いま、論客という言葉にどれだけの価値と重みがあるのでしょうか?24歳の若手“論客”がネット上で物議を醸しています。
有名芸能人を両親に持つ岸谷蘭丸の“間違った発言”が物議
その人は、岸谷蘭丸氏。俳優の岸谷五朗と元「プリンセス・プリンセス」の岸谷香を両親に持つセレブでありながら、豊富な留学経験で育まれた自由な発言でニュース番組のコメンテーターとして活躍しています。
そんな彼の「X」での投稿が大きな波紋を広げているのです。
それは衆議院の解散総選挙に関するもの。
<コメンテーター枠の我々は選挙前途端にクソ忙しくなるんで、野党の皆さんマジで次から解散する時は事前に教えてほしい>
(2026年1月10日午後0時21分現在は削除済)
このように、野党の皆さんは売れっ子コメンテーターである自分(岸谷氏)にどうか迷惑をかけないように、との皮肉を込めて私見を披露しました。
当然ネット上で総ツッコミされてしまいました。言うまでもなく、解散権は内閣総理大臣の専権事項です。野党に文句を言うのは筋違いです。
そんな小学生ほどの常識もないのに、機転を利かせたつもりで矛先を野党に向けている岸谷氏に怒りを通り越して呆れている。それが大方の反応です。
この他にも、岸谷氏は昨年の夏に「川崎市でクルド人っていうユダヤ系の人たちが暴れている」と、もはやどこから修正していいのかわからない発言もしていたことでプチ炎上しています。
これらをあわせて、改めて発言の危うさがクローズアップされている現状です。
無知であることは罪ではない。しかし…
岸谷氏に対する批判で最も多いのは「無知」であるという意見です。そこからは、“無知なのにコメンテーターをしている、または起用しているのがおかしい”という、世論が浮かび上がってきます。
けれども、無知であることそのものは決して罪ではありません。専門家では気付かない角度から、肌感覚で違和感や共感を与えるのが「無知」な人びとの役割だからです。
日本のメディアは、この無知の力を重用してきました。“生活者”の象徴として、素朴なそもそも論をぶつける役割です。
近年、この役割を最もスマートにこなしているのが、社会学者で作家の古市憲寿なのではないでしょうか。発言のたびにネットニュースになってコメント欄を炎上させる。その論法は、専門的な知性で大衆を説き伏せるのではなく、むしろその裏側にもぐりこんで議論をひっくり返してしまうやり方です。そこで古市氏が取る立場が、「無知」の側ということなのですね。
岸谷蘭丸と古市憲寿の“決定的な違い”とは?
そして、まさにここに岸谷氏と古市氏との決定的な違いがあります。古市氏が自分の意志で無知な態度を取るという選択をしている一方、岸谷氏は純粋に無知だということです。
古市氏は議論にルールと戦いの構図があることを把握したうえで無知を演じています。そうしないと面白くならないと知っているからです。
ところが、岸谷氏の一連の言動からは、そのように自己を客観視した形跡がありません。岸谷氏は、素手で丸腰なのにも気付かずに、自分には多くの武器があると勘違いしている。にもかかわらず、そのまま戦いに乗り込んでいるから、彼の発言は心底危ういのです。
問題は「彼の言葉に価値がある」という文脈で番組を構成していること
ただし、そのような岸谷氏のパーソナリティ自体は批判されるべきものではありません。むしろ、問題は彼の言葉に価値があるという文脈で番組を構成していることなのではないでしょうか。
確かに、“解散するなら野党から俺に一言あってもいい”とか“クルド人とかいうユダヤ系やべーよ”という発言は、面白い。
しかし、その面白さは、途方もない無法地帯から発せられていることを認識すべきです。
その底が抜けたあとには、もはや新しいものは生まれようもないからです。
文/石黒隆之
【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。X: @TakayukiIshigu4
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