重い病気を宣告され、もう長くは生きられないと悟ったとき、人はどんな選択をするのだろうか。治療にすべてを賭ける人もいれば、残された時間を自分らしく生きる道を選ぶ人もいる。
そのひとつの答えとして日本での治療に固執せず、南国の地での療養を選んだ男性がいる。
タイを代表するビーチリゾート、パタヤ。この街で、がんという現実を受け入れながら、好きなことをして日々を過ごしているのが、「みどりの亀仙人」の通り名で知られる堀田健二さん(68歳)だ。
堀田さんのこれまでの人生、がんが発覚した経緯、そして現在の生活に至るまでの道のりについて話を聞いた。
20代で独立し、自由気ままに働く
「地元・鳥取の工業高校を卒業したあと、しばらくは父の稼業を手伝っていました。事務機器、主にレジスターの販売の仕事です。24歳のときに独立して、フリーのエンジニアに。27歳で結婚しましたが、子どもはいません」
そんな堀田さんが初めてタイを訪れたのは、今から30年前のこと。仕事関係の付き合いで誘われたのがきっかけだった。
「『面白いから行ってみないか』と声をかけられて、最初に行ったのがバンコクでした。そこからタイの夜遊びにすっかりハマってしまって(笑)、それ以降、年に数回通うようになりました。一回の滞在を長くしたほうが結果的にお金も節約できるので、当時はビザランをしながら長期滞在を楽しんでいましたね」
農協系のエンジニアとして働く堀田さんの仕事は春から秋が中心だ。冬から春にかけてはオフシーズンになるため、これまでも旅行を楽しみながら過ごしてきた。
出張先で尿が真っ赤に…“ステージ4”のがんを告げられる
そんな自由気ままな生活を送っていた堀田さんに、がんが見つかったのは3年前、2023年7月のことだった。
「出張先での休憩時間にトイレに行ったら、尿が真っ赤になっているのに気づいたんです。濃いワインみたいな色の尿でしたね。一瞬『あれ?』とは思いましたが、痛みもなく、体調も悪くなかった。だから、『一時的なものだろう』とそのまま仕事を続けました。でも、2回目にトイレに行ったら血の塊が混じって出てきて。それでも、『最近忙しかったし、疲れてるんだろうな』くらいにしか思わず、夜は飲みに行く気でした(笑)」
しかし、その後尿がまったく出なくなる尿閉塞を起こし、状況は深刻になる。飲みに行くのを中止して、ホテルの従業員に頼んで救急車を呼んでもらい、病院で処置を受けることになった。
「救急車の中では問診や血圧を測られました。歩けはしましたが、病院に着くとすぐに車椅子に乗せられて、処置室に直行させられました。処置室では、妊婦さんが使うような椅子に座らされ、足を広げるように指示されて。正直、ちょっと恥ずかしかったですね(笑)」
堀田さんは3泊にわたる検査を受け、その結果、医師からステージ4の前立腺がんであることを告げられた。がんは膀胱にも転移しており、ほぼ全身に広がっている状態だった。
「その後、家に戻り、近所の病院で手術を受けることになりました。手術はロボットによる遠隔操作で行われたのですが、ロボットが“ダ・ヴィンチ”という名前だったのが面白かったです。お腹に左右2か所とへその上に1か所、合計5か所の穴を開け、9時間に及ぶ手術で前立腺と精巣を切除しました」
それまで不健康な生活を送っているという自覚はなく、毎年欠かさず健康診断も受けていたという堀田さん。しかし、がん検診自体はあまり受けたことがなく、前立腺という自覚症状が出づらい部位であったことが、発見が遅れた一因だったのかもしれない。
「妻からはめちゃくちゃ怒られましたね。医師から余命については何も言われませんでしたが、なんとなく先が短いことを悟りました。でも、不思議と動揺はしなかった。人間、いつかは死ぬものだし……と、どこか冷静に受け止めていましたね」
反政府デモに巻き込まれ…パタヤと出合う
