中野信治・インタビュー 前編(全3回)
現行のマシンレギュレーション最終年となる2025年シーズンのF1は、各チームのマシン性能が拮抗し、毎レース、手に汗にぎる接戦が展開された。そのなかでもマクラーレンのランド・ノリスとオスカー・ピアストリが開幕から強さを発揮し、チャンピオン争いをリードしていった。
しかし中盤戦以降、5連覇を狙うレッドブルのマックス・フェルスタッペンが反撃を開始。タイトル争いは最終戦のアブダビGPまでもつれ込んだが、ノリスがフェルスタッペンの追撃を振りきり、初のチャンピオンとなった。劇的な結末となったタイトル戦線の勝敗を分けたポイントとは?元F1ドライバーで解説者の中野信治氏に話を聞いた。
2025年のF1で初王者になったマクラーレンのランド・ノリス photo by Sakurai Atsuo
【フェルスタッペンが作った"当たり前"】マクラーレンのランド・ノリスが初めてのチャンピオンに輝きました。それが2025年の最大のトピックスですが、終盤戦で強烈な存在感を示したのはマックス・フェルスタッペンです。
彼の類まれなるマシンコントロール能力やマシンの感じ方は天才的です。あれはもう天が与えた才能としか思えないくらいですが、そんな卓越した能力を持っている彼でさえ、ライバルのマシンがよくなれば簡単に勝てなくなります。
とはいえ、フェルスタッペンはたとえマシンの性能で劣っていたとしても、時に優勝し、大量のポイントを取ってくることができる。そんな芸当ができる一番の理由は、彼の持っている"当たり前"にあると僕は思っています。
言葉を選ばずに言うと、フェルスタッペンの当たり前という基準は、ルールやスポーツマンシップの観点で言えば、ギリギリのところにある。白か黒かと言われれば、そのボーダーライン上にあると思います。
それでも許されているのは「フェルスタッペンだから」というのがある。他のドライバーが同じことをやったら「絶対にアウトだろう」となるところを、「フェルスタッペンだからこれくらいやっちゃうよね」と、当たり前にしてしまった。
たとえば、フェルスタッペンがインに飛び込んできたら絶対に当ててくるからもう避けるしかない、という感じです。彼は自分の乗るマシンに速さがない場合でもどんどん前に行こうとします。他のドライバーたちは彼をブロックすればいいのですが、アグレッシブな走りに気圧(けお)され、勝手にポジションを落としてしまうシーンをたびたび見ました。
だから2025年シーズン、フェルスタッペンは一時ランキングトップのドライバーに最大104ポイントの大差をつけられたにもかかわらず、最終的にはタイトル獲得まで2点差というところまで迫ることができた。それは天性の速さだけじゃできません。同時に彼の当たり前を周囲に許させるだけの強さも兼ね備えていたからこそ実現できたんです。
【かつてセナやシューマッハがやったこと】ドライバーとしての能力だけで言えば、ノリスはフェルスタッペンにかなり近いところにいます。僕は5〜6年前から言っていますが、ドライビングのデータを見ると、ノリスのスピードセンスはフェルスタッペンに匹敵するレベルにありました。
実際、マクラーレンのマシンの競争力が上がってくると、ノリスも速くなり、安定して結果を残すようになってきました。ただ彼がフェルスタッペンと同じ戦い方ができるかというと、それは難しい。おそらくマクラーレンのマシンの競争力が落ちたら、2025年シーズン後半戦のフェルスタッペンのような結果を出せないと思います。
ノリスは自分が乗るマシンが遅かったら、無理にこじ開けてでも前に行こうとはしないでしょう。強引なブロックをして、ライバルを絶対に自分の前に行かせないというドライビングもしないと思います。そこがフェルスタッペンとノリスの決定的な差になっています。
これはうまいとか下手とかとは別の次元の話です。まあ、広い意味ではうまさもあるんですけど......。ただ単にぶつかるのではなくて、ルール違反になるかならないか、ぎりぎりのところでうまくぶつかるとか(笑)。
グレーゾーンの使い方が絶妙ですし、それを平然とやってのけるメンタルの強さもフェルスタッペンはすごい。当たり前の基準が他のドライバーとはまったく違う。そういう独自の基準を作ったのが彼のすごさであり、強さの源泉になっています。
