当時、私は専門学校に通いながらアルバイトに勤しんでいました。そのとき付き合っていた今の夫とは親公認の半同棲生活だったのですが、一度だけ避妊に失敗したことがあり、19歳の秋にその失敗によって、妊娠が判明しました。
学校も残り1年だったため、なかったことにしてしまおうかという考えも頭によぎったのですが、彼と話し合い、出産を決意したのです。
19歳で妊娠、報告すると彼の両親は…
彼の親は猛反対! バッシングに同居の強要
私の親にはひと足先に報告を済ませ、学校は必ず卒業すること、資格も必ず取得することなどを約束し、同意を得ました。その一方で、彼の父親は猛反対です。母親は妊娠をよろこんでくれましたが、父親は違いました。
「子どもをあきらめろ」「片親の奴とは結婚させない」「まだ未熟なのだから同居しなさい」と理不尽なことを言われ続け、私の心は崩壊寸前でした。ですがその後、彼が父親を何度も説得し、結婚や出産を許してもらったのです。それは、19歳という若さゆえの反対だったのだと思います。
お金がないって本当につらい
結婚してからは同居の提案を振り切り、安いアパートに2人で暮らしました。それから夫立ち会いのもと、無事に元気な男の子を出産。そこからの生活は幸せでしたが、お金がないことが本当につらかったのです。当時20歳同士の夫婦がそこまで稼げるわけもなく、私の学生時代のバイト代の貯えを削りながら節約生活に明け暮れていました。
子どもに、かわいい赤ちゃんブランドの服やおもちゃを買ってあげたかったのですが、とりあえず安くてかわいいもので我慢する生活に、泣いてしまう日もありました。けれども、出産を後悔する日は1日もなかったというのが私の本音です。それだけわが子に愛情を感じていたので、これから頑張ろうという気持ちになれました。そして、しばらくしてから私は復学し、無事国家資格を取得したのです。
若いというだけで浮いてしまうことも…
出産から3年後、仕事にも子育てにもやりがいを感じていました。そんななか、健診や子どもの幼稚園行事など、ほかの保護者と関わる機会も多くなっていたのですが、私はどこへ行っても最年少ママ。幼稚園のボスママ的な存在の方に年齢を聞かれたり、「若いね~」とあからさまな嫌味を言われたりすることもありました。
ですが、私を守ってくれたのは仕事です。いわゆる“専門職”であるため、私がどのような仕事をしているか知っているママにはよく相談を受けたり、ワーキングマザーからは「有休ないよね」と話しかけてもらったりと、仕事のおかげで悪目立ちせずに済んだという経験もありました。
若くしての出産で悲しいニュースを目にすることもありますが、「どうすればよりよい生活を送れるかな?」「どうすれば子どもは幸せになるんだろう」と日々考えながら、現在私は2人の子どものママになっています。もちろん大変なことや泣いた日も多かったのですが、あのとき子どもを産んでよかったと、心から思っています。
※人工妊娠中絶は、母体保護法により定められた適応条件を満たしている場合に限り、施行されます。本記事の内容は、母体保護法 第14条 第1項 第1 号「妊娠の継続または分娩が身体的または経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの」に該当します。
著者:菅田ゆうり/女性・主婦。1歳と7歳の男児を育てるワーキングマザー。自身の体験をもとに、妊娠や出産、育児、仕事との両立についての体験談を中心に執筆している。
作画:しおみなおこ
※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています
監修者・著者:助産師 松田玲子 医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
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