「親ガチャ」という言葉が示す通り、家庭環境を選ぶことは誰にもできない。同じく生まれつき決まっているのが「苗字」だ。結婚や養子縁組を経て変わる可能性があるものの、基本的にはそれなりに長い付き合いになる。
筆者も「椿原」というやや珍しい苗字であるため、電話で名前を伝える際に聞き取ってもらえずに苦労することも多い。そのため、さらに珍しい苗字の人は今までどんな人生を歩んで来たのか気になってしまう。
さて、『M-1グランプリ2015』王者の漫才コンビ・銀シャリの鰻 和弘(うなぎ かずひろ)さんもかなり珍しい苗字の持ち主。初見ではまるで芸名と勘違いしそうになるほどではないか。
今年のM-1も決勝が差し迫っているが、残念ながらこの記事には漫才の話はない。ただただ苗字の1点にフォーカスしたインタビューをお届けしよう。
散々からかわれた小学生時代
ーー自分の苗字は好きですか?
鰻和弘:
今は結局、好きになりましたね。特に芸人になってからは、覚えてもらいやすかったり、ネタにもなるので。
ーーということは、以前は好きではなかった?
鰻和弘:
小学生のころは、からかわれたりすることもしょっちゅうありましたからね。わざと違う魚の名前、たとえば「おい、穴子!」とか呼ばれたり。他にも鮪やら鰯やら言われて、とにかく魚へんの付くもので呼ばれたら、絶対に振り返らないとダメみたいな。
ーーうわぁ、確かに嫌ですね。
鰻和弘:
あとは、僕を触ってきて「うわ、(うなぎだから)ヌルヌルしてる」とか言われたことも。
土日は「電話線を抜いて生活していた」
ーーご家族も、嫌な思いをされることは多かったんでしょうか?
鰻和弘:
昔、家の電話番号が「ハローページ」に載ってたじゃないですか。あれ、一般の家庭とお店のどちらも載っているので、うちを鰻屋だと思って「配達お願いします」って電話かけてくる人がいるんですよ。
ーー確かに、考えてみれば起こり得ますね。
鰻和弘:
週末になると10件くらいは当たり前にかかってくるので、おかんはいつもキレてましたね。
ーー生活に支障をきたすレベルですもんね。
鰻和弘:
中には、イタズラでかけてくる人もいたので、最終的には土日は電話線を抜いて生活していました。
偽名は「中西」一択、その理由は?
ーー私も「椿原」という少し珍しい苗字で、電話で名前を聞き取ってもらえないことが多いんですが。
鰻和弘:
あ、めちゃめちゃありますね!「鰻です」って言っても、「船木さんですか?」「凪さんですか?」と、何ラリーも続いたり。一番ひどかったのが、「え?普段着さん?」って。いや、確かに電話している時の格好は普段着やけど、そんな奴おるわけないやん!と。
ーー面倒事を避けるために、工夫していることはありますか?
鰻和弘:
本名が必要でないお店の予約などは「中西」で統一しています。
ーーたくさんある苗字の中から、なぜ「中西」を?
鰻和弘:
以前は、山田とか阿部とかで適当に予約してたんですが、そうするとお店に行った時に、どの名前で予約したか覚えてない時があって。実際、お店で予約した名前を忘れて、怪しまれたことがあったんですよ(笑)。その時の予約名が「中西」だったので、それ以降はずっと「中西」で。
元カノ「重子(しげこ)」さんと別れた理由
ーー会話のやりとり以外で困ったことはありますか?
鰻和弘:
(自動車の)免許証ってフリガナないじゃないですか。何年か前までは、免許更新の時は教室のようなところで、教官が新しい免許証を見ながら名前を読み上げていって受け取るシステムだったんですよ。僕の番が来たら「えぇ、さかな……サカナさ~ん!」って呼ばれたことありましたね。
ーーそんなわけないのに!
鰻和弘:
まぁ、僕しかいないってわかるので、立ち上がって免許を受け取りに行きましたけど、やっぱり恥ずかしいですよね。
ーー他にも嫌だったことはありますか?
鰻和弘:
この苗字のせいで、彼女にフラれたこともありますね。重子(しげこ)さんっていう名前の子と付き合っていたんですが、「結婚したら、鰻重子。うな重になっちゃうから、将来を考えると無理」と言われて。
ーー不可抗力すぎる!(笑)
鰻和弘:
中学時代は野球部だったんですが、3年の時に初めて市民球場での試合にスタメン出場できることになったんです。大きな電光掲示板に自分の名前が出るのって、誇らしいじゃないですか。でも、実際「2番ショート、鰻くん」って放送されて、電光掲示板に名前が出たら画数が多すぎて、電球の数が足りなくて、ただの白い丸みたいになってたんですよ。めっちゃ悔しかったですね!
うなぎを食べると祟りが起きる?
ーー「鰻」を食べたことはありますか?
鰻和弘:
うちは代々、うなぎを神様として祀っているので「食べられない」のもキツいですね。食べると、うなぎの祟りが起きるっていわれて育ってきました。
ーー祟り!?
