お笑いコンビ「ジャリズム」としてデビューし、関西で一気に売れっ子となった
オモロー山下氏(57歳)。
元相方の桂三度(コンビ時代の芸名は渡辺あつむ)と日本のお笑い界を席巻するかと思われたが、東京進出後にまさかの失速。
その後、コンビ解散、再結成、“世界のナベアツ”フィーバーを経て再びの解散……と、そのキャリアは浮き沈みが激しい。
現在は芸人、うどん屋プロデューサー、ライター、投資家と肩書が入り乱れる変幻自在の働き方で注目を集めているオモロー山下氏だが、彼は何を拠り所に歩き続けてきたのか。半生をひもときながら、その本音に迫った。
順風満帆だった大阪時代
――現在、お笑い芸人だけではなく、ライター、投資家、うどん店のプロデュースと活動は多岐にわたりますが、山下さんがご自身で思う今の職業って何なんでしょうか?オモロー山下(以下、山下):お笑い芸人としてスタートしたんで、芸人でありたいとは思ってるんですけど、舞台には立ってないから芸人と名乗るにはおこがましいし……。お笑いタレントが一番しっくりくるかもしれません。
――そのお笑いキャリアの始まりであるジャリズムがデビューしたての頃、関西では大活躍でしたよね。山下:養成所を出た直後に何本かテレビに出させてもらってましたし、デビューして1年くらいでアルバイトをしなくても生活できるようになってました。
関西ローカルでしたが一時、全放送局でレギュラーがありましたし、若手の賞もいろいろ獲ってましたね。
――それだけ忙しいとかなり稼げていたんじゃないですか?山下:いや全然。関西時代のギャラ、めちゃくちゃ安かったんですよ(笑)。
関西にいた5年くらいはありがたいことに休む暇もないくらいお仕事はいただいてたんですけど、月収で100万円を超えたのは1回だけでした。
東京進出に失敗しレギュラーはラジオ1本に
――そうすると、本格的に収入が増えたのは1997年に東京に進出されてから?山下:いや、それが全然ダメで(笑)。
1997年の2月に東京に引っ越したんですけど、引っ越した直後に雨上がり決死隊と千原兄弟とジャリズムでやってたレギュラー番組「アメジャリチハラ」(テレビ朝日系)が終わることが決まって。関西の仕事も交通費がかかるから徐々に声がかからなくなっていきました。
――ゲストなどで出演した東京のほかの番組でもダメだったんですか?山下:関西ローカルの番組中心に出ていたんで、誰も僕らのことを知らないんですよ。「こいつら誰やねん」って目でしか見られてなかったと思います。
――東京にうまくはまらず、仕事はどんどん減っていったと。山下:そうですね、最終的にはレギュラー番組が関西のラジオ「ヤングタウン」(MBSラジオ)だけになってしまいました。
当時、ラジオ終わりに毎回マネージャーさんから1週間のスケジュールを貰ってたんですけど、ある日それを確認したら、次のスケジュールが来週のラジオだったときはめちゃくちゃ焦りましたね。
デビューしてから1週間まるまる休みだったことなんてなかったですから。
相方に解散を切り出した理由
――1998年12月にジャリズムを解散されたのは、仕事が激減した影響もあるんですか?山下:週に1本しか働かないのは社会人として成立してないって思って、別の仕事をしようと思って相方の渡辺に「俺辞めるわ」と解散を切り出しました。
――お笑いも辞めるつもりだったんですか?山下:芸人は辞めるつもりでしたが、お笑いには関わりたかったんですよ。それなら吉本のマネージャーになったらええやんって思ったんですけど、そのことをチーフマネージャーに相談したら「お前にできるわけないやろ!」と一蹴されました(笑)。
――軽い気持ちでやるな!と(笑)。山下:僕のことをよく知ってるから適性がないのをわかってたんでしょうね(笑)。
マネージャーになったはずが……
――1回目のジャリズム解散後はどのように過ごされていたんですか?山下:解散後はナインティナインの矢部さんのお兄さんが経営していた芸能事務所でマネージャーとして働いていました。
でもこっそり芸人としての仕事も続けてて、「外回り行ってきまーす」って会社に言ってルミネtheよしもとでSPコメディに出たりしてましたね。
