智辯学園・村上頌樹を変えた一戦「打たれたらどうしよう」から「やってやろう」へ甲子園7試合で投げた鉄腕ぶり

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智辯学園・村上頌樹を変えた一戦「打たれたらどうしよう」から「やってやろう」へ甲子園7試合で投げた鉄腕ぶり

1月27日(火) 6:55

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ダイヤの原石の記憶〜プロ野球選手のアマチュア時代

第27回村上頌樹(阪神)

2024年夏の甲子園、2回戦で智辯学園(奈良)が春夏連覇に挑んだ健大高崎(群馬)に勝利。その試合後、智辯学園の小坂将商監督はこんなコメントを残した。

「ウチも(2016年に)経験しましたけど、選抜で優勝すると(春夏連覇のかかる夏は)2回目(の試合)がポイントやと思うんです。だから選手には、『倒すなら(1回勝ったあとの)2回目や』と言っていたんです」

10年前、春夏連覇に挑んだ智辯学園は夏の甲子園2戦目で鳴門(徳島)に敗れ、夢を絶たれた。負けられない重圧のなか甲子園までたどり着き、初戦を勝利。ここでひと息ついたわけではないのだが、「次の2戦目が要注意」と経験者の監督は語っていたのだ。

その時の智辯学園のエースが、村上頌樹(阪神)だった。

2016年春の選抜で智辯学園を初の日本一へと導いた村上頌樹photo by Ohtomo Yoshiyuki

2016年春の選抜で智辯学園を初の日本一へと導いた村上頌樹photo by Ohtomo Yoshiyuki





【5試合をひとりで投げ抜き日本一】兵庫県の淡路島から甲子園を目指し進んだ智辯学園では、2つ上に岡本和真(ブルージェイズ)、1つ上に廣岡大志(オリックス)ら錚々たるメンバーが揃っていた。

そんななか、1年夏からベンチ入り。シュアな打撃も高く評価され、県大会では4試合いずれも野手で出場。1年夏の甲子園では、初戦の明徳義塾(高知)戦に6回の守備からレフトに入り、その後の打席でヒットを記録。

8回裏には、4対10と劣勢の状況でマウンドに上がった。当時、投手を兼ねていた3年生の岡本のあとを受け、4番手でのリリーフ登板。8月15日、お盆休みの真っ只中ということもあり47000人の観衆が見つめるなか、打者3人に投げた。

試合はそのまま敗れ甲子園を去ると、1年秋からはエース番号を背負った。そして「自分が大きく変わるきっかけになった試合」とのちに挙げたのが、2年秋の近畿大会準々決勝の大阪桐蔭戦だった。

ストレートの質も上がり、チェンジアップも習得。近畿大会初戦で神港学園(兵庫)を1失点完投で下し、翌年春の選抜出場を当確としたあとの大阪桐蔭戦。ここで打ち込まれ、9失点の完敗。この結果に村上は考え、ひとつの結論に至った。

「大阪桐蔭戦は『打たれたらどうしよう』って、弱気な気持ちが出たことが一番の反省。子どもの頃から甲子園を見ていて、『大阪桐蔭は強い』『すごいバッターが揃っている』と、勝手に意識を植えつけてしまって、やる前から気持ちで負けていた。あの試合でそこをすごく感じたので、とにかく気持ちを強く持つように意識して、センバツでも『打たれたらどうしよう』ではなく、『やってやろう』『抑えてやろう』って強い気持ちを持って投げました。冬の間、技術や体力が上がったこともありますが、一番は気持ちの持ち方が大きかったと思います」

