ワークスカーの生き残り|ランチアの伝説はここから始まった【前編】

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ワークスカーの生き残り|ランチアの伝説はここから始まった【前編】

12月15日(月) 12:11

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ランチアは数十年にわたってラリーシーンを席巻したが、その時代は、優美な外観のフルヴィア・クーペから始まった。希少なワークスカーの生き残りを、リチャード・ヘッセルタインが試乗する。

【画像】1970年のレースで、豪快なパフォーマンスで伝説的な展開を見せたランチア・フルヴィア(写真4点)


この元ワークスのランチア・フルヴィアが全開で猛り狂ったら、怒濤のような大音響を発する。3、4マイル先の窓ガラスが震えるほどで、風向きによってはさらに遠くまで響くかもしれない。クルージング中でさえ、会話を成立させるには大声を張り上げて、大げさな身ぶり手ぶりをする必要がある。1970年11月のRACラリーで、ハリー・カルストロームにペースノートを読み上げたグンナー・ハッグボンは、さぞかし声がかれたに違いない。このフルヴィアは、予想を覆して総合優勝を飾った。それが、このシャシーナンバー1411にとって、前線での最後の見せ場となった。キャリアはその後も続いたのだが…

ランチア”Hi-Fi”
ランチアはラリーで大きな成功を収めていた。最たるものがルイ・シロンとチロ・バサドンナが乗ったB20GTでの1954年モンテカルロ・ラリー優勝であり、強豪としての地位を築いたのは、1960年代末のことだった。1963年にチェーザレ・フィオリオ(父のサンドロはランチアの広報責任者だった)が"Hi-Fiクラブ"を設立し、これがのちにランチアのセミワークスチームの地位を獲得して、HFスクアドラ・コルセとなった。フルヴィア・クーペは1965年11月のトリノ・モーターショーで、フルヴィア・ベルリーナの派生型として登場した。ベルリーナと共通のメカニズムを持ち、Vバンク角が極端に狭いV型4気筒、DOHC(各バンクに1本ずつのカムシャフトを備える)、1216ccエンジンを搭載した前輪駆動車だった。ラリー出場を意図したフルヴィアHFも誕生した。同時期に開催されたツール・ド・コルスにレオ・チェッラとセルジョ・ガメラナが1216ccの排気量のままで出走して、8位でフィニッシュした。

その2年後、フルヴィアは同イベントとスペイン・ラリーでも総合優勝を果たした。1968年11月には、13゜V4エンジンのボア・ストロークを拡大して排気量を1584ccと増大した”ティーポ540”バージョン・エンジンを得た。ファクトリーの記録によれば、競技仕様車に搭載された”ヴァリアンテ1016”ユニットは、7200rpmで158bhpを発生した。写真のフルヴィアもその1台だ。このスペックのフルヴィアがホモロゲーションを取得できたのは1969年秋だったが、それに先立って、同年初めのモンテカルロ・ラリーと同時開催されたラリー・メディタレーニアンにはプロトタイプの出走が認められており、カルストロームとハッグボンが、フルヴィア・クーペ1.6 HFで勝利をつかんだ。

続いて、ワークスチームはニュルブルクリンクへと向かった。リエージュ -ローマ-リエージュ・ラリーから生まれたマラソン・デ・ラ・ルート84時間に参戦するためだ。ノルトシュライフェとズートシュライフェ(北コースと南コース)からなる歴史的コースを舞台に、84時間にわたって続く苛酷なイベントである。ここでも1.6HFはプロトタイプとして出走し、カルストローム、セルジオ・バルバジオ、トニー・フォールのドライブで”グリーンヘル”を332周して、総合優勝を飾った。

フルヴィア1.6クーペHF”1411”
今回、私たちが取材したフルヴィアが競技デビューを飾ったのは、1970年2月のラリー・スウェーデンのことだ。カルストロームとハッグボンが2番手に付けていたが、終盤のステージでデファレンシャルが破損し、リタイアを余儀なくされた。次の出走は5月のタルガフローリオで、サンドロ・ムナーリとクラウディオ・マリオーリによってクラス優勝を果たす。総合でもレーシング・プロトタイプに混じっての9位という好成績である。アルファロメオ・ティーポ33/3を1台、フェラーリ206Sスパイダーを2台、ワークスのポルシェ908を1台、あの公道レースで凌いだのだ。1カ月後には、バルバジオとマリオ・マヌッチによってラリー・アルピ・オリエンタリで2位フィニッシュ。優勝は、アミルカレ・バレストリエリと未来のランチアのチーム代表、ダニエル・オーデットのフルヴィアだった。

