新日本プロレスの人気プロレスラーにして「100年に一人の逸材」と言わしめ、第11代社長(’23年12月就任)も務める棚橋弘至が、日々の激務のなかでひらめいたビジネス哲学を綴っていく。今回は「プロレスのイメージを変える」ことについて。棚橋社長はいったいどんな結論に至ったのか。(以下、棚橋弘至氏の寄稿)
選手だけのときには気づけなかった「会場使用の裏側」
プロレスラー生活26年。’26年1月4日の東京ドーム大会で僕は引退します。
たくさんの応援をいただき、ここまで続けることができました。いつまでも闘っていたいという思いもありますが、最後の闘いに向けて、命、燃やします。
……という我が新日本プロレスは年間約150試合あり、日本全国を回ります。大きなアリーナ、県の体育館、市の体育館、イベントホールなど、会場の形式はそのときどきでバラバラです。
どの会場が観戦しやすいのか? やはり、後楽園ホールのキャパシティは、どの席からもよく見えます。仙台サンプラザホールのように、すり鉢状になっている会場も、とても良いですね。もっとプロレスを盛り上げていくためには、この会場選びもとても大切です。今回っている九州シリーズも、初めての会場が2か所ありました。
今まで、選手としてはこの会場選びにはノータッチでした。ただ一生懸命、闘うだけでした。
が、社長となり、大変さを痛感したのが、実はこの巡業のコース取りと日程に合わせて、会場を押さえていくことなのです。
移動はできるだけ隣県を回り、選手への負担を減らしたい。しかし、各会場もそれぞれ予定が詰まっており、新日本プロレスが大会を開催したい日に、空いているという保証がない。
そこで、僕が社長になって始めたのは、各会場に着いて、すぐにアリーナや体育館の事務室に行き挨拶をすること。
選手だけのときには気づくことができなかったというか、当たり前だと思っていた会場使用の裏に、スタッフサイドの見事な仕事っぷりがあったのです。
そこに、少しでも力になりたいと。体育館だったら、館長さんにご挨拶に行き、名刺を交換。そして、「新日本プロレスをこれからもよろしくお願いします」と伝え、さらに「キレイに使用させていただきます」と一言添える。
実は、各地で「プロレスには貸し出していないんです」という会場も多々あるのです。プロレスに対してもともとある荒々しいイメージもあるでしょう。しかし、そこで諦めるわけにはいきません。
ただ、なんらかのアクシデントで、椅子が壊れてしまったり、壁が傷ついたり、といったことが稀に発生します。
僕は、下げるための頭はいくらでも持っているので、各地の営業スタッフともコミュニケーションを取って、前に進みます。
プロレスのイメージを変え、皆さんが楽しめるジャンルにするために不可欠な活動。今までも、そして、これからも続けていきます。
幸い、僕は第一印象がすこぶる良く(笑)、その後、少しずつ下がっていく、という特性があるので(←問題)、新規開拓分野にはもってこいの人材、いや、逸材なのです(笑)。
今週のオレ社訓~This Week's LESSON~
プロレスの印象を変えるため、各地のスタッフとの対話も忘れずに
<文/棚橋弘至写真/©新日本プロレス>
【棚橋弘至】
1976年生まれ。新日本プロレスの第11代社長(’23年12月就任)であり現役プロレスラー。キャッチコピーは「100年に一人の逸材」。得意技は「ハイフライフロー」。身長181㎝ 体重101㎏
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