「救急車呼んで」義両親が倒れ育児支援は消滅。20年勤めた会社を退職、パートになった私の本音

「救急車呼んで」義両親が倒れ育児支援は消滅。20年勤めた会社を退職、パートになった私の本音

1月13日(火) 9:35

夫の実家近くにマイホームを購入し、義両親の手を借りながら育児と仕事を両立していました。しかし、義父のがんをきっかけに義両親の手を借りることが難しくなり……。40代の仕事と子育ての両立の苦悩についてお話しします。

仕事復帰前に考えたこと
義両親が倒れ育児支援は消滅した女性

義両親が倒れ育児支援は消滅した女性

私たち夫婦が家を買ったのは私が30代半ば、夫が40代に入ってからでした。

育児休暇が終わったら共働きになることを考えて、夫の実家の近くに家を買い、義両親に育児支援を頼むことにしていました。

私が仕事に復帰すると、予定通り義両親が長女の保育園の送り迎えや夕食の準備などを手伝ってくれて、なんとか仕事と育児を両立することができていました。
義両親の体調に変化が
一度は仕事に復帰した私でしたが、次女を妊娠し、また育児休暇生活の中にいたときのことです。

義父にがんが見つかり、入院することに なりました。義母は義祖母や義父の介護で、孫の世話まで手が回らなくなっていました。

幸いにも義父はすぐに回復しましたが、心臓にも持病があり、不安は多く残ったまま。さらに、 義母も病気を患い、入院 することもありました。

私はそのころ三女を妊娠し、育児休暇を延長していました。 義両親が救急車を呼ぶことも数回 ありましたが、夫の実家の近くに住んでいたことと育児休暇中で家にいたことが幸いし、義両親の元にすぐに駆けつけてサポートをすることができました。
仕事復帰後の不安
三女の育児休暇の終わりが見えたころ、私たち家族の状況は長女だけのときの状況とはまったく異なっていました。

義両親は回復して元の生活に戻っていましたが、年齢も70代後半となり保育園の送迎などを日常的に頼める状況ではありません。私も40代、夫は50代になり、支援のない状況での共働きには体力的にも精神的にも限界を感じました。

私は時短勤務で復職したものの、職場へ迷惑をかけるのも申し訳なく、育児休暇期間を含め20年間勤務した仕事を辞めました。今はパートタイムで働いています。とはいえ子どもは小さいし3人もいるので、もう少し子育てが落ち着いたら仕事復帰も考えています。
まとめ
40代は仕事の責任が増す一方で、親の老いや自身の体調変化が重なる「曲がり角」の時期でもあります。かつては「フルタイムで働き続けること」が正解だと思っていましたが、家族の状況に合わせて働き方を変えることは、決して「諦め」ではなく、家族全員が笑顔でいるための「前向きな選択」だと気付きました。

育児と介護と仕事、すべてを完璧にこなすのは難しいもの。だからこそ、周りの手も借りつつ、その時々の自分たちに合ったバランスを柔軟に見つけていくことが、40代を乗り切る鍵になるのだと感じています。


※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。

著者:桃野ゆか/40代女性・三姉妹の母。小学校教員として19年勤め、その間に育休や仕事復帰を経験。現在は子育てや仕事の経験を元に、執筆活動中。
マンガ/☆まかりな☆かな

※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています



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