ランチアの元スポーティングディレクターであるジャンニ・トンティが書いた『Reparto CorseLancia』によると、このフルヴィアはそのすぐあと、おそらくテスト中にダメージを負った。1970年7月2日にキヴァッソのファクトリーから新しいボディが届き、ここでグループ4仕様にモディファイされたとトンティは記している。ボディシェルを交換すると、このフルヴィアはムジェロGPに出走し、"レレ"ことラファエレ・ピントのドライブでクラス優勝。続いて同年10月の1000分ラリー(オーストリア)では、カルストロームとハッグボンが4位でフィニッシュした。

そのあと、大きな勝利が訪れる。このスウェーデン・ペアは1969年11月のRACラリーでもランチア・フルヴィア1.6クーペHFで優勝していたが、それは、圧倒的強さのポルシェが突然リタイアしたあとだった。彼らが1970年も同じ偉業を達成する可能性は、半分終了した時点では非常に低いように見えた。ランチアは厳しい戦いを強いられ、サンドロ・ムナーリ/トニー・ナッシュ組が横転してリタイアしていた。気温が急降下する中、折り返しの時点で出走車両の半分以上がリタイアし、トップはサーブのスティグ・ブロンクヴィスト/ボー・ライネッケ組だった。まだ日程は2日半あったものの、好成績を収める可能性が消えかける中、残りのフルヴィアは翌日の舞台であるウェールズへ向かった。

その途中で、サービス用バンとチームマネージャーの車両が故障して、ブラックプールで立ち往生してしまう。さらに悪いことに、”私たち”のフルヴィア”1411”は、壊滅的なオイル漏れを起こして、エンジンのベアリングを傷めてしまった。その上、シモ・ランピネンとジョン・ダヴェンポートの3台目のワークスカーまでギアボックストラブルに見舞われた(その前にヘッドガスケット抜けを起こしていた)。この混乱状態の中、ウェールズのマカンスレスに設けられたサービスパークに、数人のメカニックがどうにかたどり着いた。チームはエンジンどうしでベアリング交換を敢行し、ランピネン/ダヴェンポート組は残りのステージを断念した。こうして、カルストローム/ハッグボン組がすべての期待を背負うこととなったのである。

ここから、事態は伝説的な展開を見せる。たった1台残ったフルヴィアは、1時間遅れており、次のタイムコントロールまでは100マイルあった。前年のヨーロッパ・ラリーチャンピオンで、滞空時間の長さから”スプートニク”の異名を持つカルストロームは、とんでもない走りを見せた。地球の重力だけでなく、不利な状況にも逆らって、残り30秒で到着してみせたのだ。不可能を成し遂げたかに見えたそのとき、目の前にトラックが後退してきて、カルストロームは回避行動を取らざるを得なかった。その結果、盛り土にぶつかって車はダメージを負ってしまう。ハッグボンはすかさず車から飛び出してタイムコントロールに駆け込み、無事にチェックインできた。

これだけでも驚くべき話だが、フルヴィアを人力でサービスエリアへ押していき、二人のメカニックがステアリングボックスとドライブシャフト、その他もろもろを交換した。これを土砂降りの中でやったのだ。その後の武勇伝は省略するが、要するに、スカンジナビアペアは英雄的な離れ業を演じた。移動も含め、5日間で82ステージ、2300マイルを走破した末に、わずか2分半の差で優勝をもぎ取ったのである。豪快なパフォーマンスを見せた”1411”は、これを最後にワークスカーから引退する。その後はヒルクライムに活躍の場を移した。

あらゆる仕様を含めたフルヴィア全体で見ると、その輝きは1971年も衰えず、ランチアはヨーロッパ・ラリー選手権で6勝を挙げる。翌年には、ムナーリとマリオ・マヌッチが1972年モンテカルロ・ラリーで優勝し、ランチアは国際マニュファクチャラーズ選手権タイトルを獲得。この小さなクーペは1974年にもなお最高峰に挑んでいたが、この頃からランチアはフルヴィアとストラトスを併用するプログラムに移行した。ハイライトのひとつに、サファリ・ラリーでの3位がある。1.6HFで出走したムナーリ/マヌッチ組は、懐疑派が間違っていたことを証明した。フルヴィアはタフだった。カレンダーの中で最も苛酷なイベントで、見事な耐久性を披露したのである。

・・・後編に続く。


編集翻訳:伊東和彦 (Mobi-curators Labo.)原文翻訳:木下 恵
Transcreation:Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.)Translation:Megumi KINOSHITA
Words:Richard HeseltinePhotography:Jonathan Fleetwood
取材協力:ニック・ベンウェル+デイヴィッド・グッドウィン(www.phoenixgreengarage.com)
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