堀田さんのこうした達観した心境には、過去の体験が影響していた。2010年、バンコクに旅行した際、反政府デモの混乱に巻き込まれたことがあったのだ。
「タニヤに泊まっていたのですが、朝起きたら、ホテルの目の前にあるバンコク銀行で爆破テロが起こって……。昨日まで普通に歩いていた道が、一瞬で戦場みたいになったんです」
命の危険を間近に感じた堀田さんは、安全で落ち着ける場所に移ることを決めた。そして、バンコクから南へ約150キロ、海沿いの街パタヤへ向かった。これが、パタヤを知るきっかけとなった。
「パタヤはバンコクとは打って変わって、とても平和だったんです。いろいろな人がいるので他の人のことを気にすることもない。人も優しく、ノリが良く自分とウマが合う。ここにずっといたいなと思い、毎年のように通うようになったんです」
がんの手術後も、一時期は治療も考えた。しかし、抗がん剤療法を行うと食事もまともに取れなくなると周囲から聞き、それならば無理に治療を続けるよりも、あえて治療は受けず、パタヤで療養する道を選んだ。
「友達や親戚で病気になって入院しても、3か月も経たないうちに亡くなる人が多かった。それなら、病院で治療するより、パタヤで好きな酒を飲みながら穏やかに過ごしたいと考えたんです。医者からは『それがあなたのポリシーなんですね』と言われましたね(笑)」
日本と行き来しながらパタヤで療養生活を送る
現在、堀田さんは日本で仕事を春から秋にかけて行い、冬から春は病気の療養を兼ねてパタヤで過ごしている。
「日光に当たるとビタミンDが生成されて自然治癒力が上がるので、冬は特にパタヤにいるのがいいんですよね。本当は完全に移住したいんですが、保険が効かなくなってしまうので、何かあったときに何百万円もかかってしまう。今は薬も飲まずに、できるだけ自分の体の力で過ごしています。日本で病院に行くときはがんの進行具合を検査する程度ですね」
パタヤではシンプルで規則的な生活を送っている。
「朝はゆっくり起きて、10時ごろにブランチをとります。歩いて片道15分ほどの食堂で食べる40バーツのジョーク(おかゆ)がお気に入り。YouTubeでがん患者が食べないほうがいいものも調べたりして、自分なりに体調管理をしています。タイは新鮮なフルーツや野菜が安く買えるし、日本に比べると食事もシンプルに感じます」
また、筋肉を保つために移動はなるべく歩くようにしているという。
「無理をせず、でも体は動かす。そんな毎日ですね。ビーチまで散歩をしたり街を歩いたりして体を動かすようにしています。夜は繁華街まで1時間かけて歩いて、飲みにいくのも楽しみのひとつ。バービアで友達と、ビリヤードやダーツを楽しむこともありますね」
そんな生活を送る堀田さんに、いま思うことを聞いてみた。
「がんは完治するものではないので、延命できればいいなと思っています。正直、がんそのものよりも、治療の影響や抗がん剤、放射線の副作用で感染症や臓器障害が起きるほうが心配です。でも、実際にパタヤで療養を始めてから2年が経ち、今でもこうして元気に毎日外に出て飲みに行けるので、自分としてはこれでよかったんじゃないかと。このままパタヤで好きなことをしながら穏やかに過ごせれば、十分だと思いますね」
<取材・文/カワノアユミ>
【カワノアユミ】
東京都出身。20代を歌舞伎町で過ごす、元キャバ嬢ライター。現在はタイと日本を往復し、夜の街やタイに住む人を取材する海外短期滞在ライターとしても活動中。アジアの日本人キャバクラに潜入就職した著書『底辺キャバ嬢、アジアでナンバー1になる』(イーストプレス)が発売中。X(旧Twitter):@ayumikawano
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