「苦労することと幸せであるということは無関係」障害児を家族として迎えた元牧師の主張

松原宏樹さん(左)、妻・斉子さんと遊ぶやまとくん

「苦労することと幸せであるということは無関係」障害児を家族として迎えた元牧師の主張

2月18日(水) 15:51

提供:
障害児や医療的ケアが必要な子を持つ家族からの相談を受け、特別養子縁組の支援にも携わる団体「小さな命の帰る家」。その代表を務める松原宏樹さん(57歳)は活動のかたわら、自らも障害を抱えた子ども2人を家族として迎え入れている。

障害を持って生まれたという理由で親から見放され、“帰る家”すら持てない子どもたちは少なくない。そうした現実と日々向き合い続けている松原さんに話を聞くため、奈良県の自宅を訪ねた。

赤ちゃんに障害があることで絶望しても責められない

自宅に入ると、廊下には買い置きのオムツが積まれ、リビングの入り口や階段口には子どもが行き来して危ない目に遭わないようにするためのゲートが設置されていた。医療的ケア児と暮らす家庭の日常が、そのまま切り取られているような空間だ。

松原さんには5人の子どもがいる。上の3人は実子。下の2人は生まれながらに重度の障害を抱え、特別養子縁組で迎えたやまとくん(6歳)と、えまちゃん(5歳)だ。

「子どもたちを救う活動を進める一方で、障害が重い子と出会ったら自分の家族に迎えようと決めていました。そんなときに相談を受けて出会ったのが、やまとです」

やまとくんはダウン症があり、心臓に穴が空いていた。実母は出生前診断を受けておらず、妊娠後期のエコー検査で初めて症状を告げられたという。

「相談を受けた時点で、ご両親はもう子どもを育てられない精神状態でした。お母さんは『この子が生まれたら殺して、残った家族と一緒に自分も死にたい』と話すほど追い詰められていました」

当時の母子手帳を見せてもらった。そこには、待望の男の子を授かった喜びや期待が枠いっぱいに綴られている。しかし、医師から障害があることを告げられた日を境に、記録はぱったりと途絶える。その「空欄」は母親の深い絶望が詰まっているように見えた。

「相当なショックだったんだと思います。出生前診断でダウン症と判明した結果、中絶を選ぶケースも増えていますし、障害に対する偏見もいまだ根深い。中絶が現実的でない段階での告知だったこともあって、パニックになり、そのように考えたのだと思います」

やまとくんは生まれたときから心臓の状態が悪く、NICUから出られない日々を送っていた。松原さんは、実親、病院、行政との話し合いを重ねた末、特別養子縁組というかたちで自宅に迎え入れた。

「迎え入れる直前、お母さんから『この子と家族になったら、あなたの実の子の結婚に悪影響が出ませんか』と聞かれました。でも、上の娘は『障害が理由で付き合えない人なら、こちらからお断りです』と言ってくれた。僕から頼んだわけでもないのに、うれしいひと言でした」

実の両親、そして病院からも見放されていたえまちゃん

2人目に迎えたえまちゃんは、ウエスト症候群、水頭症、染色体異常と、さらに重い障害を抱えていた。寝たきりで口から食事も摂れず、人工呼吸器と胃ろう(胃にチューブで直接栄養剤を流し入れる)が必要な医療的ケア児だ。

「えまは生まれてから半年以上、病院に置き去りにされていました。しかも、実の両親と連絡が取れず、手術の同意も得られなかった。初めて会ったえまは、一歳を過ぎているのに新生児用の服を着せられていて、急いで新しい服を買いに行きました」

迎え入れを巡り、松原さんは妻と長期にわたって話し合いを重ねたという。

「妻は『やまとの世話が大変な状況で2人目は難しい』と。当然の考えですし、僕も正直、できるかどうかわかりませんでした。でも親から見放されたこの子に、一日でもいいから帰る家を作ってあげたかったんです。仮に失敗してもいいから、一緒に家に帰ろうとした人がいたという事実を、この子の人生に残したい一心で、半ば強引に押し切りました」

