【証言・棚橋弘至】鈴木みのるが語る対極のレスラーの功績「あいつはプロレスを男臭いドロドロしたものから、華やかな舞台に変えた」

市川光治(光スタジオ)●構成

【証言・棚橋弘至】鈴木みのるが語る対極のレスラーの功績「あいつはプロレスを男臭いドロドロしたものから、華やかな舞台に変えた」

12月5日(金) 10:00

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【短期連載】証言・棚橋弘至〜鈴木みのるインタビュー(前編)

2012年、東京ドームと両国国技館で行なわれた「棚橋弘至vs鈴木みのる」の2つのビッグマッチ。当時、「プロレスの思想の違い」とぶつけ合った対決だと語られていた。だが鈴木みのるは「思想の違いなんかなかった」と静かに言う。本能と信念と意地が交錯した試合のあと、新日本プロレスの未来を変えるふたりの短い会話とは?

2012年1月4日の東京ドームでのレッスルキングダムVIで鈴木みのる(下)を下し11度目の防衛に成功した棚橋弘至photo by Sankei Visual

2012年1月4日の東京ドームでのレッスルキングダムVIで鈴木みのる(下)を下し11度目の防衛に成功した棚橋弘至photo by Sankei Visual





【一方的な挑発の裏に隠していたメッセージ】 ──鈴木さんと棚橋弘至選手といえば、2012年に大きなシングルマッチを2試合やりましたよね。イッテンヨン(1月4日の東京ドーム)と10月の両国。いずれもメインでIWGPヘビー級選手権。

鈴木 それ、同じ年?

──同じ2012年です。あの時はお互いのプロレスの思想の違いを争ったわけですけど。

鈴木 思想の違い? 今だから言うけど、思想の違いなんかなかったんだよ。

──なかったのですか。当時、鈴木さんの「昔のレスラーが今のプロレスを揶揄するのはおまえのせいだ」「おまえらがやっているのはプロレスごっこだ」という厳しい言葉に、棚橋さんが猛反発したというかなり生々しいやりとりだったと記憶しています。

鈴木 生々しいもなにも、あれはオレから一方的に仕掛けたわけだから。あの時、根底にあったのは「オレの言葉の裏側にあることに気づけ!」だよ。

──言葉どおりに受け取るなよ、と。

鈴木 今のプロレスをバカにする昔のプロレスファンが一定数いて、プロレスのOBとかも「昔はよかったけど、今はさ」なんて言ってるのを聞くたびに、今を生きている人間として許せなかった。だけど、そういった言葉を覆すのはオレひとりの力じゃ無理なんだよ。

だからと言って、事前に棚橋と話したら、それこそ予定調和の違った形の試合になりかねない。もちろん棚橋とは会話をするような仲ではなかったわけだし、それで一方的に「気づいてくれよ」と思って仕掛けたわけだけど、あいつはギリギリまで気づかなかったね。

──鈴木さんの発言にマジギレしていた。

鈴木 でも両国の試合が終わったあと、廊下ですれ違った時に「僕、気づきました」って言ってきたんだよ。だからオレも「うん。オッケー」と、ひと言だけ返した。

──あの日の試合後、そんなやりとりがあったんですね。

鈴木 あった。オレは心の底から現代のプロレスに誇りを持っているし、今、体を痛めて試合をしているのはオレたちなんで、「やめちまったジジイたちが何を言ってんだ!」という気持ちはある。それはOB全員に対して。

いくら有名な人であろうと、どんなにお世話になった人であろうと「うるせえよ」って。過去がすごかったのは知ってるし、オレらはその人たちに憧れてプロレスラーになったから当然わかってる。だからそんな言葉をひっくり返すには、今のプロレスですごいものを見せるしかない。

【棚橋が気づかなければ未来は動かない】 ──今を生きる者同士、棚橋選手にも同じ方向を向いてほしかった、と。

鈴木 あそこであいつが気づかなきゃそれまでだった。プロレスを見て、世の中の人全員が「今が最高」っていう気持ちになってもらわなきゃいけない。けっこう真面目に本気よ、オレ。自己満足や自己陶酔じゃなく、会場でもテレビでもオレのプロレスを見た人全員に「面白かった」って言わせる。そんな目標を常に持ってプロレスをやってる。好みは人それぞれだから全員を納得させるのは難しいって言うけどさ、「全員を納得させてやる」という気持ちはずっとある。

──そんな気概があるからこそ、鈴木さんは世界中どこの国でもプロレスをやれるわけですね。

鈴木 日本のどの団体、海外のどの地域に行っても、オレがパッと入ってきた瞬間に観客全員が「あっ、こいつは悪い奴だ」って、ひと目でわかるってことを自分でも意識してる。だからなんの説明もなく、パッと見た瞬間にその試合の構造がわかるっていうのがオレの強みだと思う。

57歳になった今もリングで存在感を放つ鈴木みのるphoto by Ichikawa Mitsuharu(Hikaru Studio)

57歳になった今もリングで存在感を放つ鈴木みのるphoto by Ichikawa Mitsuharu(Hikaru Studio)