2025年のF1を振り返った解説者の中野信治氏 photo by Tanaka Wataru
さらに言えば、フェルスタッペンが自分のスタイルをトレンドにしてしまい、周りがマネをしなければならない状況を生み出しているのも強さに拍車をかけています。それはかつてアイルトン・セナやミハエル・シューマッハがやったこと。歴史は繰り返し、それを今、フェルスタッペンがやっているということです。王道というか覇道ですね。
マシンの走らせ方がまさにそうです。レッドブルのマシンはピーキーな挙動ですが、フロントが入りやすく、すごく曲がっていくオーバーステア傾向になっています。そういう特性のマシンがフェルスタッペンの好みで、レッドブルはフェルスタッペンのドライビングスタイルに合わせたマシン作りをしています。
そのトレンドが他のチームにも波及しています。だからチームメイトだけではなく、他チームのドライバーもフェルスタッペンの走りをマネせざるを得ない状況があったと思います。
【ノリスは今のF1が望むキャラクター】それでもノリスがチャンピオンを獲得できたのはマクラーレンのマシンの安定した速さにあります。もちろん、ノリスの成長も大きい。
僕はノリスと何度か話す機会がありましたが、すごく性格がいいんです。彼の印象をひとことで表すと、「本当のおぼっちゃま」。家は裕福で、子どもの頃にカートに夢中になり、それからずっとカートでいろんなレースをしてきたようです。
そこから順調にステップアップし、マクラーレンのジュニアドライバーになり、19歳でマクラーレンからF1デビューを果たします。その後も順調に結果を残し、F1ドライバーの生活を心の底から楽しんでいるよう見えました。
でもチャンピオンを獲得するためには、フェルスタッペンと対峙し、倒さなければならない。これまで楽しみながらレースをしてきたノリスは自分を変えることを余儀なくされます。そこからが彼にとって本当の闘いだったと思います。
photo by Tanaka Wataru
この2年間、ノリスは本当につらかったと思います。2024年、フェルスタッペンとのチャンピオン争いを通して一歩成長したと思ったら、2025年は若いチームメイトのオスカー・ピアストリが強力なライバルとして立ちはだかってきました。
とくにピアストリに中盤戦からリードを奪われて、後半戦に盛り返すまでに本当にいろいろな葛藤があったと思いますが、ノリスは大きなプレッシャーのなかでさらに成長し、タイトルをつかみ取りました。これがワールドチャンピオンになる人の成長速度なんだなと感心させられました。
ノリスがチャンピオンを獲ったことでF1ファンが増えるでしょう。彼が最終戦のアブダビGPで初めてタイトルを決めた瞬間を見ていて、すごく清々しい気持ちになりました。そんなふうに思わせるドライバーはなかなかいません。
いつも笑顔で、戦い方はクリーンで、ライバルをリスペクトし、家族を大事にする......。本当に今までなかったタイプのチャンピオンです。世界中で好かれる"愛されキャラ"ですよね。
おそらく今、F1が望んでいるのはノリスのようなキャラクターだと思います。2026年からF1はディズニーとのコラボが始まり、アメリカのエンターテイメントの要素を取り込んで、いっそう幅広い人たちが楽しめるスポーツとして新たな一歩を記します。
ノリスは新時代を迎えるF1のチャンピオンとしてふさわしい存在だと思います。でも、ノリスが引き立つのはフェルスタッペンがいるからなんですよね。それは2025年シーズンのチャンピオン争いを見て、強く感じました。
中編につづく
【プロフィール】
中野信治なかの・しんじ
/1971年、大阪府生まれ。F1、アメリカのカートおよびインディカー、ルマン24時間レースなどの国際舞台で長く活躍。現在は豊富な経験を生かし、ホンダ・レーシング・スクール鈴鹿(HRS鈴鹿)のエグゼクティブダイレクターとして、国内外で活躍する若手ドライバーの育成を行なう。また、DAZN(ダゾーン)のF1中継や毎週水曜のF1番組『WEDNESDAY F1 TIME』の解説を担当、2025年夏、世界中で大ヒットしたブラッド・ピット主演の映画『F1 / エフワン』の字幕監修も務めた。
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