筋肉隆々になったフェラーリ|入念なレストアで蘇ったケーニッヒ308

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筋肉隆々になったフェラーリ|入念なレストアで蘇ったケーニッヒ308

1月4日(日) 12:11

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ドイツのチューナー、ヴィリー・ケーニッヒは所有するフェラーリ308に物足りなさを感じ、パワーを倍増させて1980年代のアイコンを生み出した。

【画像】一目でフェラーリと分かりながらも明らかに異なる、ケーニッヒ・スペシャルズ(写真12点)


天才に挑戦するには、相当な自信が必要である。肖像画「モナ・リザ」のモデルの夫として知られるフランチェスコ・デル・ジョコンドは確かに裕福であったが、レオナルド・ダ・ヴィンチに注文をつけたという記録は残っていない。教皇ユリウス2世がミケランジェロにシスティーナ礼拝堂の天井画を急ぐよう催促したこともなければ、シェイクスピアの戯曲の余白に王室による修正が書き込まれたこともない。だが、オランダからハンガリーに至る広大な領土を統治した神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世は、いささか異色の存在であった。彼はモーツァルトのオペラの傑作に対し「音符が多すぎる」と批評する大胆さを示したのだ。

フェラーリに楯突く
時計の針を現代まで進めると、生産ラインから出たばかりのフェラーリに「大幅な改良が必要だ」と考える厚かましさを持ったドイツ出版界の大物、ヴィリー・ケーニッヒがいる。ケーニッヒを単なるチューナーと見なすのは、彼に対する評価不足というものだ。彼は小手先の改良を加えるのではなく、言うなれば再設計を指揮した。

ターボチャージャーが装着され、インタークーラーが取り付けられ、シャシーをファインチューンし、サスペンションを見直し車高が低められ、空力性能が研ぎ澄まされ、タイヤとホイールが拡幅された。その結果は一目でフェラーリと分かりながらも明らかに異なっていた。フェラーリ308をスーパーモデルに例えるならば、ケーニッヒ・スペシャル308は一卵性双生児がパワーリフティングを始め、同じ骨格ながら筋肉隆々になった、とでも表現できよう。

ヴィリー・ケーニッヒは17歳の頃から、母親の車を”拝借”して、長い滑走路を駆け抜ける飛行場レースに参戦していた。1962年、彼はフェラーリ250GTベルリネッタSWBを駆って、ドイツ・ベルクマイスターシャフト(ドイツ・ヒルクライム選手権)で勝利を収め、エンツォ・フェラーリから、他の勝利したフェラーリドライバーたちとともに、マラネッロに招かれたこともある。そんなケーニッヒはエンツォに対して敬意こそ抱けれども、畏敬の念を抱くほどではなかった。

1974年、ドイツ上陸第1号車の365GT4BBを受け取った際、ケーニッヒは躊躇なくボディパネルを軽量な代替品に交換し、最終的には最高出力450bhpを叩き出すチューニング済み512BBエンジンを搭載した。

「父はレーサーとしての感覚の持ち主で車を見ると、すぐに何を改良すべきか自分の中で分かっていました」と息子のオリバー氏が語る。ケーニッヒはメカニックではなかったが、手を入れたい場所に最適な人材を選ぶ術を知っており、該当箇所は彼が求める高い要求水準を満たすまで、テストと調整を続けたのだった。

ケーニッヒのドリームチームには、後にポルシェ界で名声を築くことになる空力専門家のヴィットリオ・シュトロゼックが含まれていた。そして、”パワー不足”と不満を漏らしたあげく、ランボルギーニ・カウンタックV12エンジン2基にツインターボチャージャーを装着したことで有名になったターボの専門家、フランツ・アルベルトがチーフエンジニアを務めていた。

