連載:アナログ時代のクルマたち|Vol. 66フェラーリ365GT2+2

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連載:アナログ時代のクルマたち|Vol. 66フェラーリ365GT2+2

12月12日(金) 18:11

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個人的な話で恐縮だが、生まれて初めてドライブしたフェラーリが、今回紹介する356GT2+2であった。一般的にフェラーリといえば、ベルリネッタと称された2シーターのクーペボディが主力であるが、60年に誕生した、本格的な量産型2+2である、250GTE以来、4シーターモデルに市場性があると確信したであろうフェラーリが、常に4シーターモデルをラインナップに加えている。しかも250から後の365に至るまで、この2+2モデルは、フェラーリ全販売台数の5割を占めていたそうだから、まさに主力モデルだったのだ。

【画像】モータージャーナリストの中村孝仁氏が初めて乗ったフェラーリ、365GT 2+2(写真9点)

365GT 2+2は、1967年のパリショーでデビューを果たし、250GTEの後を引き継いで4シーターフェラーリの系譜を守った、330GT 2+2の後継モデルとして誕生した。当時のフェラーリは、気筒当たりの排気量が車名となっていた。いずれの場合もエンジンはV12を搭載していたから、例えば250というモデルは250x12で3000、即ち排気量3000ccとなり、365の場合は12倍すると4380となる(ただし正確にはボアxストローク81x71mmで、正確には4390ccであった)。つまり4.4リッターV12というわけである。エンジンの設計者は50年代に二人いて、一人はジョアキーノ・コロンボ、もう一人がアウレリオ・ランプレーディであった。もっとも、二人はこの365GT2+2が誕生するはるか以前に、フェラーリを辞しているのだが、それ以降のエンジンも、ほとんどがこの二人の設計によるものであった。ちなみにこの車のエンジンはコロンボ設計のものである。

ボディは当時としてはかなり巨大で、全長は4974mmと、ほとんど5mに達するサイズを持つ。これに対して全幅は1786mmであるから、如何に細く長いボディであったかわかると思う。この車は、1967年から1971年までの間に、801台(807台という説もある)が製造されたということだが、前述したように、この時代のフェラーリ生産台数のおよそ50%を占めていたというから、如何にこの車がフェラーリの屋台骨を支えていたかがわかる。

一般的に性能面や革新的な技術については、ベルリネッタに採用されるケースが多いのだが、実はこの2+2はそうした側面でも、ベルリネッタ(2シータークーペ)並みの革新性を持った車だったのである。

そのひとつはシャシーである。330GT2+2までは、そのサスペンションレイアウトがフロント、ダブルウィッシュボーン、リアは半楕円リーフのリジットアクスルであったのに対し、365GT2+2ではフロントは同じでも、リアはフロント同様にダブルウィッシュボーンを採用した独立懸架だったのである。この形式は330GT2+2と同じ年にデビューした275GTBに初採用されたもので、まさにベルリネッタと同じサスペンションレイアウトだったのである。もっともボディ/シャシーは依然として分離型、つまり独立したスチール製のチューブラーフレームを持っていた。

もうひとつ大きな特筆ポイントは、リアのサスペンションにハイドロニューマチックのセルフレベリング機構を備えていたことだ。この種のハイパフォーマンスカーにセルフレベリング機構が採用されたのは、この車が初めてであった。

さらに、この車はフェラーリとして初めて、パワーステアリングを備えていたことも大きな特徴であるし、オプション(アメリカ仕様は標準だったとも言われる)でエアコンを装備したのもこの車が最初であった。

インテリアは豪華そのもの。ウッドパネルのダッシュボードに、本革の4座。330までは2+2そのものであったというが、この車は名前こそ2+2だが、実質的な4シーター車であった。

1976年といえば、すでにこの車の生産が終了してから5年が経過していたが、おそらく日本に導入されたのは、この時が初めてだと思う。当時アルバイトをしていた会社には2台の365GT2+2があった。1台は赤、もう1台は渋い茶色のボディを纏っていた。アルド・プロヴァローネがデザインを担当していた時代のピニンファリーナの作品で、性能と気品を兼ね備えたモデルだった。トップスピードは245km/hに達すると言われた。冒頭にも記したように、この車は筆者がドライブした初めてのフェラーリであった。その後幾度となくドライブし、茶色のモデルはミュージシャンのかまやつひろし氏が購入していった。何度かの手直しの後に納車にいった時、かまやつさんと車内で色々と話したのは良い思い出だ。

オリジナルのモデルは275同様のマグホイールを履いているようだが、日本に来たモデルはいずれもボラーニのワイヤーホイールを履いていた。ロッソビアンコ博物館にあるモデル(メイン写真)は、後の365GTB4ディトナと同じ、5本スポークの星形ホイールを履いているが、資料によれば最後期型のモデルには、このホイールが装着されていたそうで、これも純正である。また、トランスミッションは5速マニュアルが標準装備だが、800台ほどのうち、52台はオートマチックトランスミッションが装備されていたという。オートマチックの装備もフェラーリにとって、この車が最初だったろう。


文:中村孝仁写真:T. Etoh
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