「女優を続けてほしい」とメッセージが…森口博子涙で明かす中山美穂さんとの「FAX文通」

1996年、レコード会社社員の結婚披露宴に一緒に出席した森口さんと美穂さん(写真:本誌写真部)

「女優を続けてほしい」とメッセージが…森口博子涙で明かす中山美穂さんとの「FAX文通」

12月6日(土) 6:00

訃報から1年。中山美穂さんの同期で、親交の厚かった森口博子さんが美穂さんとの思い出を語った。今回、話をしてくれたのは、取材を通じてあることを伝えたいためだという。

《あのね、あなたに出会えたこと、とてもとてもよかったって思う。だから、あなたが生まれてきたことを、私は私の神様に感謝するよ》

「これはドラマ『For You』(フジテレビ系・1995年)の撮影最終日に(中山)美穂ちゃんからもらったFAXです。美穂ちゃんがヒロインで、私は同じ人を好きになる役。当時は携帯電話を持っていなかったので、ずっとFAXでやりとりしていたんですよ」

古い感熱紙に目を落として、懐かし気にそう振り返るのは歌手の森口博子さん(57)だ。今年、芸能生活40周年を迎えた森口さんは、12月3日に40周年の記念アルバム『Your Flower ~歌の花束を~』を発売。

12月20日からは広島を皮切りに記念ツアーを行うなど精力的な活動が予定されているが、一緒に40周年を祝いたかった相手がいる。昨年12月6日に54歳で急逝してしまった中山美穂さんだ。

1985年、ともにキングレコードからデビュー。森口さんのデビュー曲『水の星へ愛をこめて』はオリコン16位に輝いたが、その後はヒットに恵まれなかった。先に芸能界のスターとなったのが美穂さんだった。

「美穂ちゃんが主演した『セーラー服反逆同盟』(日本テレビ系、1986年)というドラマに、ちょい役で出演したんですが、美穂ちゃんはもう忙しかったんで、ほとんどため撮り。現場で話す機会もありませんでした」

■「女優を続けてほしい」美穂さんの言葉が自信に

当初はあまり交友のなかった2人。しかし、森口さんがバラエティタレントとしてブレークし、さらに9枚目のシングル『ETERNAL WIND~ほほえみは光る風の中~』のヒットで1991年の『NHK紅白歌合戦』に出演したころから共演が増えるようになる。

「紅白のメークルームって、大部屋なんです。みんなで並んでお化粧をするんですが、美穂ちゃんと隣になって、その後も歌番組やドラマなどで共演を重ねていきました」

前述のFAXが始まったのもこのころだ。バラエティの人気者となり、多忙だった森口さんの体を、いつも2歳年下の美穂さんが気遣ってくれた。

「『忙しいですか。体、正常ですか?人を愛してますか?優しくて女性らしい博美ちゃんのこと、なぜかいつも気にかけています』というメッセージをもらいました。美穂ちゃんは私のことを本名の博美で呼ぶんです。本当に人の事をよく見ていてくれて心配りが素晴らしくて。

それに、美穂ちゃんはいつも私を外へ連れ出そうとしてくれました。食事会や一緒にロサンゼルスに旅行に行こうという誘いのFAXもありますね。でも、いま読み返してみると、どれもかなっていないんですね」

それほどに忙しかった。1992年からは冠番組の『夢がMORI MORI』(フジテレビ系)が放送開始。テレビでは明るく振舞っても、森口さんの心が悲鳴をあげていたことを美穂さんは見抜いていた。

「『心は元気ですか?私は逆に繊細そうに見えて神経図太いけど、博美ちゃんは本当は繊細で寂しがり屋だって私もわかってるから。真逆なんだよね。大丈夫?』って。

普通、2回くらい断わったら、もう遊びに誘ってくれませんよね。でも、美穂ちゃんは何回も誘ってくれました。とても優しいんです」

忘れられない仕事がある。前述の『For You』で美穂さんと共演したことだ。

「私は洋服が好きで、ドラマでも毎日いろんなコーディネートをして現場に行ってたんです。でも、美穂ちゃんは、本当は着替えるのが簡単なスエットなんかで来たかったらしくて、後から『博美ちゃんが毎日おしゃれしてくるから、まずいと思って、私も前の日に洋服とかちゃんと決めて、ちゃんとして行かなきゃって、すごい焦ったんだよ』と言われて。『え!そうだったの!?』。かわいいなあって(笑)」

女優としての自信をくれたのも美穂さんだった。

「私は演じることに苦手意識があったんです。でも、撮影期間中に美穂ちゃんがFAXで『お願いがあるの。女優を少しずつでも続けてほしい』『本当にいいもの持ってるもの、それを生かそうとしてるもの』と伝えてくれてありがたかった……」

心の支えとなった美穂さんからのFAX。一方、美穂さんにも、森口さんからのFAXはかけがえのないものだったようだ。

「あるとき、美穂ちゃんは『このFAXが私にとって、今ビタミン』って書いてくれたことが嬉しくて。いつも気にかけてくれている美穂ちゃんの、元気のきっかけになっていたらしく……。

『博子ちゃんにだったら、なんでも聞いてもらえるみたいで』って。心のSOSも書いてくれていたし、私もつらいことや家族のことを色々と伝えていました」

■「『私たち40周年だね』そう言っているようで」

2003年に美穂さんはフランスに移住後、2014年に帰国。一方、森口さんはタレントとして、そして人気歌手、女優として忙しい日々を送っていた。でも、互いの存在をいつも気にかけていた。

「電話で『久しぶりに食事でもしたいね。時間があったら会おうね』ってたわいのない話をしたんですが……それが最後でした」

訃報は突然だった。森口さんは自身がDJを務めるラジオ番組の生放送中だった。アナウンサーが血相を変えて収録室に飛び込んできてニュース速報を読み上げた。

――中山美穂さんが亡くなりました。

頭が真っ白になった。

「放送は続いていたので『ただ驚いています』と伝えて、『後でゆっくりと美穂ちゃんと私の中で、お話しする時間を作りたいと思います』と言ったのだけは覚えています」

今年、ともにデビュー40周年を迎えた“年下の同期”のことを思いながら、森口さんはこう語る。

「『お互い40周年だね。おめでとう』って祝福の言葉をかけてあげたいなって。実はこの取材があるって知らずに、たまたま引き出しを整理していたら美穂ちゃんのFAXがたくさん出てきたんです。美穂ちゃんも『40周年だね、私たち』って、言っているような気がします。

今年の3月に美穂ちゃんの40周年のボックス(『~Miho Nakayama 40th Anniversary~ 中山美穂「ザ・ベストテン」永久保存版』キングレコード)が発売されました。生前、この企画をすごく楽しみにしていたそうで、たくさんの人に『聴いてほしい』っていう気持ちがあったと思うから、今それを伝えてあげたいんです。この取材を通じて、声を大にして」

そう笑う森口さんの目は涙でうるんでいた。

(取材・文:インタビューマン山下)

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