チューナーへの道
ケーニッヒが手掛けた365GT4BBは最高出力450bhpを発生し、目を見張るほど速かった。さらに重要なことに、365GT4BBは「ケーニッヒ・スペシャルズ」の始まりを告げるものだった。ケーニッヒは成功していた出版業からチューニング事業へと大胆に舵を切った。そして、ドイツ以外の顧客に向けて分かり易いよう自身の名前からウムラウト(ケーニッヒの本来のスペルはKönigで「¨」のこと)を取り除いた。

フェラーリはケーニッヒ・スペシャルズが最初に手掛けた作品だったが、ロックスター/ポップスター、国家指導者・独裁者、エリート・ビジネスマン、企業オーナー、時には犯罪者から続々と持ち込まれたメルセデス・ベンツ、ランボルギーニ、ジャガー、ポルシェなども手掛けた。オリバーは顧客リストのヒントはくれるものの、具体的な名前を明かすことはなかった。

純正の365GT4BBを「真のスポーツカーではない」と評したケーニッヒにとって、F40より下のクラスで彼がスポーツカーとして認める車はほぼ皆無だった。そんなケーニッヒは308のことを、”512BBが買えない人向けの小さなフェラーリ”と一蹴していたという。

「父は308を大した車だとは思っていなかったのは確かですが、可能性は見出していました」とオリバーが振り返る。「事実、ターボチャージャーを装着し、父が思い描く"スポーツカー"へと改良した308は気に入った様子で、旧ニュルブルクリンクを繰り返し周回していました」という。


ケーニッヒ308の実力を試す
私の前、グッドウッドのパドックには”真のスポーツカー”としてケーニッヒが認める308が鎮座している。フェラーリ308GTSiバイターボ・ケーニッヒ・スペシャルズには多くの美点があるが、ステルス性は含まれていない。

ケーニッヒ指揮の下、308は網膜を焼くようなジャッロ・フライと呼ばれる黄色に塗装され、エグゾースト音はまるで杭打ち機のようにみぞおちにずっしりと響く。時代を映す稀少なアイコンとして抜群の奇抜さを誇る308は、「強欲は善である」と歓喜した、オリバー・ストーン監督作品『ウォール街』で描かれた凄腕投資家投資家、ゴードン・ゲッコーのように、「スピードは善である」と1980年代の過剰さを称賛している。レースの血統を持つ美しいジャガーEタイプやACコブラが並ぶパドックにおいて、来場者が自撮りしたがるのはこの黄色いフェラーリだ。ポスターとしての需要は”常識的”な車よりも、ちょっと破天荒ぐらいな方が好まれる、ということだ。

しかし10年前、この308は納屋から自力で出ることすらできない状態だった。車両レストアラーであるJARのジョナサン・ローズ氏は、顧客のジェームズ・アンダーソン氏の代理でフェラーリ355を査定するためフィンランドを訪れていた際、売り手から希少な308も入手可能かもしれないと聞かされた。

「308GTSiバイターボ・ケーニッヒ・スペシャルズは悲惨な状況でした。エンジンはかからず、開けてみないとオーバーホールが必要かどうかも分からない状態でしたし、幾らかかるのかも未知数でした」とローズ氏は振り返る。「ジェームズには大きな賭けだが、うまくいけば唯一無二のものが手に入ると伝えましたよ」

ケーニッヒが手掛けた308が稀少な理由は明白だ。ケーニッヒ自身が自分の”仕事”の価値を理解し、相応の料金を請求していたため、308のチューニング費用は、ほとんど車両価格近くにまで膨れ上がっていた。1983年のドイツマルク建て価格表によれば、改造費用だけで新車のVWゴルフGTIが2台購入できたはずだ。その部品価格を挙げると、 フレアが1950マルク、フロントホイールが1本1250マルク、リアホイールが1本1350マルク、さらにスポーツスプリングが4本組で1400マルク、そしてターボキットが2万9500マルクとなっていた。強化ダンパー、エンジン冷却システム、強化クラッチ、ワイドタイヤ、さらにはリアウィング、フロントスポイラー、そしてケーニッヒ・スペシャルズがデザインしたサイドミラー790マルクといったメニューだ。