優勝を果たした2016年春の選抜は、全5試合、47イニング、669球をひとりで投げ抜き、自責点2。

初戦の福井工大福井戦は10安打を許し、常に走者を背負いながらの投球となったが、気持ちの強さを示し、あと1本を許さず4対0の完封。

つづく鹿児島実戦は1点先制されるも粘り強く投げ続け、7回にチームが逆転し4対1で勝利。準々決勝の滋賀学園戦は、村上が「春のベスピッチ」と振り返る2安打完封勝利。

そして準決勝の龍谷大平安(京都)戦は、1点を追う9回裏に打線が奮起し2対1のサヨナラ勝ち。さらに決勝の高松商業(香川)戦も1対1の延長11回に自らサヨナラ安打を放ち2対1で勝利。2戦連続のサヨナラ勝利で、春夏通じて同校初の日本一に輝いた。

【春夏連覇に挑むも2回戦敗退】それにしても──暑さの心配がない選抜大会とはいえ、すでに球数問題などが話題になっていたなか、村上は厳しい試合が続いた大会をひとりで投げ抜いた。選抜前から小坂監督に「全部行くぞ」と言われていたが、言われるまでもなく、そのつもりだったと村上は語っていた。

「自分も全部投げるつもりだったので、監督から言われた時も驚きはなく『わかりました』と。もともと投げるのが大好きで、小学生の時も土日になるとふつうに1日2試合を投げて、ある大会ではチームが勝ち上がるなかで、全10試合をひとりで投げたこともありました。投げるほど球もコントロールもよくなって......選抜の時もそうでした」

ひとりであれだけ投げたのに、「投げ過ぎ論争」は起きなかった。たしかに、今ほど周囲の反応は過敏ではなかったが、一番の理由は669球をひとりで投げても、村上のボールはまったく衰えず、フォームも乱れなかったことだろう。ちなみにこの春、村上の最速は142キロだったが、それを記録したのは決勝戦だった。

そして連覇をかけて挑んだ夏、県大会前から小坂監督に「夏も全部行くぞ」と言われていたという村上は、ここでも「もちろん、そのつもりでした」と、奈良大会は5試合で40回1/3を投げて優勝。ほかの投手が投げたのは、わずか5回2/3だった。

大きな注目のなかで迎えた甲子園初戦は、出雲(島根)相手に5安打、7奪三振、無四球完投で6対1の勝利。センバツの続きのような隙のない投球内容で好発進したが、次に待っていたのが、冒頭で小坂監督が口にした2戦目、鳴門との一戦だった。

試合は智辯学園が2点を先制し中盤に進むも、6回に追いつかれ、同点のまま迎えた9回表の鳴門の攻撃。最終回に入っても村上のストレートは常時140キロ台を記録するなど、疲れを感じているようには見えなかった。

しかし、コースいっぱいを狙ったボールがわずかに外れる四球などで二死満塁のピンチを招くと、ここで相手左打者に高めのボールゾーンに投げ込んだストレートを強振され、打球はライト前にポトリと落ちた。さらにライトからの本塁返球が逸れ、走者一掃となりあっという間に3点を失い、勝負の行方は決まった。

「前の打者にフォアボールを出したんですけど、最後の1球が、あとで見れば少し外れていたんですけど、あの時は『えっ、ボール?』ってなってしまった。気持ちを切り替えられなかった」

3点を追う9回裏、村上はゲームセットの瞬間を走者として迎えた。

「打者がセカンドフライを打ってゲームセット。走りながら、明日から野球がなくなって『何をしようかなぁ......』って考えていたのを思い出します」

あの試合に勝利し、そのあとも勝ち上がっていれば、春につづき村上はひとりで投げていたのだろうか。最後まで疲れも衰えも見せることなく、村上は春、そして夏の甲子園での全7試合で921球を投げ抜いた。連覇は果たせなかったが、鮮烈な記憶を残したまさにエースの投球だった。

高校卒業後、東洋大学に進み、2020年のドラフトで阪神から5位で指名され入団。23年には10勝を挙げ、リーグトップの防御率1.75をマーク。リーグ優勝、日本一に貢献。昨シーズンも14勝で最多勝を獲得。阪神のエースとして、あの時と同じように甲子園で躍動している。

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