人生に及ぼす影響をひもといていく。
小6から始まった兄弟差別
山本さんに対する虐待が始まったのは、小学校6年生の頃だった。
「父が突然、私を無視するようになりました。他のきょうだいとは普通に接しているなか、なぜか私だけを無視するようになったんです。母は『そんなこといちいち気にしなくていいよ』と軽く流すのですが、どこか腑に落ちず引っかかっていました」
ただ、中高生になると、父からの心理的虐待はエスカレートしていく。
「ドライヤーや、歯磨きをしてる時など、私が物音を立てるたびに、父は『うるさい』と怒鳴ってきました。
ただ特徴的なのは、私に直接怒るのではなく、他の家族に鬱憤をぶつけるんです。『誰だこんなうるさい音を鳴らしているのは』と圧力をかけてくる。明らかに私を責めているとわかっているのですが、あえて周りに文句を言うことで、『私が何かをしでかすと、私以外の家族が犠牲になってしまう』と余計に重圧を与えられているようでした。
家庭内では、できるだけ家族に迷惑をかけないよう、父に物音を漏らさないように過ごしました」
当時、小学生だった山本さんにとって、父が無視を始めた真意はわからなかったが、気にしないようやり過ごしてきた。
1歳の時に実父が死去
父から心理的な虐待を受けてきた山本さんだが、傍目からその光景を見ていたきょうだいもまた心的ストレスを抱えていたはずだ。
心理的虐待の一種に、「面前DV」という概念がある。これは保護者や配偶者が、子どもの目に届く範囲で、他の家族に暴力や暴言を振るうことと定義されている。
子どもからすれば、直接的に被害を受けないものの、間接的にショックやストレスが刻まれることで、成長後の人間関係や精神面に影を落とすとされている。不眠や頭痛に加え、過度な緊張による不安障害、自己肯定感の低下、他者の反応に敏感になって対人関係に支障をきたすなど、心身に影響をきたすとされている。
当時を振り返り、山本さんは「同じ屋根の下に住むきょうだいも面前DVの被害に遭っていた」と考える。
「姉も面前DVを受けていたのだと思います。これは母から聞いた話ですが、私が生まれた翌年に、実父が亡くなっているんです。その頃、私はまだ物心がついていなかったのですが、姉は『新しいお父さんが欲しい』と頻繁にお願いしていたそうです。
姉からしたら念願の継父が、きょうだいである私に心理的虐待を繰り返すようになる。その光景を長期的に直視したせいか、姉は自責感や罪悪感を抱えていると、母から打ち明けられました。姉も同様に、実父との別れや、継父による面前DVを経験し、複雑な胸中を抱えていたのだと思います」
深夜帯は廊下の床で勉強
ただ姉は、上記のような鬱屈とした感情を、攻撃的な態度に転化させたのか、山本さんにぶつけるようになっていく。
「私が中高生の頃になると、姉は私に攻撃的な言葉をぶつけてくるようになりました。例えば、私が『友達に約束をドタキャンされた』と話すと、『それは性格が悪いあなたのせいだ』と言ってくるんです。
その際、姉は『私はあなたの家族だから、悪いところを指摘してあげているんだ』と、自分の言動を正当化するように説得してくるんです。姉もまたどこか、家庭内の鬱屈とした状況を、私にぶつけることで発散していたのかもしれません」
加えて、姉と同部屋だったことも、息苦しさにつながる要因となった。
「常に部屋の中では姉が優位に立っていたため、一人で気が休める時間もなく窮屈でした。
例えば、姉は大体いつも23時頃に就寝するのですが、私は定期試験や大学受験のため、深夜まで明かりをつけて勉強をしたい時が多かった。ただ、姉は部屋を真っ暗にすると言って聞かず、自室の外に出るしかありませんでした。
それで廊下に移動して、英語の発音などで声を出すと、父から『うるさい!』と怒られる。姿を見せても怒るときがあるので、常にビクビクしながら生活していました」
父からの虐待で「会食恐怖症」に
厄介だったのは、虐待を受けていた高校生まで、山本さん自身に虐待を受けている自覚がなかったことだ。
「正直、父が無視したり、些細なことで怒ってくることに関して真意はわかりませんが、虐待されていた自覚はまったくありませんでした。
それは、父が怒る原因が自分にあると考えていたからです。当時、父が怒るのは、私が小さい頃に何かしでかして、それに対してずっと怒っている。だから無視されたり、怒鳴られても仕方がないと思い込んでいました。
母からも『怒鳴られて言い返せないのが良くない』などと言われていたため、なおのこと私に非があると錯覚していました。後から冷静に考えれば、母は父の虐待を止めずに見過ごしていただけなのですが、当時は私のことを慮っての行為だと錯覚していました。
姉に関しても同様です。私に攻撃的な言葉をぶつけてくるのも、全部私のためを思っての助言だと思っていました。父はともかくとして、生まれながら一緒にいた家族から虐待が向けられているなんて露ほども思わなかったです」
自身に向けられた虐待を、山本さんが自覚し始めるのは大学卒業後。大学に通うため、実家を離れて祖母の家に移り住んでから、ようやく自身に向けられた虐待を自覚し始める。
きっかけは、大学の一般教養の授業で、心理的虐待に関する講座を受講したことだ。そこで兄弟差別の概念を知ると、父が自分だけ不当に無視していた記憶が蘇り、虐待の当事者であるのではと疑いを抱く。
他にも思い当たる節はあった。山本さんは高校生の時から、会食の場で食事が喉を通らなくなる状態にも悩んでいた。
「昼休みの時間や、土日に友達と遊ぶ際に、何人かでご飯を一緒に食べる機会がありますよね。そうした際、身体が硬直してしまって、箸が動かなくなるんです。友達との誘いも断らざるを得なくなり、対人関係を進めるうえで大きな悩みでした。
どうしてもその原因を突き止めたいと、社会人になってから精神科のカウンセリングを受診すると、いわゆる『会食恐怖症』という不安障害の一種だと知りました。
実家で家族と食事をする際、よく父に怒鳴られていたので、その光景を思い出すことで、反射的に身体が拒絶反応してしまうのだということでした」
母や姉は「味方のふりをしていただけ」
カウンセリングでは、家族関係や生育歴、両親との関係をはじめ、自身の半生を事細かにヒアリングされる。それらの聞き取りをまとめたカルテを見ると、改めて自身が受けた境遇が“普通ではない”と認識する。
「カウンセリングをきっかけに、母や姉の行為も心理的虐待にあたると知ったことで、強いショックを受けました。皮肉にもそこで初めて、自分の味方だと思っていた家族は、味方のふりをしていただけなのだと気づくのです。
そこから次第に、人間不信になっていきました。私に親切にしてくれる人に対しても不信感を抱いたり、母や姉を妄信していた自分の愚かさに落ち込んだりして、塞ぎ込んでいくようになりました」
もちろん一般論として、カウンセリングには一定の効果が期待できる。感情の安定や整理、ストレス対処能力の向上など、うつや自殺などの健康リスクが抑制される研究結果が実証されている。
一方で、カウンセリングでは、自身の過去と向き合う作業を伴う。山本さんがショックを受けたこともまた、つらい過去を思い出して気分が落ち込んだ状態とも言える。
ただその状態は、親や姉が異常だったという正常な認知を取り戻す過程でもある。一時的に絶望や不安が噴き出すことは、傷を傷だと正しく認識できるようになった証でもあるのかもしれない。
通院を重ねることで、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の診断も下りた。虐待による後遺症を自覚していくなか、現在はどのように向き合っているのか。後編に続く。
<取材・文/佐藤隼秀>
【関連記事】
