デザイナーのケン・オクヤマ自らが語る、エンツォ フェラーリ誕生秘話|Octane名車研究

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デザイナーのケン・オクヤマ自らが語る、エンツォ フェラーリ誕生秘話|Octane名車研究

12月23日(火) 12:11

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3回目を迎えた、エンスージアスト心をくすぐるイベント「Octane 名車研究」。歴史に名を刻んだ名車を厳選し、間近で実車を眺めながらその車をとことん極めるべく、モータージャーナリストの西川 淳氏がライフワークとして力を入れる非公開イベントだ。今回のテーマは「エンツォ フェラーリ」。なんと今回はスペチアーレを語るのに相応しい特別なゲストスピーカーとして、奥山清行氏をお迎えしての開催となった。

【画像】ケン・オクヤマ氏が「エンツォ フェラーリ」をテーマに語る非公開イベント「Octane 名車研究」(写真11点)


ポルシェ911、トヨタ2000GTときて、そろそろフェラーリを取り上げようと思ったとき、真っ先に思い浮かんだのは何か有名な個体(沢山ありすぎて、それはそれで選ぶのに苦労したことだろう)ではなく、奥山清行さんだった。歴史的な個体に焦点を当てオーナーと共に研究するというのが本企画のコンセプトだったが、車側ではなく人側、それも単にオーナーというのではなくその存在に強く関わった人物にスポットを当てるというのであれば、名車研究というテーマにふさわしいと思ったわけだ。

おりしも昨今のネオクラシック・フェラーリブームにあって、F50やエンツォの上げ相場は青天井の様相を呈している。そのあたりの秘密を探る意味でも、片方の生みの親というべき奥山さんに登場いただき、50からエンツォへ至る裏話を聞くのも一興というものだろう。しかも奥山さんご自身もまたエンツォのオーナーであった。

myエンツォと共に登場願う予定だったが、山形から運搬する時間と手間を考え、関東在住のオーナーさんに協力していただくことに。オーナーさんにしても愛用のエンツォが奥山さんと共演となれば、これ以上の喜びはないだろうとも思う。

エンツォ フェラーリ
まずはエンツォ フェラーリの概要について振り返っておこう。泣く子も黙るマラネッロの”スーパーカーシリーズ”(限定モデルで特に日本人はスペチアーレと呼ぶ)の一角を占める。2002年のパリモーターショーで正式デビューを飾ったが、その5カ月前に東京都現代美術館で開催された「アルテディナミカ」展において原寸大モックアップ(FXと呼ばれていた)が世界に先駆け展示されるなど、日本での注目度は特に高かった。もちろん当時ピニンファリーナに在籍していた日本人デザイナーの奥山氏が関わったこととも無縁ではないだろう。

CFRPモノコックの骨格にカーボンパネルの衣装を纏った2シーターMRのスーパースポーツである。リアミドに置かれたエンジンはもちろんV12自然吸気で総排気量は6リッター、最高出力660psを誇る。ティーポF140はその後多くの跳ね馬に搭載され名機の誉も高い。最新モデルのドーディチ・チリンドリのV12もF140系である。

世界限定399台+1(最後の1台はチャリティ用にローマ教皇がオーダー)。最新のオークション相場は400万ドル以上。創始者エンツォの名を冠したスーパー・フェラーリはF80へと至る現代のハイパーカートレンドを築いた一台でもあった。

カーデザイナー、ケン・オクヤマとは
そんなエンツォをデザインした奥山清行氏とはどんな人物なのか。筆者にとってはモーターショーやクラシックカーイベントなど海外の取材現場でよく顔を合わす、いつも冗談とそれゆえ笑顔の絶えない気のいい兄貴のような存在だが、もちろんカーデザイナー、否、日本を代表する工業デザイナーとして、彼の経歴はものすごい。

アートセンター・カレッジ・オブ・デザイン卒。同期にはアンドレアス・ザパティナスやフランク・ステファンソン、グラント・ラーソンなど錚々たる面々がいた(というか、同級生40人のうちわずか11人しか卒業できなかったのだから優秀な面々が揃って活躍するのも当然だ)。

奨学金を得ていたこともあってGMでカーデザイナーの道を歩み始めた。第四世代のカマロの先行デザインなどを担当。デザインスタッフ1500名の頂点に立ったのちポルシェに転職。996のデザインに携わり、シニアデザイナーまで務めたが2年半で退職。GM(アドバンスドデザイン)へ一度は復帰するものの、今度はピニンファリーナへ移籍。それが1995年のことであった。

二度のGM=アメリカ流、ポルシェ=ドイツ流、そしてピニンファリーナ=イタリア流と、それぞれ一流にして三社三様のデザイン現場で責任ある職務に励んだ結果、奥山氏は工業デザイナーとして(いみじくも彼の名前のように)奥行きの深い、数多くの引き出しを得ることとなった。そのことが現在の幅広いデザイン活動、メガネから新幹線まで、の糧になっているのだと思う。