その後、裁判所を通じて親権を移し、えまちゃんは松原家に“帰って”くることができた。だが、生活は想像以上に厳しかった。

「夜中に症状が急変することも多く、今も入退院を繰り返しています。しかも、こうしたケアに対する行政の支援は現状ほとんどない。本来、医療者でないと診られない子を、家族だけで抱えるのは本当に大変なんです」

えまちゃんのケースは決してめずらしいことではなく、こうした“医療同意拒否”は他の家庭でも起きている。

「赤ちゃんが手術をしなければ命に関わるとわかっていながら、その子の親が同意しないことがあります。障害を持って生まれた瞬間から愛情を持てず、助ける決断ができない。でも見殺しにはできず、引き取ってほしいとも言う。矛盾しているようですが、そこまで追い詰められてしまう気持ちもわからなくはないです」

一人でも多くの子どもに「帰る家」を作ってあげたい

松原さんは現在も、寄せられる相談に一つひとつ向き合いながら、養育を担うことができる家庭との橋渡しを続けている。ただし、特別養子縁組のあっせんは違法となるため、「活動には限界がある」とうなだれる。

「現状では、相談を受けて、養親候補に紹介するところまでしかできません。それでも、誰かが動かなければ、子どもはそのまま取り残されてしまう。何もしないよりは、前に進もう。そう思っています」

以前は自身で立ち上げた「NPO法人みぎわ」で同様の活動を行っていた。

「社員がいる組織において、法を犯す可能性があることはさせられない。でも、彼らを守ろうとすると、子どもが守れなくなる。活動を続けることで社員に負担を強いることはできないと思い、『みぎわ』から離れました。万が一、この活動のせいで自分が逮捕されたとしても、それで孤独な子どもがいると知ってもらえるなら、それでもいいと思っています」

二人が教えてくれた、新しい価値観と幸せ

やまとくんと過ごす中で、松原さん自身の価値観も変わったという。

「やまとは自分と人を比べず、彼のなかに勝ち負けも優劣もないんです。やまとと一緒にいると、一人ひとりがオリジナルの成長をすればいいと思わせてくれる。人と比べることの愚かさを彼に気づかされました」

えまちゃんは現在も入退院を繰り返している。それでも、帰るべき家がある。

「正直なところ、彼女はいつまで生きていられるかわからないレベルの難病です。でも、障害があっても、病気があっても、帰れる家を作ってあげたい。やまととえまは、たまたま我が家と出会えましたが、今も日本のどこかに帰る家がない子どもたちがいます。子どもたちは、守られるべき存在。それだけは断言できます」

話を聞けば聞くほど大変そうだが、それでも松原さんは「幸せだ」と笑みを見せる。

「やまととえまがいてくれる幸せは何ものにも代えがたいんですよ。もちろん、金銭面や体力面では苦労しっぱなしです。でも苦労することと、幸せであるということはまったく関係がないんだなと痛感しています」

松原さんへの取材を終えてほどなく、やまとくんが帰宅。“知らないおじさん”である筆者を前に最初こそ戸惑っていたが、カメラをかまえると手をまっすぐのばしてきた。繫いだその手はとてもあたたかく、そして力強かった。その様子を見つめる松原さんと妻・斉子さんの表情は慈愛に満ちており、この瞬間こそが彼らにとっての「幸せ」なのかもしれないと思った。

行き場のない命と向き合う日々は、決してきれいごとだけではない。それでも松原さんは、これからも子どもたちの“小さな命の帰る家”を見つけるために奔走する。

「小さな命の帰る家」代表
松原宏樹さん
1968年3月1日生まれ。元奈良キリスト教会牧師。奈良キリスト教会付属幼稚園園長、NPO法人みぎわの立ち上げを経て、2023年「小さな命の帰る家」を設立。著書に『小さな命の帰る家』(燦葉出版社)がある

取材・文・撮影/松嶋三郎

【松嶋三郎】
浅く広くがモットーのフリーライター。紙・web問わず、ジャンルも問わず、記事のためならインタビュー・潜入・執筆・写真撮影・撮影モデル役など、できることは何でもやるタイプ。X(旧Twitter):@matsushima36

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