【女子バレー】大阪マーヴェラスの榊原菜那は「バレーをすること以外に夢がない」 大ケガからの復帰戦も、緊張を楽しさが上回った

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【女子バレー】大阪マーヴェラスの榊原菜那は「バレーをすること以外に夢がない」 大ケガからの復帰戦も、緊張を楽しさが上回った

12月5日(金) 9:40

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『ハイキュー‼』×SVリーグコラボ連載vol.2(17)

大阪マーヴェラス榊原菜那前編

(連載16:石川かほくの川﨑鈴奈が「怖かった」最後の春高バレー大学でアウトサイドヒッターに転向してトップリーグへ>>)

【中学でミドルブロッカーに転向し、JOCに選出】「マイペース」

大阪マーヴェラスの榊原菜那(23歳)は、自らの性格を周りにそう表現されるという。誰にも自分の領域に入らせない、という我が強いものではない。フラットで力みがなく、欲のようなものを発しない印象がある。猫のように気まぐれにも感じるが、気高さも失っていない。

2020年からマーヴェラスでプレーする榊原photo by YUTAKA/アフロスポーツ

2020年からマーヴェラスでプレーする榊原photo by YUTAKA/アフロスポーツ





「(周りの選手を)ライバル視していないんですよ。『このプレー、すごいな。マネしたいな』っていうのはあるんですが、基本は『自分ができることを全力でやろう』っていう感じなんです。バレーボールをできる幸せがあれば、私はそれだけでいいんです」

身長180cmのミドルブロッカーは、なかなか本性を現さない。

静岡県島田市に生まれた榊原は、小学3年の時に地元のスポーツ少年団でバレーを始めた。

「たまたま友達に誘われて、気軽な感じで始めました。家族は誰もバレーをやっていなかったですね。やめたい気持ちもあったんですけど、気づいたらやり続けていました」

榊原は目を細めて笑った。

「自分の中学は、スポーツ少年団の子たちが全員そのまま上がった感じだったんです。だから、バレーが楽しいとも感じていたんですけど、『友達たちと一緒にバレーを続けたい』というのが強かったかもしれません」

小学校の時は身長を生かしたレフトで、アタックとブロックに専念したが、中学ではミドルブロッカーに転向している。JOC(ジュニアオリンピックカップ。各都道府県の選抜チームで争われる全国大会)に出場し、東海地区で注目される存在になった。

「ずっと身長が伸び続けていたので、身長だから"見つけてもらった"感じですかね」

榊原はそう言って、はぐらかした。高さだけが取り柄だったはずはないが、謙虚さが滲み出た言葉というよりは、本心なのだろう。

【一番記憶に残っているのは最後の春高バレーでの敗戦】「JOCに行ったことで、八王子実践高校の貫井監督が静岡まで来てくださって。でも、最初は『誰なんだろう。八王子実践ってどこにあるの』と思っていて(苦笑)。中学までは日本代表の試合も、春高バレーも見ていなかったんです。

それでも、何度も来てもらい、いろいろ話を聞かせてもらって、最後は『OKをもらえないと帰れない』となって......。周りは『すごいじゃん。頑張れ』と言ってくれましたが、(越境で入学し、寮に入ることに対して)不安はあったし、地元を離れるのは寂しかったです。でも親は、『自分で選びな』と自由にさせてくれました」

彼女は高校バレーの名門に身を投じた。

「(中高一貫校のため)中学から上がってくる子たちがほとんどでしたが、私の代は外部生が3人いたので、その子たちと一緒に過ごしながら馴染んでいきました。もともと、そこまで積極的に話をするタイプじゃないんですけど、徐々に自分からも話しかけるようになりました」

時間をかけてわかり合うタイプなのだろう。シャイというよりは、達観しているようにも見える。ただ、感情の起伏がないはずはない。

「自分は試合がどうだったとか、過去をあまり覚えていないんです。ただ、一番記憶に残っているのは、学生時代最後の試合ですかね。春高のベスト8で負けたんですけど、負けたからこそ、逆に記憶に残っているというか。『終わっちゃったんだ』と思って、泣きました。でも、その日に寮に戻ってからは、特別なことはしませんでした。いつもどおりの生活に戻りましたね」

どこか冷めているようにも映るが、ミドルという忍耐力が必要なポジションをブレずにやり続けるためには、適したキャラクターなのかもしれない。自分を"パンク"させず、淡々と武器を研ぎ、最大値を出す。

【大ケガからの復活】「勉強よりも、バレーがしたかったんです」

榊原は少しおどけて高校からトップリーグのチームに入った理由を説明する。しかし、八王子実践高校からJTマーヴェラス(現在の大阪マーヴェラス)に入団を決めるのは、大きな決断だったはずだ。

「自分はバレーをすること以外に夢がないんですよ。だから、『自然とここで生活している』って感じです。やっていて楽しいから続けている。そんな感じですね」

言葉よりも行動こそがモノを言う。彼女が歩んできたバレー人生は揺るがない。そこで聞いた。

――人生で一番、バレーを感じた瞬間は?

榊原は少しだけ思案し、気持ちを吐露した。

「去年、ケガをした瞬間ですかね」

2024年10月に、右膝前十字靭帯断裂、内側側副靱帯損傷という大ケガを負った。

「左膝の状態が悪かったのがよくなってきたタイミングで、右膝をやってしまいました。リーグ開幕前の練習試合で、着地した時に近くにいた選手の足を踏んでしまい、崩れてしまったんです。その日は、病名はわからなかったんですけど、トレーナーは『たぶん、そうだね』と話していて。自分の場合、炎症が大きかったので2カ月は手術ができなかったんですよ」

彼女の口調は落ち着いていた。しかし、前十字靭帯のケガは「全治まで10カ月から1年かかる」とも言われる。再び断裂しないように筋力を増強するなど、とにかくリハビリはきつい。同時に、ケガ前の状態に戻せる保証はなく、心身ともに削られるケガだ。

「最初は松葉杖でしたが、その状態でも座ってボールを触ったり、投げてもらったりしていました。復帰に向けては、最初は思うように動けなくて、『なんで』と焦りましたね。リーグ期間中だったから、(優勝争いをするチームに迷惑をかけないように)あまり感情は出せなかったです」

そして今年10月のアランマーレ山形戦、榊原は復活を遂げた。1年間もコートに立たなかったのは、バレーを始めてから初めてのことだった。

「緊張もありましたけど、『楽しい』という気持ちが勝っちゃいました!」

そう笑顔で語る榊原は、子供のようだった。彼女はバレーにハマっているのだろう。とことん、自分のペースで。

(後編:榊原菜那がミドルブロッカー目線で語った、後ろを任せたい『ハイキュー‼』のリベロは?>>)

【プロフィール】

榊原菜那(さかきばら・なな)

所属:大阪マーヴェラス



2002年3月7日生まれ、静岡県出身。180cm・ミドルブロッカー。小学3年で地元のスポーツ少年団に入り、バレーを始める。中学でミドルブロッカーに転向し、JOCの静岡県選抜に選ばれた。八王子実践に進み、3年時に春高バレーでベスト8に進出した。2020年、JTマーヴェラス(現大阪マーヴェラス)に入団した。

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