308は理想的なチューニング対象であった。軽量で機敏というポテンシャルを有していたからだ。もっとも、ケーニッヒの目には、最高出力240bhpのV8エンジンと最高速度が250km/h超ほどと、嘆かわしいほどパワー不足に映ったのだ。彼が見出した解決策はターボチャージャーの装着だった。「Bi-Turbo」(バイターボ)というバッジが装着されているが、実はツインターボを意味してはいない。シリンダーバンクそれぞれから1個ずつ、計2個のインレットを通して、排ガスを導く2個のバイパスバルブを備えていることを示しているに過ぎない。

だが、作業を終えた308が轟音を響かせてケーニッヒのワークショップから出た時には、パワーをほぼ倍増させていた。最高出力は240bhpから400bhpにまで引き上げられ、最高速度は285km/hにまで伸びた。

ケーニッヒの手が入った308は、強化スポーツスプリングとコニ・ダンパーでサスペンションセットアップを変更し、フロントブレーキにはAPレーシングキャリパーとディスクを装着。そのほかオイルクーラーシステムを新設し、エンジンカバーも交換した。そしてホイールも拡幅されてBBS製3ピースホイールには、フロントにグリップ力の高いミシュラン18/60レーシングタイヤ、リアには26/61が装着された。

レオナルド・フィオラヴァンティが描いた低く流麗なデザインは、空気抵抗を減らしダウンフォースを増大させたるために、シュトロゼックの手によって派手な整形手術が施された。新しいFRP製ウィングに超ワイドなホイールアーチが特徴的で、さらにドライバー側ドア後方にインタークーラーへ空気を送るためのインテークが設けられた(助手席側にはない)。スピードの追求においては、非対称であっても機能が造形に勝る。


入念なレストアでケーニッヒ308が蘇る
フィンランドの厳しい冬と粗雑な整備により、JARが作業に取りかかる頃には跳ね馬は駄馬と化していた。ケーニッヒが装着した航空機品質(元々、航空機向け)のレイジェイ製ターボチャージャーに代わって、ゴミ箱の蓋ほどのサイズを持つギャレット製ターボチャージャーが取り付けられ、ラゲッジスペースが浸食されるほどだった。

「幸いなことに308が我々のショップに到着した際、レイ ジェイ製ターボチャージャーはラゲッジスペースに、ケーニッヒ・スペシャルズ純正と思われるインテークマニホールドと一緒に置いてありました」とローズ氏は語る。JARのメカニックである、ベン・ナンキベル氏はイグニッション・システムや燃料噴射システムの修理・整備を行う前に、ターボチャージャーの配管作業から取り掛かったそうだ。

公式の整備マニュアルや設計図が存在しない中で、この308を”戦闘可能”な状態に戻すことは決して容易ではなかった。インターネットで写真や情報を探し出し、入手不可能な部品をリバースエンジニアリングで復元。レストアチームはエンジンやトランスミッションを分解することなく、徐々に車のハードウェアを修復していった。

レストアにおいて、すべてをケーニッヒ・スペシャルズと同じようにしたわけでもない。短時間のオーバーブースト用に装着していた水噴射システムはあえて見送り、ターボの過給圧は0.8バール以下に抑えることにした。これにより最高出力は320~350bhp程度にパワーダウンするものの、耐久性と信頼性の向上が優先された。もっとも純正308と比較すれば、十分にパワフルになっている。しかも当該車両はFRP製のボディゆえにスチールボディよりは軽い。

アンダーソン氏は308も所有している。両車について尋ねてみると、スポーツカーとレーシングカーほどの違いを感じるそうだ。

「ケーニッヒ・スペシャルズはより目的意識が明確です。迫力ある佇まいに見合うパワフルな走りを披露してくれて、純正308よりもエキサイティングに感じられます」という。

