『ウォーフェア』と『シビル・ウォー』…比較によって導かれるアレックス・ガーランドの特性と映画の可能性

共に戦争映画である『ウォーフェア 戦地最前線』と『シビル・ウォー アメリカ最後の日』は似ているのか?/[c] 2025 Real Time Situation LLC. All Rights Reserved.

『ウォーフェア』と『シビル・ウォー』…比較によって導かれるアレックス・ガーランドの特性と映画の可能性

1月31日(土) 12:30

アレックス・ガーランドは、A24を代表する映画作家のなかでも、とりわけ際立った存在といえるだろう。監督デビュー作『エクス・マキナ』(14)や『アナイアレイション-全滅領域-』(18)といったSFスリラーやパニックサスペンスを通じて、知覚や記憶、そして人間の限界といったテーマを追究してきた。
【写真を見る】戦争や民族衝突をいかに映画として体験させるかという問題に踏み込むようになったアレックス・ガーランド(『シビル・ウォー アメリカ最後の日』)

【写真を見る】戦争や民族衝突をいかに映画として体験させるかという問題に踏み込むようになったアレックス・ガーランド(『シビル・ウォー アメリカ最後の日』)

そんな彼は近年、戦争や民族衝突をいかに映画として体験させるかという問題に踏み込むようになった。近未来のアメリカ内戦を描いた『シビル・ウォー アメリカ最後の日』(24)では、社会的分断と政治的暴力をテーマに、寓話性を帯びたディストピア的戦争映画へと舵を切っている。そして最新作『ウォーフェア 戦地最前線』(公開中)ではさらに一歩踏み込み、実体験に基づく証言を軸に構築された、記録映画に限りなく近いリアリティへと到達している。

銃声や叫び、無線ノイズや爆発音が観客の意識を占拠していく(『ウォーフェア 戦地最前線』)

そんな『シビル・ウォー』と『ウォーフェア』は、一瞥するとよく似ている。いずれも状況を捉え、観客を極限状態に放り込んでいく戦争作品だ。しかし実際には、この2作はガーランドの作家性のなかで異なる位置を占めている。とりわけ後者は、近年でも屈指の容赦ない迫真性を打ち立てた戦争映画として評価され、戦場を即物的に再現すること自体を目的としているのだ。

■理解するよりも耐えることを強いられ、空間認識すら困難になる『ウォーフェア 戦地最前線』

本作はガーランドと、元ネイビーシールズ隊員のレイ・メンドーサが共同で脚本・監督を務め、メンドーサ自身のイラク戦争体験を基にしている。舞台は2006年、危険地帯ラマディでの戦闘後に行われた、ある任務の一局面に限定される。そこには明確なストーリーは存在しない。小隊が民家を拠点に監視任務を遂行し、突如として攻撃を受け、救出と撤退を余儀なくされる。展開はオンタイムで進行し、人物の過去や政治的背景の説明もない。しかし当事者にとっては、その瞬間こそが世界のすべてだ。暴力はあるがままに提示され、アンダースコアによる感情操作もない。銃声や叫び、無線ノイズや爆発音が観客の意識を占拠していく。

イラク戦争におけるレイ・メンドーサ共同脚本&監督の実体験に基づいている(『ウォーフェア 戦地最前線』)

この映画は、戦争状態を擬似体験させる、いわばライド・アトラクション的な性質を備えている。こうした試みは、スティーヴン・スピルバーグの『プライベート・ライアン』(98)や、リドリー・スコットの『ブラックホーク・ダウン』(01)といった戦争・戦場映画にも見られたが、『ウォーフェア』はそれらをさらに先鋭化させた印象を与える。観客は理解するよりも先に耐えることを強いられ、空間認識すら困難になる。眼前に展開する戦場の混乱を、あるがままに受け止めるほかないのだ。
突如として攻撃を受け、救出と撤退を余儀なくされる特殊部隊(『ウォーフェア 戦地最前線』)


■登場人物たちの役割と動機、テーマがストーリーを通じて明確にされる『シビル・ウォー アメリカ最後の日』

ひるがえって『シビル・ウォー』は、近未来のアメリカで内戦が勃発しているという設定のもと、戦場を取材するジャーナリストたちの移動を描いた作品だ。大統領へのインタビューを目的に、崩壊しつつあるワシントンD.C.を目指すロードムービー的構造を取り、登場人物たちには明確な役割と動機が与えられている。そこでは政治的分断や暴力の正当化、メディアの倫理といったテーマがストーリーを通じて提示される。

内戦が勃発したアメリカを取材するジャーナリストたちの移動を描く『シビル・ウォー アメリカ最後の日』

■アレックス・ガーランドの作家性によって結びつく『ウォーフェア』と『シビル・ウォー』

ただし同作は、あくまでフィクションとして設計された現代社会への警鐘だ。それに対して『ウォーフェア』は、事実に依拠した状況の再現に重きが置かれ、戦場に立たされた時に我々はなにを目撃し、どのような感覚にさらされるのかをダイレクトに問いかける。
寓話性を帯びたディストピア的戦争映画へと舵を切っている(『シビル・ウォー アメリカ最後の日』)


だがこうして見ると、両作は極めて対照的でありながら、制御不能な状況に置かれた人間を描くという一点のもと、ガーランドの作家性によって結びついていることがわかる。『シビル・ウォー』は物語と寓話を通じて世界を再考させ、『ウォーフェア』は物語を超え、戦争そのものを体感させる。その変動幅を比較することで、アレックス・ガーランドというクリエイターの特性と、映画の持つ可能性が明確に浮かび上がってくるのである。

文/尾崎一男


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