冬季五輪の開会式が行なわれるスタディオ・ジュゼッペ・メアッツァ 100年の歴史と独特のデザインが魅力

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冬季五輪の開会式が行なわれるスタディオ・ジュゼッペ・メアッツァ 100年の歴史と独特のデザインが魅力

2月4日(水) 6:45

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連載第86回

サッカー観戦7700試合超! 後藤健生の「来た、観た、蹴った」

現場観戦7700試合を達成したベテランサッカージャーナリストの後藤健生氏が、豊富な取材経験からサッカーの歴史、文化、エピソードを綴ります。

サッカーファンにはお馴染みのスタディオ・ジュゼッペ・メアッツァで、ミラノ・コルティナ五輪の開会式が開催されます。度々このスタジアムを訪れている後藤氏が、建物の魅力と思い出を紹介します。

ミラノ・コルティナ五輪の開会式が行なわれる、スタディオ・ジュゼッペ・メアッツァphoto by Getty Images

ミラノ・コルティナ五輪の開会式が行なわれる、スタディオ・ジュゼッペ・メアッツァphoto by Getty Images





【大規模スタジアムで冬季五輪の開会式】 間もなく冬季五輪が開幕する。今年の大会はイタリア第二の大都市ミラノとコルティナ・ダンペッツォなど北部アルプス地区での広域開催となる。

会場間の交通問題など広域開催には課題が多いようだが、冬季五輪を今後も持続的に開催していくためには広域化が必要になるだろう。

冬季種目(とくにスキー競技)では山を切り拓いて会場を建設することが多いため、環境問題の面から批判を受けることが多くなっている。今後は広域開催にして可能な限り既存施設を活用するしかない。

夏季五輪でも無駄な施設を建設して、後利用ができなくなってしまうことが多い。競技数や参加選手数が増えるなかで開催都市への負担を減らすためには、冬季だけでなく、夏季大会でもやはり広域化する必要がある。

ますます大規模化する五輪大会を、ひとつの都市で集中して開催するのには無理がある。

さて、2月5日(日本時間6日)に行なわれるミラノ・コルティナ五輪の開会式は、サッカーファンにはお馴染みのスタディオ・ジュゼッペ・メアッツァで行なわれる。ミランとインテルのホームスタジアムである。

たとえば1972年の札幌冬季五輪の時に真駒内のスケートリンクで開会式が行なわれたように、かつては競技会場のひとつが五輪開会式の舞台になることが多かった。だが、2022年の北京冬季五輪の時は2008年夏季五輪のメインスタジアムだった「鳥の巣」が使用された。

今後は、冬季五輪の開会式に競技会場ではない大規模スタジアムを使うのがトレンドになるかもしれない。

【トリノの「スタディオ・コムナーレ」】 そういえば、2006年に同じイタリア北部のトリノで開催された冬季五輪(荒川静香さんが金メダルを獲った大会)でも、開会式は現在トリノFCがホームとして使用している「スタディオ・オリンピコ・グランデ・トリノ」で行なわれた。

さすが、カルチョの国というべきだろうか?

トリノのスタジアムはかつて「スタディオ・コムナーレ(市立競技場)」と呼ばれており、ユベントスとトリノFCの両クラブが使用していたが、1990年W杯開催を前にスタディオ・デッレ・アルピが建設されると公式戦では使われなくなり、一時はユベントスの練習場になっていた。そして、冬季五輪の際に改装されたこのスタジアムは、トリノFCのホームになった(その後、デッレ・アルピは全面改築されてユベントススタジアムとなった)。

僕が初めてサッカー観戦のためにイタリアを訪れたのは、1980年の欧州選手権の時だった。そして、イタリアに着いて最初に観戦した試合がコムナーレでのイタリア対イングランド。現在のオリンピコの収容人数は3万人以下だが、このイングランド戦の時は立ち見席を含めて約6万人がギュウギュウに詰め込まれていた。

アウェーのイングランドサポーターには南側ゴール裏の1階席が与えられていたが、彼らが入場してくると、2階席に陣取ったイタリアのティフォージ(サポーター)たちが上から物を投げつけたり、旗竿で殴ったりして攻撃を仕掛けてきたので、さしものイングランド人たちもいったん退場。そして、その後、彼らは「ワーッ」と大声をあげて応戦しながら一斉に1階席に戻ってきた。なかなか忘れられない光景だ。