――えっ、それって大丈夫だったんですか?山下:もちろんバレまして(笑)、「マネージャー業か芸人か、どちらか一つにしてくれ」と。当時は芸人の稼ぎだけでは生活できなかったので、「じゃあ芸人辞めます」と会社に伝えました。
――生きていくために芸人を引退するつもりだったんですね。山下:そうなんです。でも、僕が芸人を辞めると言ったのが回り回って渡辺に届いたらしくて、「辞めるくらいならもう一回やらへんか」と渡辺から引き止められて再結成することになりました。
ドッキリかと思った2度目の解散報告
――2004年のジャリズム再結成後、2007年に渡辺さんがコンビネタではなく、ピン芸の“世界のナベアツ”としてブレイクします。山下:途中から僕も合いの手を入れたりする役としてコンビで出られるようになったのでありがたかったです。
ただ、1回ちょっと腹が立ったのは番組スタッフの扱い。あるネタ番組のオーディションで「ジャリズムさんは大御所すぎてちょっと……」って断られたのに、同期のTKOは出てるし、結局渡辺は世界のナベアツとしてピンで出てるし。そのときはなんやねん!と思いましたけど(笑)。
――ジャリズムが全国区でやっと日の目を浴びたかと思いきや、2011年に渡辺さんが落語家になるために2回目の解散をすることになります。山下:ある日2人で話してるときに渡辺が「俺、落語家になるわ」って解散を切り出されたんですよ。長年一緒にいて落語が好きなんて一回も聞いたことがなかったし、それを聞いたときはドッキリやと思いました。
話が終わって、「いつカメラ入ってきてネタバラシしてくれるんかな?」って思いながらキョロキョロしながら部屋を出て、結局家に帰ってもネタバラシがなくて(笑)。それで、本気なんやなとやっと気づきました。
――引き止めはしなかったんですか?山下:渡辺が決めたことなんで、あいつの人生を邪魔したくないなと思って。それに、文枝師匠(六代桂文枝)に弟子入りするために構成作家の仕事とかも辞めるって聞いて、そこまでの覚悟があると聞いたら止められないですよ。
1000万借金してうどん屋をオープン
――ジャリズム2回目の解散後はどのように過ごしていたんですか?山下:またしてもピン芸人になりましたが、やっぱり芸人の稼ぎだけでは食えなくて。それで何か仕事に繋がればいいなと思って、僕が香川出身というのもあって、うどんを食べ歩いてSNSに感想を書いていました。
そしたら何軒か巡っているうちに、新宿で衝撃的においしいうどんに出会ったんです。
それで店主の方に「めちゃくちゃ美味しいですね。僕もお店出したいと思ってるんですよ」って話したら快く「全部教えますよ」と言ってくださって。
――それが「山下本気うどん」に繋がるわけですね!山下:はい!使っている機材も仕入れ先もレシピも全部無料で教えてくださって。しかもお店で修行までさせていただいて。半年ほどでなんとか近い味が再現できるようになり、「山下本気うどん」をオープンしました。
――開業資金はどうされたんですか?山下:実は今田耕司さんと宮迫博之さんに500万円ずつ貸していただきました。一刻も早く返したいと思っていたので、「人件費を削れば早く返せる!」と思って最初の2年間は店舗で働きまくりました。
1000万円の借金が1億円に
――どんな働き方だったんでしょうか?山下:朝の仕込みから夜の閉店後の掃除まで、芸人の仕事がない日はずっと店にいました。ほぼ毎日。
おかげさまでお店が繁盛して、今田さんと宮迫さんに借りた資金も返せたのでホッとしましたね。
――その後、フランチャイズ化や商標の売却など、順調にビジネスが大きくなりました。山下:はい。商標の売却益と店舗からの利益などを合わせて、1億円くらいになりました。最初は借金して始めたのに、本当にいろいろと恵まれていたなと思います。
“ほったらかし投資”で資産3億円達成
――うどんの利益1億円を“ほぼ全部”投資に回したとか。山下:銀行に預けていても金利はほぼ0%なので、それなら投資しようと。最初はNISAでリスクが小さいインデックス投資から始めて、その後個別株も触りだしました。
ただ、僕が投資を始めた2022年が暴落の年で、買えば買うほどマイナスになっていって(笑)。
