『飢える骸』増島 拓哉KADOKAWA
2月2日(月) 11:58
劇毒と言ってもいい犯罪小説であった。
増島拓哉『飢える骸』(KADOKAWA)は、この場で紹介していいかどうか少し悩む、暴力の祭典を描いた犯罪小説である。帯に大沢在昌が「やりすぎだろ、増島。」という推薦文を寄せていたので何事かと思って読み始めたのだが、開巻数ページで理由がわかった。そう言いたくなるのも無理はない。
本宮悠太という男が誘拐される場面から物語は始まる。誘拐の実行者は巌幹郎と名前が書かれるだけで素性はまだわからない。催涙スプレーで奇襲し、車のトランクに放り込んで殴打、本宮は意識を失う。目を覚ましたとき彼は、手足をベッドに固定された状態になっていた。巌が現れ、十三年前に本宮が殺した山岡裕子という女性は自分の娘だったと告げる。このあと、最初の目を背けたくなるような暴力描写が行われる。拉致の場面は、だって。あんなものは数に含まれない。直接書くとここで読むのを止める方が出るはずなので、マイナスドライバーを使う、とだけ書いておく。
育った環境が悪く、世界を呪うようになった本宮は十五歳で通り魔になったのだった。「誰もが、あの事件の犯人になり得る。犯人と我々は、紙一重の違いしかない」という事件当時にニュースでインテリ文化人が口にした言葉を引用した巌は、続けてこう言う。
「世間の連中とお前は、紙一重や。でもその紙切れ一枚は、絶対に踏み越えたらあかん。その一線を越えた連中は、もはや人間やない。そんな奴に、人権はあらへん」
この場面を最後に本宮悠太は『飢える骸』から退場する。彼がどうなったかは神のみぞ知るべし、である。
恐ろしいのは、この場面が物語本筋の展開とは無関係であるということだ。巌幹郎という男の非情さ、恐ろしさを読者に知らせるために入れられた序章に過ぎないのである。巻頭に人物関係図が置かれているが、話が進んでいくにつれて巌幹郎が何者であるかが明かされていく。関西に本拠地を持つ日本最大の暴力団が游永会である。十一年前、十三名の直系組長が七代目游泳会から脱退し、対抗団体を作った。巌幹郎を組長とする巌組である。両団体の間で血で血を洗う抗争が発生し、数で優位の游泳会が次第に巌組を圧倒しつつある。しかし、巌幹郎はしぶといのである。
巌の年齢が明かされるのは二十八ページだ。なんと七十五歳なのである。ここを読んで仰天した。これまでいろいろなヤクザ小説、暴力小説を読んできたが、こんな後期高齢者が主人公を務める作品はあまり見たことがない。巌はとにかく精力旺盛で、ここで年齢が書かれていなかったら五十代、いや、四十代にだって見えるところである。おじいちゃん、などとは絶対に呼べない。そんな弱々しさは微塵もない。
若い頃の巌幹郎がどんな人間であったかが明かされるのは、あらすじ紹介に許されるぎりぎり、全体の三分の一が経過したあたりだ。せっかくなので書いてしまう。
かつて游泳会には凄腕の殺し屋がいた。コードネームは骸という。福岡に相川組という土着の暴力団があった。構成員わずか十一人だが、全員が柔道や空手の猛者という武闘派である。その事務所に単身乗り込み、十一人を皆殺しにしたという。それだけではなく。
「極道だけやない。アジア某国の地元のギャング団も、政財界の連中も、堅気やお巡りでさえ、游泳会が死すべしと判断した連中は、ことごとく骸に葬り去られた。骸は桁が違う。それは文字通り、ホンマに桁が違う。百人以上殺ったらしいと、まあそういう噂や」
とのことである。
もうおわかりだと思うが、この骸こそが巌幹郎なのである。単に腕が立って強いだけではなく、頭も切れるのがこの男の始末の悪いところで、だから巌組を潰すことがなかなかできないのだ。
本作は、極道の特異点である巌と、彼を亡き者にしようとする連中との闘いを描いた暴力小説である。巌は超人的能力の持ち主であり、また本当によく人を殺す。お茶漬けを食べる回数よりも多いくらいに殺す。後で死体の始末をしなければならない組員が、「なにも殺すことはなかったのでは」とぼやくぐらいだ。表現は悪いが、ややもすれば戯画的、漫画的に見えてしまう人物設定なのに、際どいところで現実の側に踏みとどまっている。このキャラクターの魅力が本作第一の魅力である。
増島の前作『路、爆ぜる』(集英社)は暴力小説で、第一回北上次郎「面白小説」大賞候補にも選ばれた。たいへんおもしろく読んだので推薦文も寄せたのだが、多数の登場人物が活躍する群像劇であったために、物語の中心を欠いたきらいがある。その弱点を克服して余りある特徴が、巌幹郎というキャラクターなのだ。
暴走する巌を押さえるためにヤクザたちはある計略を巡らせる。その詳細は省くが、話が進行する中で、巌の行動が予想外に激烈であるため、計画に歪みが生じていくことになる。巌のために窮地に陥った男たちは、まるで物語の中に突き落とされたようだという意味のことを言いながら右往左往する場面がある。この現実感を超えてしまう感覚が第二の魅力である。虚構がとんでもない存在感を持ってしまうのである。
ここまで書かなかったが、巌にとってのライバルにあたるキャラクターが登場する。游泳会に雇われた立場で、警察で言えば監査官、つまり内部の不祥事や内部規則を犯した者の調査を行う職掌だと自己紹介する。游泳会構成員の獰猛なヤクザたちを相手に回しても顔色一つ変えないこの人物は砂川香織という三十八歳の女性なのである。
七十五歳対三十八歳の闘いがどうなるか、というのが見どころにして本作第三の魅力である。キャラクター設定は意外であればあるほどいい。似た者ばかりが出てくる物語はつまらない、凸凹しているほうがおもしろい、という鉄則を忠実に守った結果、実にとんでもなくめりはりのある物語が出来上がった。
とにかくむちゃくちゃおもしろい。だが、むちゃくちゃ人も死ぬ。御承知の上でお読みいただきたい。
(杉江松恋)