1980年代まで、サッカー場というのは今では考えられないほど殺伐とした場所だったのである。

ジュゼッペ・メアッツァを初めて訪れたのも、この時だった(オランダ対チェコスロバキア戦)。

スタジアム名が「ジュゼッペ・メアッツァ」と改名されたのは、1979年の8月にミラノの両クラブで活躍したFWジュゼッペ・メアッツァが68歳で亡くなったあとの1980年3月のこと。僕が訪れる直前までの正式名称は「スタディオ・コムナーレ・ディ・サンシーロ」だった。

この大会では、僕は試合会場で当日券を買って入場していた。

この頃まで、こうした大規模国際大会でも国外から多数の観客がやって来ることはなくて(ヨーロッパ域内でも)、イタリア以外の試合はガラガラだったので、入場券は簡単に手に入った。

後藤氏が初めてジュゼッペ・メアッツァで観た試合の入場券(画像は後藤氏提供)

後藤氏が初めてジュゼッペ・メアッツァで観た試合の入場券(画像は後藤氏提供)



ミラノ市内からトラムに乗ってスタジアムに到着すると、四方八方から入場券売りの男たちが群がってきた。いわゆる「ダフ屋」ではない。正規の料金で売っている。要するに、安い値段で仕入れた(横流しされた?)入場券を正規の値段で売ることによって、彼らが儲かる仕組みになっているのだ。

同じ試合なのにデザインが異なる入場券があって、戸惑ったものだ。

【ジュゼッペ・メアッツァの魅力】 ジュゼッペ・メアッツァの魅力は、なんと言っても独特のデザインである。

1990年W杯の前に拡張されて鋼鉄製の大屋根と3階席を支えるための11本の巨大なタワーが取り付けられたが、改装以前はシンプルな長方形のスタジアムだった。ただし、スタンドまで行くのに階段ではなく、スタジアムの外周に取り付けられた斜めのスロープを使うように設計されていたので、デザイン的にはそのスロープが特徴的だった。

拡張されたあとも、3階席に行くためには新設のタワーに取り付けられたスロープを使うようになっていて、しかも、そのスロープの角度も改装以前から存在しているスロープと同じ角度になっているので、デザインの一貫性が保たれていた。

現在の目から見ても、ジュゼッペ・メアッツァのデザインはとても斬新でユニークなものである。

つまり、1990年の改装後のジュゼッペ・メアッツァはとても近代的なスタジアムのようにも見える。

だが、このスタジアムの最下層のスタンドには、1925年にミランの会長だったピエロ・ピレリ(世界的タイヤメーカー「ピレリ」の創業者一族)が出資して最初にこの地にスタジアムが建設された時の構造が、現在でもそのまま使われているのである。

1990年代に入ると、僕は『スカパー!』でセリエA中継の解説をするようになった。そして、当時は『スカパー!』を含むサッカーメディアは財政的に潤っていたので、毎年1回は「現地解説」の仕事があって、イタリアに渡って半月くらい滞在して数試合を現地から解説したものだ。

雑誌などの取材でイタリア入りすることも、何度もあった。

日本からの直行便はローマかミラノに到着するので、イタリアに行くたびにミラノを訪れ、そして、ジュゼッペ・メアッツァで試合を解説したり、観戦取材したりしたものだ。

記者席や放送席に行くためには、西側のメインスタンドの1階の小さな入口から入って、階段を登って行く。その時に、階段の周囲を見回すと古色蒼然とした煉瓦造りの構造が見えるので、「ああ、ここは本当に古いスタジアムなんだなぁ」と実感できた。

最後にジュゼッペ・メアッツァに行ったのは2017年11月のことだから、もう8年以上前になる。

ロシアW杯欧州予選のプレーオフのセカンドレグ。イタリア対スウェーデン戦だった。

第1戦でスウェーデンが勝っていたため、イタリアは勝利が必須だったが、ジャンピエロ・ヴェントゥーラ監督のイタリアは長身DFが並ぶスウェーデン相手にロングボールを蹴り込むだけでスコアレスドローに終わり、イタリアはW杯出場を逃してしまった。

あれが、僕にとっての最後のジュゼッペ・メアッツァというのでは、あまりに残念すぎる......。

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