市毛良枝 12歳で親元離れ東京へ 女子校で開花した“素直さ”「とても私にはしっくりきて

市毛良枝 12歳で親元離れ東京へ 女子校で開花した“素直さ”「とても私にはしっくりきて

市毛良枝 12歳で親元離れ東京へ 女子校で開花した“素直さ”「とても私にはしっくりきて

12月6日(土) 6:00

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フリーアナウンサーの唐橋ユミがパーソナリティをつとめるTOKYO FMのラジオ番組「NOEVIR Color of Life」(毎週土曜9:00~9:30)。“生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと”をテーマにした、トークと音楽が満載のプログラムです。各界を代表して活躍する女性ゲストが、自らの言葉でメッセージを伝えます。
11月の放送のゲストは、俳優の市毛良枝さんです。この日の放送では、12歳で上京したときのエピソードなどについて語っていただきました。


市毛良枝さん



唐橋:(静岡県生まれの市毛さんですが)生まれた時から中学から東京に行くことが決められていたそうですね。

市毛: はい、そうです。それは私が生まれた時から、両親とも同じ考えだったみたいで、そう言われて育っていますから、「いつか東京に行くんだ」と思っていました。

唐橋: 12歳から親戚のお宅に預けられての東京暮らし。ホームシックにはならなかったですか?

市毛: 最初の1年は、東京に行ったことが楽しくて、そうでもなかったんです。でも、ちょっと慣れた時に、両親によく送っていた手紙に「帰りたい」って書いたら、すごく長い手紙が返ってきてしまって。

唐橋:(お父様からは)どんなお返事が?

市毛: 母が、「もうちょっとドライな子かと思っていたら、意外と普通の子でほっとした」と言ってくれたらしいんです。最初の1年、私が楽しそうにしているから、母は少し寂しかったようですね。そう父から(手紙の返事が)返ってきました。

唐橋: 中学高校の6年間は、東京の女子校で過ごされたそうですね。

市毛: 女子しかいない環境がすごく馴染みまして、とても楽しかったです。今でも、中学高校の6年間に帰れるならもう一度帰りたいと思っているぐらい。

唐橋: のびのびされていたのですね。

市毛: そうですね。あと、東京の女の子が、例えば可愛い洋服を着ている子に「可愛いね」って言うと、地元の同級生は「こんなの安物だよ」などと恥ずかしがっていたのに、東京の子は「可愛いでしょう? 好きだから買ったの」って言うんですよ。それがすごく逆に新鮮で。「こんなに素直に言っていいんだ!」ということが、とても私にはしっくりきて、すっかり性格が明るくなった気がします。



市毛良枝さんとJO1の豆原一成さんがダブル主演をつとめる映画「富士山と、コーヒーと、しあわせの数式」は現在公開中です。ぜひ劇場でご覧ください。


そして、市毛さんが100歳で亡くなられたお母様との介護の日々を綴った著書「百歳の景色見たいと母は言い」は、小学館から発売中です。

<番組概要>
番組名:NOEVIR Color of Life
放送日時:毎週土曜 9:00~9:30
パーソナリティ:唐橋ユミ
番組Webサイト: https://www.tfm.co.jp/color/
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