結局9000万円くらい突っ込んで、「これはもう無理や!」と怖くなってしばらくパソコンを開くことはありませんでした。
――はからずも“ほったらかし投資”になっていたんですね。山下:まあ僕の場合は現実逃避でしたけどね(笑)。そんな調子で数か月投資のことは忘れてて、ふと年末に見たらトントンまで返ってきて、年明けにプラスに転じたんです。そのときは本当によかったなと胸を撫で下ろしました(笑)。
――その後は順調に増やせているんですか?山下:2023年からは調子がいいです。いまの総資産額は利確していないので含み益ベースですが、一時3億円は突破しました。
うどん屋と並行してライター業を始めた理由
――「山下本気うどん」の経営と並行して、「インタビューマン山下」の名前でライター業を始められて話題にもなりました。山下:引退したスポーツ選手がキャスターとして現役選手にインタビューしたりしてるじゃないですか。それと同じようなことを、芸人でやったら面白いだろうし、芸人の気持ちがわかるからこそ聞ける話もあるかなと思って始めました。
お笑い芸人やタレントのインタビューが多いですが、違うジャンルだとしても共演したことがある方に声をかけやすいのは強みですね。
――例えばどんな方にインタビューされたんですか?山下:最近だと堺正章さんですね。堺さんってあんまりインタビューを受けないらしいんですが、「山下くんだから」と快諾してくださいました。
――関係性があるから盛り上がる話もあるでしょうし。山下:インタビュー自体はいろんな人と話せてめちゃくちゃ楽しいんですよ。でも書くのが……、面倒くさくないですか?
――いや、それを言っちゃうとライターとして……(笑)。山下:まあそうなんですけど、一応喋るのはプロとしてやってきたけど、書くのは素人ですから大変なんですよ(笑)。うどん屋で一日働いた仕事終わりにヒーヒー言いながら原稿を書いてることもよくありました。
成功の秘訣は“オモロくない生き方”?
――ここまで、山下さんのいろんな面を伺ってきましたが、投資以外の現在の収入の割合を聞いてもいいでしょうか?山下:「山下本気うどん」にはプロデューサーとして関わっていて、その給料が割合的に一番大きいです。全体を10とすると、うどん6割:ライター3割:タレント1割くらいかな。
――え!?タレント1割?山下:「少なくない?」みたいな顔してるやん!でも、芸人じゃなければここまでいろいろと仕事はできなかったと思います。
うどん屋をテレビやメディアで取り上げてもらえるのも、「芸人の山下」がやっていたから。堺正章さんに取材できたのも、そうですよね。
YouTubeの投資番組に呼ばれることも増えたんですが、別に4年で3億円は投資界隈ではそんなに珍しくない。でも、「芸人の山下」というオプションがあるからオファーをくださっているんだと思います。
――たしかに、すべてが「芸人の山下」さんだったから繋がっているかもしれませんね。ちなみに、ご自身で何の才能が一番あると思っていますか?山下:全部そこそこだと思います、どれも中途半端なんですよ。
うどん屋も丸亀製麺さんみたいに大きくないし、投資も100億円稼いだテスタさんほど稼げてない。ライターや芸人としても大成していない。失敗しないけど、大成功もせず、全部普通なんですよ。
オモロー山下なのに、全然オモロくない生き方してますよね(笑)。ただ、失敗しないためのディフェンスだけはうまい。大失敗しない性格なんです。
――今後やりたいことはありますか?山下:「山下本気うどん」だと、いま一番人気の「白い明太チーズクリームうどん」を超えるヒットメニューを開発したいと日夜研究中です。
あとは投資のバラエティ番組もやってみたいですね。堅くなく、楽しく投資を語る番組。芸人と投資家の両方の顔が生きるかなと思ってます。
<取材・文/松嶋三郎、撮影/杉原洋平>
【松嶋三郎】
浅く広くがモットーのフリーライター。紙・web問わず、ジャンルも問わず、記事のためならインタビュー・潜入・執筆・写真撮影・撮影モデル役など、できることは何でもやるタイプ。X(旧Twitter):@matsushima36
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