──その対極にいるのが棚橋選手で、出てきた瞬間に「いい奴だ」っていうのがわかります。

鈴木 あいつはヒーローだよ。やっぱりプロレスってひとりじゃできなくて、ふたり、もしくはふたり以上でやるもので、それを観客に届けるんだ。いつまで経っても「昔はさ」って言うおじさんがいっぱいいるけど、そのおじさんが現役の時、オレは若手だったから近くで見てるんだよ。すごかった試合も確かにあるけど、すごくない試合もクソほどあったことを知ってる。だけど記憶は美化されていく。

昔のプロレスファンは「昔のレスラーは全員こういうことができて、ああでこうで」と言う。それは今のプロレスが、自分たちの意図している方向ではないからそう思い込んでるだけ。昔のレスラーのほうがひどいし、今のプロレス界に生きていたら前座にすら出られない選手ばっかりだよ。これは本当の話だ。今のプロレスのレベルは相当高い。オレは過去と現在と両方のプロレスを長い時間かけて見てきているし、やってるからそう言い切れる。

──棚橋選手が体験していない時代のプロレスも鈴木さんは経験しているからこそ、「オレらは負けてねぇんだぞ」というメッセージを送ることができたわけですね。

鈴木 棚橋が最も新日本を象徴する選手であり、日本のトップ中のトップだったんで、あいつが気づかなかったら物事が動かないんだよ。

──棚橋選手が踏ん張って、力を尽くした結果、新しい新日本プロレス像というものをつくったというのは間違いないですか?

鈴木 オレの印象としては「つくろうとしてた......」かな。あいつは「一気に変えちゃおう」みたいな感じで、それこそ道場から猪木さんのパネルを外したり、「そこまでしなくていいのに」っていうぐらい過剰なまでのファンサービスをしたり、とにかくあらゆる手を尽くしてプロレスの人気を取り戻したがっていた。

そんな棚橋に反発した中邑真輔がいて、あいつは自分の好きなようにやった。その対比が面白かったわけで......。でもオレは「まだ何かが足りねえんだよな」とずっと思ってて。そして事が起きた瞬間に「あっ、これだった」って気づいたんだよね。

【最後のピースはオカダカズチカ】 ──足りなかったものはなんだったんですか?

鈴木 これまでプロレス界に誕生したヒーローとかスターって、かならず20代から生まれたんだよ。パンクラスも20代だったオレたちが始めた。UWFも四天王プロレスも20代。ジャイアント馬場、アントニオ猪木ももちろん20代だった。藤波辰爾もそう。だけどあの頃、棚橋も中邑もすでに30歳を超えていて、そこにポンと出てきたのがオカダ(・カズチカ)だった。「あっ、これ」と思った。

オカダが海外から帰ってきていきなり棚橋に勝ってIWGPのチャンピオンになった時、「こんな若造が勝てるわけない」と思っていたお客がシーンとなった光景を見て、オレはハッとした。あの瞬間は控室もざわついて、「なんだ、あの野郎?」みたいな。

──レスラーの間でもざわついていたんですね。

鈴木 みんなピリピリして、まったく祝福じゃなかった。それでオレは「あ、これだ。これ、来るぞ。この団体」って思ったんだよね。足りなかった最後のピースにポコッとオカダがハマった。

──レインメーカー登場によって、新日本は盤石なものになった、と。

鈴木 それは棚橋がいたからこそ、その状況に持っていけたんだけど、みんなに「ああでもない、こうでもない」と言われながらも、新日本の新しいイメージをつくったのはやっぱりあいつだから。

──新日本だけでなく、日本のプロレス界全体の空気を変えたような気がします。アンチテーゼも含めて、確実に他団体にも影響を与えましたよね。

鈴木 棚橋の功績だなと思う。プロレスを男臭いドロドロしたものから、華やかな舞台に変えたんじゃないかな。あいつはやっぱり時代に選ばれた人だよ。オレとかはまったく時代に選ばれてねぇから(笑)。だけど、どの時代にもずっといるから。

──どの時代にも選ばれているんですよ(笑)。

鈴木 ある時、海外のファンから言われたんだよ。向こうでサイン会をしてる時に「オレは日本のプロレスが好きでいろいろ勉強していて、手に入る映像は全部見てる。どの時代を切ってもおまえはずっといるんだけど、いったいおまえは何歳なんだ?」って(笑)。

──アハハハハ。そう思われても不思議じゃないかもですね(笑)。

鈴木 この間も「ものすごく古い猪木の映像を手に入れたんだけど、横でウェアを受け取ってたの、おまえだよな?」みたいな(笑)。

つづく>>



鈴木みのる /1968年6月17日生まれ。神奈川県出身。88年に新日本プロレスでデビュー。新生UWF、プロフェッショナルレスリング藤原組を経て、93年に船木誠勝らとパンクラスを旗揚げ。95年5月、第2代キング・オブ・パンクラス王座に君臨。プロレス復帰後は"世界一性格の悪い男"をキャッチコピーに、独自のストロングスタイルと観客を巻き込む存在感で国内外のリングを席巻。50代後半になった今も衰えぬ闘志と表現力で、プロレス界の"生ける狂気"として名を刻んでいる

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