藤田寛之がヤマハのゴルフ用品事業撤退に言及「ヤマハと歩んだ33年間は、かけがえのない時間」

藤田寛之がヤマハのクラブ事業撤退について言及した(本人提供)

藤田寛之がヤマハのゴルフ用品事業撤退に言及「ヤマハと歩んだ33年間は、かけがえのない時間」

2月6日(金) 7:28

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2月4日、ヤマハ株式会社が2026年6月をもってゴルフ用品事業を終了すると発表した。長年、同社の契約プロとして戦ってきた国内ツアー通算18勝の藤田寛之が、自身のSNSで想いを明かした。



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同社は1982年からゴルフ用品事業に参入し、『インプレス』や『RMX』などの人気シリーズを展開してきた。しかし、近年の競争の激化や、為替変動、原材料費の高騰などにより収益が悪化したことに加え、ゴルフ人口の減少による需要の変動などを踏まえた結果、ゴルフ用品事業を終了する運びとなった。

藤田は、1992年にプロ入りを果たしたときからヤマハのクラブで戦っている。プロ入り当初は目立った成績を残せなかったが、1997年の「サントリーオープン」で尾崎将司氏を下して初優勝を飾り、トッププロへの階段を上っていった。20代で1勝、30代に5勝、40代では12勝と年齢を重ねるごとに勝利数が増えた。

2010年には最優秀選手賞を獲得。12年には4勝をマークし、43歳にして賞金王に輝いた。同年の『日本シリーズ』では大会史上初の3連覇を達成している。その後も勝利を重ね、19年は当時史上6人目となる生涯獲得賞金15億円を達成した。20年から国内シニアツアーにフィールドを変え、通算3勝を挙げている。これらの実績をヤマハのクラブとともに積み上げてきた。

以下、藤田が投稿したコメント。

ヤマハゴルフ事業撤退のニュースを聞き、正直、しばらく言葉にすることができませんでした。これまでにも厳しい状況であることは伺っておりましたが、改めて、この知らせを受け、これまでの時間や景色が一気に思い出され、さまざまな想いが込み上げてきました。

私はプロになってから、ヤマハ一筋でここまで歩んできました。気がつけば33年。勝った時も、悩み続けた時も、いつもそばにヤマハのクラブがあり、そして人がいました。

長年関わってこられた方々、今も現場で尽力されている方々、ヤマハゴルフに人生を重ねてこられた多くの方の姿を思うと、胸が締めつけられる思いです。

私はクラブだけでなく、そこに込められた想いや、妥協のないものづくりに向き合う姿勢に、何度も背中を押してもらいました。

そして何より、長い間、ヤマハゴルフを愛し、応援し続けてくださったファンの皆さま。本当にありがとうございました。皆さんの声が、私を前に進ませてくれました。

願わくば、これまで培われてきた知見や技術、ジュニアスクールという学びの場が、形を変えてでも、次の世代へと受け継がれていくことを、心から願っています。

なお、葛城ゴルフ倶楽部については、これまで通り継続されると聞いており、そのことに少し救われる思いでいます。ヤマハと共に歩んだ33年間は、私にとって、かけがえのない時間でした。

本当にありがとうございました。心からの感謝を込めて。


<ゴルフ情報ALBA Net>
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