F50はF40を凌駕できるのか?|フェラーリの2強スペチアーレを徹底比較【前編】

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F50はF40を凌駕できるのか?|フェラーリの2強スペチアーレを徹底比較【前編】

1月1日(木) 12:11

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2025年に30周年という大きな節目を迎えたフェラーリF50。その立場は、女性作曲家ファニー・メンデルスゾーンが有名な弟フェリックスの陰に隠れてきたことに似ている。はたして実際はどうなのか。ジェームズ・エリオットがF40と比較した。

【画像】F40の陰に隠れがちなF50。その実力を正当に評価する(写真4点)


フェラーリF50が30歳になった。ところが、いまだにF40と比較しなければ評価のしようがないように見える。この企画も、当初はF50だけを念頭にスタートしたにもかかわらず、結局はF40も添えることになった。最大の理由はその機会に恵まれたからだが、そのほうが自然に思えたからでもある。これでは、F50の誕生日にF40が現れ、主役を押しのけてバースデーケーキのキャンドルを吹き消すようなものだ。私もほかの人々と同じように、F50が長年求めてきたひとり立ちの権利を奪う罪を犯したことになる。F50にとっては、ひどく不当な状況だ(ジャガーEタイプの後継であるXJSが心から共感してうなずく様子が目に浮かぶ)。とはいえこれは、クラシックカー界におけるF50の冷遇を何よりも如実に示す証拠ではないだろうか。

F40誕生の頃
こうなった理由を理解するために、まずは、F50にこれほど大きく暗い影を落としている車と当時の状況について理解する必要がある。F40は、1980年代のスーパーカー開発競争のまっただ中で誕生した。直線的スタイルはピニンファリーナによるもので、車名はマラネロの会社が創業40周年を迎えたことにちなんでいる。イル・コメンダトーレことエンツォ・フェラーリの最後の車としても有名だ。F40はアナログの極致だった。力強い意思表明であり、宣戦布告だった。フェラーリは伝統のV12へのノスタルジーも、思慮分別もかなぐり捨てて、先代の、もっとフェラーリらしい外観の 288GTOのフォーマットに従い、パワフルな2.9リッターのV8に、日本のIHI製ターボを2基搭載した。

マラネロが生み出したのはモンスターだった。公称の最高速は201mphに達し、その1mphにつき1000ポンド近くになる価格だったにもかかわらず、生産台数は当初予定していた約300台の4倍に膨れ上がった。こうして、F40が5年間の生産期間を終えたときには、1311台が製造されていた。そのすべてが塗色もインテリアも赤で、中東からの特注の6台を除き、すべて左ハンドルだった。

エンツォ・フェラーリは、1987年7月21日に自身最後のフラッグシップが発表されるのを見届けると、それから1年ほどで世を去った。しかし、フェラーリの舵取りが揺らぐことはなかった。F40の父とも呼ばれるニコラ・マテラッツィのように、才能あるエンジニアがいたからだ。それでも1991年には、親会社フィアットのジャンニ・アニエリ直々の要請で、ルカ・デ・モンテゼモロが社外からやって来て社長に就任した。エンツォがこの世を去り、新社長は、かつてF1チームを率いたとはいえ、セーリングチームやサッカーW杯の運営、ベルモット酒の会社に携わってきた人物だ。しかも、フィアットはフェラーリの持ち株比率を90%に増やしていた。こうした状況で、次のフラッグシップに向けられる視線がどれほど厳しくなるかは想像できるだろう。ファクトリーですらそうだったのだから、外部の目はいうまでもない。結果は芳しいものではなかった。

F50の評価
1995年にジュネーブでF50がベールを脱ぐと(その後2年間で349台が製造される)、そのルックス(同じくピニンファリーナのデザイン)や車重(F40から130kg増加)で酷評された。何よりも非難が集中したのは、ワイルドなF40が多くの人の心をつかんだ、ヒリヒリするような興奮もなければ、純粋なスピードでも目劣りしたことだ。自動車界が求めていたのは、1992年に現れた新参者のマクラーレンF1を完膚なきまでにたたきつぶすようなスピードの悪魔だった。ちょうど1987年にF40がポルシェ959を打ち破ったと見なされたように。だが、フェラーリが選んだ方向性はまったく違った。フェラーリはもっと大人だったのだ。

4.7リッターの自然吸気V12を擁して、静止状態から3.7秒で60mphに達し(F40は4.1秒)、最高速は200mphを超える車に対して、厳しすぎる評価といわざるを得ない。しかし、運命はここで決まってしまった。自動車界では30年が過ぎた今でも、F40は史上屈指のモデルだが、その後継モデルは惨めな失敗作だと考える人がほとんどだ。今回、この2台を並べ、続けて試乗してみるまでは、私もそうした意見に傾きがちだった。その一方で、F50の価値が相対的に伸びていることや、それが示すように、実際に購入する人たちは外野で騒いでいる批評家よりこの車を高く評価していることには、あえて目をつぶってきた。

2台の”F”
試乗した2台は目立つことを望まないひとりの人物が所有する。趣味のよさを物語るように、288 GTO、ルッソ、ラ・フェラーリ、エンツォ、デイトナSP3、812コンペティツィオーネ・アペルタのオーナーでもある。彼はF40とF50を、英国バークシャーのVマネージメントで10年近く保管してきた。走行距離は2台合わせても4万マイルに届かない。つまり、神経質なことで有名なこの2台のフェラーリは、走行距離が極端に少なく、長期保管に預けられたきり、10年間ほとんど走行していないのか。そう聞いた私に、Vマネージメントのクリス・バックノルは、数週間おきにしっかりウォームアップを行っているから、いつでも使える状態だと即座に請け合った。

2台を並べて見れば一目瞭然だ。そもそもなぜこの2台が比較されたのだろうと不思議になる。F40の生産終了からF50の生産開始までは3年しか離れていないが、2台はあらゆる点で天と地ほどの隔たりがある。あの短期間に理念を完全に転換したこと自体が驚きだ。ツインターボV8(最もフェラーリらしからぬようでいて最もフェラーリらしい)から、伝統あるV12へ。完全なアナログから初期のデジタルへ。外観でも、直線だったあらゆるラインが曲線に変わった。F40はサーキットで誰もが振り返るロードカーだが、F50は公道で誰もが振り返るレーシングカーだ。

車内も同様である。ハーネスはシートベルトに、硬いレースシートはクッション入りバケットシートに変わった。まったく空間のなかったシートの奥には、ラゲッジ用ストラップが設けられた。シフトは1速が下にあるドッグレッグパターンから、一般的なHパターンへ。F40で後方に見えるのは、太い黒のロールバーと広いパースペックスガラス、熱による陽炎くらいだが、F50では、フェンダーやエンジンカバーと共に後方の道がキドニー型ミラーにきちんと映る。2台を比較したときの定評は、外観を見ただけで納得がいく。F40が凄みのある美しいウェッジシェイプなのに対し、F50にはどこかしっくりしないところがあるのだ。ボンネットとルーフラインがフロントウィンドウと接する部分が、どちらも中途半端でぎこちない。


・・・後編に続く。


編集翻訳:伊東和彦 (Mobi-curators Labo.)原文翻訳:木下 恵
Transcreation:Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.)Translation:Megumi KINOSHITA
Words:James ElliottPhotography:Sam Chick
THANKS TO V Management, v-management.com.
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