「人生を決めた15分」
ケン・オクヤマといえばエンツォ フェラーリが代表作だと言われる。けれども本人は至って冷静で、「それはあくまでも結果論であって、あの車のデザインだけ特に力を入れたわけじゃなかった」と彼はよく言う。「一部のお金持ちだけの車のデザインが好きではない」とも。

けれども彼の名を世界へ轟かせたモデルは間違いなくエンツォ フェラーリであった。名車研究の当日はそのデザイン決定までのプロセスはもちろん、ピニンファリーナ社内の政治的な動きや当時の雰囲気、そしてルカ・モンテゼーモロのパーソナリティやその時代のマラネッロに関して、我々メディアでも知り得ない裏話が大いに語られた。実際にその現場にいたからこそ語ることのできる、言ってみれば"目撃談"は聞いているだけで手に汗握る展開であり、まるでその場にいるような気分にさえなった。参加された20名の読者諸兄は本当にラッキーだったと思う。

せっかくだからその一部を紹介しておこう。彼の「人生を決めた15分」というエピソードである。ただしこの物語はすでに多くの場所で語られており、また田中誠司氏による著作『奥山清行デザイン全史』(新潮社刊)にも詳しいのでぜひそちらも手に取って読んでみてほしい。

1998年秋。4年後の2002年にF50後継モデルを発表すべく、デザイン決定は大詰めを迎えていた。とある金曜の朝、トリノ郊外のピニンファリーナ本社に一機のヘリコプターが舞い降りた。ルカ・モンテゼーモロがやってきたのだ。ヘリのエンジンはなぜかかけっぱなしになっていたという。

用意されていた1分の1のクレイモデルを一瞥するなり彼は不機嫌そうに振る舞った。ピニンファリーナはフェラーリからデザインの特権を得ているように思われがちだが、実はそうではない。マラネッロはいつでもピニンファリーナから別のカロッツェリアに乗り換える用意があったし、モンテゼーモロの時代には特にそんな不穏さがあった。モンテゼーモロがトリノにやってきたのは"これでデザイン原案が決まらなければ間に合わない"というギリギリのタイミングだったので、ピニンファリーナは一瞬にして追い込まれたというわけだ。

デザインのトップはロレンツォ・ラマチョッティ。万事休すかと思われたとき、ロレンツォは奥山さんの引き出しに仕舞われていた別案のスケッチを思い出す。「きっと彼は日頃からデザイナーの引き出しを覗いていたのでしょう」と奥山は回想するが、とにかくロレンツォは奥山に耳打ちする。”あのスケッチをもってこい”。

色も塗られていないスケッチである。15分やると言われた奥山さんはデザイン室に戻ってスケッチを最低限のレベルに仕上げ、痺れを切らして部屋から出てきたモンテゼーモロの前に立ち塞がった。

日本人にしては良いデザインだ。モンテゼーモロは奥山の原案に沿ったデザイン提案を翌週の水曜日までにまとめるよう言い残して轟音響くヘリに乗り込んだ。そして翌水曜、再びヘリで降り立ったモンテゼーモロだったが、今度はちゃんとエンジンを切らせたそうだ…

そこからデザイン案の最終決定までのプロセスにはもうひとつふたつの悶着があって、それもまた面白い展開であったが、詳しくは前述の『奥山清行デザイン全史』に当たってほしい。

とにかく奥山さんのカーデザイナーとしての名声は、本人もいう通りにこの15分で決まったのだった。

興味深すぎる”よもやま話”
奥山さんの話は尽きない。聞きにこられた読者の皆さんも、あっという間の1時間だったに違いない。2時間でも3時間でも聞きたかったという方もいらっしゃったという。やっぱりナマは楽しい。

ピニンファリーナやフェラーリの裏話はもちろん、巨大企業GM、スポーツカーの雄ポルシェの内側の話にも興味は尽きなかったし、マクラーレンMP4-12Cのデザインにピニンファリーナがコミットした話も面白かった。なるほどそこでフランク・ステファンソンが出てくるのか、と。そしてフランクの意外な才能の話も飛び出して…。もちろん、誌面に残すことのできないストーリーも多々あった。時効がくればきっとまた奥山さんがどこかのインタビューに答えてくれることだろう。


文:西川 淳写真:佐藤亮太
Words:Jun NISHIKAWAPhotography:Ryota SATO


イベント協力
Ken Okuyama TOKYO
住所:東京都渋谷区神宮前2-27-13
営業時間:11:00~19:00
定休日:日・月(夏季休業・年末年始・祝祭日)
https://www.kenokuyamadesign.com/store/


「Ken Okuyama」ブランドの旗艦店として「Ken Okuyama CARS」「Ken Okuyama EYES」「Ken Okuyama CASA」を取り揃える。イベント当日はKen Okuyama CARSのkode57、kode9、kode7の3モデルが展示されており、参加は間近で実車をじっくり見ることができた。
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