【2025年の人気記事】日本中が熱狂した怪物・江川卓はなぜアメリカへと渡ったのか 「空白の一日」へとつながる知られざる留学記

photo by web Sportiva

【2025年の人気記事】日本中が熱狂した怪物・江川卓はなぜアメリカへと渡ったのか 「空白の一日」へとつながる知られざる留学記

1月2日(金) 7:00

提供:
江川卓、知られざるアメリカ留学記(前編)

怪物江川卓伝〜連載一覧はこちら>>

作新学院時代、12回のノーヒットノーラン(うち完全試合2回)や145イニング連続無失点など、数々の大記録を残してきた江川卓。とくに、初めて甲子園に出場した1973年春以降は、日本中に"江川フィーバー"が巻き起こった。

見る者すべてを虜にした圧倒的な才能。その才能があまりに大きすぎたがゆえに、周囲の人生さえも変えてしまった江川卓の軌跡を描いた書籍『怪物江川卓伝』(集英社)が発売され、話題を集めている。本稿ではそのなかから、これまであまり語られてこなかったアメリカ留学時代の一部を紹介したい。

当時クラウンの監督だった根本陸夫(写真右)と握手する江川卓photo by Kyodo News

当時クラウンの監督だった根本陸夫(写真右)と握手する江川卓photo by Kyodo News





【クラウン拒否と3つの選択肢】1977年のドラフト会議でクラウンから1位指名を受けた法政大4年の江川は、後日会見を開いた。

後見人と称して作新学院の理事長兼自民党副総裁で衆議院議員の船田中が同席するなか、クラウン入団を正式に断った。ここから「空白の一日」につながっていくのだが、この時点で江川には「社会人入り」「ハワイでの浪人」「アメリカ留学」という3つの選択肢があった。

ただ社会人に進めば、次のドラフトまで2年かかってしまうし、ハワイでの浪人は環境整備が乏しいため、1年間無駄になりかねない。幸い、日米大学野球で対戦したアメリカ代表のラウル・デトー監督の推薦もあってか、南カルフォルニア大学が野球留学という形で受け入れてくれる運びとなった。晴れて、作新学院職員という肩書きで、江川はロサンゼルスへと旅立った。

ちなみに、ドラフト会議で3度の1位指名を受けたのはNPB史上、江川ただひとりである。

1978年3月9日、江川はロサンゼルス空港に到着した。現地では財閥系商社の駐在員が世話係として待機しており、万全の状態が敷かれていた。さすが江川である。

大学のグラウンドに一歩踏み出すと、視界いっぱいにスカイブルーの空が広がり、その中に白い雲がアセントのように柔らかく浮かんでいた。緑の芝と赤褐色の土のコントラストは鮮やかで美しい。空気はほどよく乾き、心地よい風が頬をそっと撫でていく。東京の喧騒のなかで縮こまっていた江川の心も、何かの"澱"が落ちたように晴れ渡り、心機一転、新たな活力が湧き上がってくるようだった。



この続きはcodocで購読

【関連記事】
【人気記事】「江川卓と松坂大輔、どっちがすごかった?」名将・渡辺元智は即答 「独特のオーラをまとっていた」
【人気記事】江川卓さんは当時かわいそうだった!?誰も真似できない唯一無二の投球とは一体...?
【追悼】名手・髙代延博が胸に刻んだ、江川卓との忘れられない1打席「見せてみろ、スグル!」
【注目記事】篠塚和典が選ぶ巨人歴代ベストナイン「ON抜き・V9以降」の条件で名前が挙がったのは?
【対談】篠塚和典と定岡正二が振り返る高校時代と、巨人の若手時代原辰徳は「ほかの選手とは違った」
Sportiva

新着ニュース

合わせて読みたい記事

編集部のおすすめ記事

エンタメ アクセスランキング

急上昇ランキング

注目トピックス

Ameba News

注目の芸能人ブログ