サーキットから離れてサセックスの曲がりくねった道路を走ると、低速域では車がやや扱いにくく感じられる。おそらく太いタイヤとパワーアシストのないステアリングの影響だろう。しかし、ひとたび加速してスピードが出てくると、すべてがシャープになるのが面白い。ギアチェンジの操作は重いものの確実で、グリップは驚異的。ダッシュボードに水準器を置いたとしたら、どんなコーナーでも気泡は真ん中に留まったままではないか、そう思わせるほどのフラットライドだ。

ケーニッヒ・スペシャルズは、ターボチャージャーが全回転域で過給するようなセッティングであったが、ローズ氏によるレストアで約4000rpmからヘビーウェイト級のパンチを効かせるようになった。ちなみに、「ヘビーウェイト」という言葉から連想されるマイク・タイソンとシルベスタ・スタローンがケーニッヒ・スペシャルズの顧客であった噂がインターネットに流れているが、オリバー・ケーニッヒは否定している。ヴィリー・ケーニッヒは両者に招かれハリウッドを訪れたことがあるにもかかわらず、だ。

ラウンドアバウトを出て二車線道路に入ると、ドッグレッグパターンのシフトゲートを2速にダウンさせた。アクセルペダルを踏み込んで、血中アドレナリンとむち打ち症のカクテルを解き放った。ケーニッヒ・スペシャルズ308GTSiバイターボの激しい加速は、乗る者を陶酔させる。最近、キングスウェル・コーチワークスによってボディ塗装の剥離、歪んだボディパネルの修理、そして完璧に再塗装が施された308だが、アンダーソン氏は動態保存するつもりは毛頭ない。

なお、ケーニッヒ・スペシャルズによる販売時のパンフレットには、ドイツの厳格な車両検査機関であるTUVがケーニッヒのチューンドカーのすべてを評価し、”レーシングスピードでの過酷な2000kmにおよぶテストを含む、すべての走行テストを問題なくクリアした”とまで豪語している。そうした言葉通り、過去9年間、様々な修復段階を経ながら、アンダーソン氏はこの308でスコットランド高地ツアーを含む何千マイルも走破してきた。ケーニッヒ・スペシャルの工場出荷時のような状態になった308だが、これからもアンダーソン氏によるドライブは続く。

残る疑問はただ1点。マラネッロの巨匠はミュンヘンの魔術師をいかに見ていたのだろうか。インターネット上には、フェラーリがケーニッヒ・スペシャルズに対し”すべてのフェラーリバッジの取り外しを求める法的措置を検討した”という噂が絶えない。たしかに自分の作品を改造されることを嫌ったエンツォにとって、ケーニッヒは煙たい存在だったかもしれない。

だが1984年、ジュネーヴモーターショーで288GTOが鮮烈なデビューを飾ったことを思い出してほしい。あの革新的なターボエンジンは果たして純粋にフェラーリ社内から生まれたものだったのだろうか。ケーニッヒが先駆的に手がけていたターボチューニング技術が、何らかの形でマラネッロの開発陣に刺激(対抗心やインスピレーション)を与えたとは考えられないだろうか。フェラーリとケーニッヒの関係は単純な対立構造では語れない、もっと複雑で興味深いものだったように思えてならないのだが。


1984年フェラーリ308GTSiバイターボケーニッヒ・スペシャルズ
エンジン:2927cc、32バルブ V8、DOHC、ボッシュ燃料噴射、レイジェイ製ターボチャージャー、横置きミドシップ
最高出力:400bhp/ 6400rpm最大トルク:289lb-ft/ 4500rpmトランスミッション:5速 MT、後輪駆動、LSDステアリング:ラック&ピニオン
サスペンション(前・後):ダブルウィッシュボーン、コイルスプリング、テレスコピックダンパー、アンチロールバー
ブレーキ:ディスク車両重量:1342kg性能:最高速度 177mph(285km/h)0-60mph加速:5.7秒


編集翻訳:古賀貴司(自動車王国)Transcreation:Takashi KOGA (carkingdom)
Words:Jonathan ManningPhotography:Matt Howell
取材協力:James Anderson, Jonathan Rose of JARose, jarcarstorage.co.uk, and Goodwood Motor Circuit.
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