「おまえに150キロは出せない」から始まった覚醒 澤村拓一を変えた叱責と中央大ブルペン

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「おまえに150キロは出せない」から始まった覚醒 澤村拓一を変えた叱責と中央大ブルペン

2月17日(火) 10:00

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流しのブルペンキャッチャー回顧録

第1回澤村拓一(元巨人ほか)後編

中央大4年生になって、澤村拓一はチームの副主将とピッチャー・リーダーの役を兼任していた。

「監督が言うには、自分のピッチングには、怒りたい瞬間が1試合のなかで2、3度あるらしいんです」

中央大からドラフト1位で巨人に入団し、1年目に11勝を挙げ新人王に輝いた澤村拓一photo by Koike Yoshihiro

中央大からドラフト1位で巨人に入団し、1年目に11勝を挙げ新人王に輝いた澤村拓一photo by Koike Yoshihiro





【叱られて、けなされてここまでやってきた】当時の中央大を率いていたのは高橋善正監督。中央大から東映、巨人で活躍した右サイドハンドの熱投派だ。新人王に、5年目の1971年には完全試合も達成するなどプロ通算60勝。現役引退後は、いくつもの球団でピッチングコーチを務めるなど、硬派の野球人と言われている。

「入学してすぐの頃に、高橋監督から『おまえには150キロは出せない』って言われたんです。その頃の自分は、真っすぐだけのピッチャーだったんで、もう悔しくて、悔しくて......」

こいつは、褒めたらつけ上がる──。百戦錬磨の高橋監督には、澤村の心の幼さが手に取るようにわかったのだろう。澤村は笑いながら続ける。

「叱られて、けなされて、ここまでやってきました。自分はそうやってがんばるタイプなんで。高校の頃を思い出すと、やっぱり、なあなあでした。それを気づかせてくれたのは監督なんだと思います。言葉のウラに愛情があるっていうか......。きついこと言われても、監督の言葉だと素直に聞けるんです」

高橋監督との出会いが、野球に対する考え方も、人生観も変えてくれたと語る。

「何かを犠牲にしても、最優先で野球と取り組む姿勢を教わりました。今までの自分なら考えられなかった。親のスネをかじって野球させてもらってる分際で、ふつうの学生より絶対お金もかかっているんだし......」

親孝行。そういう言葉も、抵抗なく口に出せるようになったともいう。

「可能性がある以上は、上(プロ)を目指すべきだ。それぐらい頑張っても、行く価値のある世界だよ」

高橋監督がかけてくれたこの言葉が支えとなり、学生球界トップの存在としてプロを目指す自分がいる。そんな「自己分析」をしてくれた時の澤村は、マウンドに仁王立ちしている時の「怖い顔」になっていた。

【衝撃が肩までくるほどの球威】まだ寒い時期だったので、室内練習場でのピッチングになった。照明が弱めで、外からの光もあまり届かない。薄暗い室内ブルペンは、スピードが2倍も速く見える。

そうでなくても、今日の相手は「150キロ」である。ひるみそうになる心を奮い立たせて、ホームベースの後ろに腰を下ろす。



183センチ89キロ(当時)が、さらにもうひと回り大きく見えた。それにしても、この下半身の充実はなんだ。引き締まっているのに、そのボリュームに圧倒される。

「筋トレでつくりました!スクワットなら200キロいけます!」

初球から腕の振りがうなる。ボールがそのままの大きさの「光線」になって、ミットに突き刺さる。一瞬の気おくれに、ミットの反応も一瞬遅れ、ボールを手の平の位置で受けて、はじいてしまう。



怖いボールだ......。



もう一度、太い腕の振りがうなって、一瞬ボールが見えただけで、ミットにガツーン。

いや、たぶん見えていない、見えたような気がしただけだ。たった2球で手のひらがもうジンジンしている。

それにしても、なんて球威だ。衝撃が肩にくる。

足首がちょっと痛むと言っていたが、それでも全力で投げてくれる気持ちが、何よりうれしい。

こっちも命がけでやっているんだ。加減されるのがいちばん悲しい。



モーションを起こしたら、一瞬も気の抜けないボール。

上げた左足を下ろし始めるあたりから、こっちに向かって全身がグーンとズームアップしてくる。これが怖い。ミットを下ろしていたら、間に合わない。捕球の瞬間、手の平をギュッとねじるようにして、やっとミットが止められる。

「200キロぐらい出てるんじゃないのー!」

なかばヤケクソで発した叫びを、マウンドの澤村は笑って受け止めてくれたが、かたわらの清水達也コーチ(現監督)は、「抑えて、抑えて......」と、その気の剛腕を、なだめにかかってくれていた。

澤村はその年のドラフト1位で巨人に進み、最初は先発ローテーションで、やがて守護神として、さらにはメジャーへも挑戦したのち、ロッテに移籍。日米合わせて15年で59勝79セーブ。「記録より記憶」の代表格みたいな剛腕が、この年明け、みずからの決断で現役生活に幕を下ろした。

引退を決めたあとも、トレーニングや練習を続けていたという。

そういえば、中央大のグラウンドに行くといつも思い出すのが、グラウンド横の長い、長い上り坂。その坂を、繰り返し、繰り返し、何本も駆け上がっていた澤村の「デカいケツ」が、今でもまぶたの裏に焼きついている。

マウンドの演出上だったのだろう、ヒゲを生やしての仏頂面。あえてつくっていたはずの「強面(こわもて)」も、もう必要ないだろう。

数えてみたら、まだ世の中駆け出しの30代じゃないか。

気はやさしくて力持ち。快活でよくしゃべり、よく笑う青年がひとり、新しい世界へ歩み始める。



澤村拓一(さわむら・ひろかず) /1988年4月3日生まれ、栃木県出身。佐野日大高から中央大に進学し、東都大学リーグで最速157キロをマークするなど剛腕として名を馳せる。2010年ドラフト1位で巨人に入団。1年目に11勝を挙げ新人王を受賞。15年からはクローザーに転向し、翌16年に最多セーブのタイトルを獲得した。20年途中にロッテへ移籍。翌21年から米大リーグのレッドソックスでプレーし、2年間で104試合に登板。23年にロッテへ復帰し、25年限りで現役を引退した

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