鰻和弘:
実際、うなぎを食べた先祖が2人ほど亡くなっていると聞いています。兄貴が、「そんなの迷信だ!」って言って、「うなぎパイ」を食べたことがあったんですが、泡吹いて倒れたんですよね。
ーー「祟りマジじゃん!」と思うと同時に、うなぎパイにするあたり、お兄様も少しビビりながらですね(笑)。
鰻和弘:
そうなんですよ。でも、うなぎパイもうなぎのエキスが少し入っているから、ダメだったんですかね。
ーーどこの地域の神様ですか?
鰻和弘:
鹿児島県指宿で、鰻姓の発祥はそこなんですよ。昔、オオウナギが池から出て来て、村への災害を防いだことから、神様になっているらしいです。祠みたいな小さなものですが「鰻神社」も実際にあって、僕もプライベートで何度か行きました。
苗字が鰻で得したことは「ほぼない」
ーー困りごとばかりのようですが、得したことはありますか?
鰻和弘:
今回の取材のように、「鰻仕事」がたまにあるんですよ。こないだも、うなぎを研究している大学教授の方と対談とか(笑)。今年も「巨大うなぎパイを作る」という企画のロケに呼ばれて行ったり。でも、僕は食べられないので、ロケに行ったのに試食もしないという謎の展開でしたけどね(笑)。
ーー食べることができれば、もっと色々な仕事が来そうですね!
鰻和弘:
そうなんですよ!春華堂さん(うなぎパイの製造・販売をする会社)にも「何で使ってくれないんですか?」って聞いたんですけど、「やっぱ、食べれない人に頼むわけないじゃないですか」って(笑)。「鰻の成瀬」(うなぎチェーン店)の社長にも「鰻君を使いたいんだけど、食べれないからねぇ……」って言われました。
ーー得したエピソードを伺いましたが、やっぱり損エピソードになりますね(笑)。
鰻和弘:
僕は息子がいるんですが、この苗字で申し訳ないなと思いますよ。親が芸人ってだけでも心配なのに、しかも鰻ですから。
ーー苗字が珍しいから、お子さんの下の名前は極力わかりやすくするなど、何か策を講じられましたか?
鰻和弘:
いえ、むしろ思い切って縁起のいい名前に振り切ったものをつけましたね。僕は「鰻 和弘」っていうんですが、下の名前を覚えてくれている人って、本当にいないんですよ。だから、下の名前もきちんと覚えてもらえるのがいいなとも思って。
「なんで鰻なん?」と言われても…
ーー奥様やそのご両親は、結婚する前後で「鰻」になることについて、ザワついたりしませんでしたか?
鰻和弘:
結婚後しばらくして、妻に「“鰻姓”をなめてた!めっちゃ大変!」って言われましたね。
ーーどう大変なんでしょう?
鰻和弘:
職場で「なんで鰻なん?」ってめちゃくちゃ聞かれるんですよ。「なんで」とかないじゃないですか!
ーー「なんで山田なん?」とは聞きませんもんね。
鰻和弘:
答えがない質問を、無限にされて本当に面倒くさいんですよ。「これを、ずっと浴びてきたん!?」って妻に言われて、申し訳ないんですが「理解してくれる人ができた」って、ちょっと嬉しくなっちゃいました(笑)。
ーー回答するには、先ほどの鹿児島ルーツの話をしないといけませんしね。
鰻和弘:
だから、コミュニケーション能力は鍛えられると思いますよ。これまでに同じ質問を何万回もされてきましたからね。
いつか行きたい「橋本」という鰻屋
ーー鰻としてのこの先の目標は?
鰻和弘:
いつかは鰻を食べようと思っています。タモリさんにも、「お前にどうしても鰻を食べさせたい」と言ってくれていて、「一回苗字を変えて、鰻を食べ終わってからまた戻すのはどう?」とか「医者を横につけて食べよう」とか、色々考えてくれたんですよ。
ーー祟りを乗り越えて!
鰻和弘:
僕自身の本気なところとしては、東京の日本橋に相方と同じ名前の「橋本」っていう鰻屋があることを知ったんですよ。ここで食べるなら、流石に神様も許してくれるんじゃないかと!あるご年配の方にとったアンケートで「最後の晩餐に食べたいものは?」の1位が「うなぎ」だったんですよ。そんなに美味しいなら、いずれ絶対に食べたいです。
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舞台やテレビでもそうだが、鰻さんの周りにはどこか柔らかい雰囲気がある。もちろん、鰻さん自身の持って生まれた才能でもあるとは思うが、こうした数々の面倒と日常的に向き合って鍛えられてきた部分もあるように感じた。鰻さんがいつか鰻を美味しく食べられる日が来ますように。
<取材・文/Mr.tsubaking>
【Mr.tsubaking】
Boogie the マッハモータースのドラマーとして、NHK「大!天才てれびくん」の主題歌を担当し、サエキけんぞうや野宮真貴らのバックバンドも務める。またBS朝日「世界の名画」をはじめ、放送作家としても活動し、Webサイト「世界の美術館」での美術コラムやニュースサイト「TABLO」での珍スポット連載を執筆。そのほか、旅行会社などで仏像解説も。
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