迷いなくJリーグ入りを決意したジャン・クルード 未知の横浜で今やチームの人気者に

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迷いなくJリーグ入りを決意したジャン・クルード 未知の横浜で今やチームの人気者に

12月4日(木) 7:00

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Why JAPAN?私が日本でプレーする理由

横浜F・マリノスジャン・クルードインタビュー第3回

今のJリーグでは、さまざまな国からやってきた多くの外国籍選手がプレーしている。彼らはなぜ、日本を選んだのか。そしてこの国で暮らしてみて、ピッチの内外でどんなことを感じているのか。今回は横浜F・マリノスのトーゴ代表MFジャン・クルードに、日本にたどり着いた経緯や、この国の印象を聞いた。

【ACL決勝を観て横浜に興味を抱いていた】2024年6月、ウクライナでのシーズンを終えてトーゴに帰国していたジャン・クルードのもとに、エージェントから1本の電話が入った。

「ジャン、大事な話がある。すぐに折り返してほしい」

個人練習を終えて帰宅したばかりだったジャンは、「何の話だろう?」と訝(いぶか)しみながら電話をかけた。

視線をまっすぐにカメラに向けるジャン・クルードphoto by Shogo Murakami

視線をまっすぐにカメラに向けるジャン・クルードphoto by Shogo Murakami





「オファーがあるんだ。君がどう思うかはわからないけれど......」

思わせぶりなエージェントを、ジャンは「早く教えてくれ。何も問題ないから」と急かす。

「そのオファーは、日本のクラブからのものなんだ」

ジャンはまったく予想していなかった場所から舞い込んできたチャンスに驚いた。アフリカで育ち、中東や東欧でプロサッカー選手としてのキャリアを積んできた20歳の若者にとって、東アジアの日本は行ったことも見たこともない未知の国だった。

そのオファーの送り主が横浜F・マリノスだった。ジャンは迷わなかった。

「昨年の夏はヨーロッパのいくつかのクラブが自分に関心を示してくれて、実際にオファーもあったから選択肢には困っていなかった。家族は『ジャン、ここに行きなさい』とか、『そこが君にとって最善の場所だ』とか、口々に言ってきたけれど、結局のところ彼らが重視していたのはお金のことだった。そんなタイミングでF・マリノスが獲得に動いてくれた。これはいいチャンスだと思ったよ。なぜならアジアのビッグクラブだと知っていたからね」

ジャンがF・マリノスを知るきっかけとなったのは、2024-25シーズンのAFCチャンピオンズリーグ(ACL)決勝だった。対戦相手だったアル・アインはアラブ首長国連邦(UAE)のクラブで、同国内のアル・ナスルでプレーしていたジャンはF・マリノスとの決勝に強い関心を持っていた。

【「ものすごく感動的なパフォーマンス」】「僕はもともとレアル・マドリードとバルセロナが試合をしていても、どちらかを応援するような見方はしない。両チームをフラットに見て、ピッチ上で起こっていることを分析するタイプなんだ。

そうやってACL決勝の2試合を見ていたから、『これは行くしかない』と直感した。F・マリノスはホームでの第1戦で素晴らしい試合をし、第2戦は非常に厳しい展開になって敗れたけれど、ものすごく感動的なパフォーマンスを見せていた。

もしこのクラブでプレーできれば、自分を成長させられるだろうと思った。F・マリノスの環境は、どこよりも自分を助けてくれるんじゃないかと思ったんだ。それに家族がどう言おうが、最終的に決めるのは自分。喧嘩をして家族と話さなくなろうが、何があっても苦しむのは自分なので、すぐF・マリノスと契約することに決めた」

2024年7月、シーズン途中でF・マリノスに加わったジャンは、なかなか出番を得られず苦しんだ。最初の半年間でリーグ戦の出場はわずかに3試合。J1での先発起用は第37節の湘南ベルマーレ戦しかなかった。

それでもジャンに焦りや不安はなかった。トーゴやUAEとは文化も言葉もまったく異なる土地に来て、適応に時間がかかることは承知の上だった。ジャンは振り返る。

「リーグ戦がほとんど終わろうとしているタイミングで加入して、すぐにプレー時間をもらうのは難しいし、チームのカルチャーを理解する時間も必要だった」

出場機会を得たら、ピッチ上でチームのために全力を尽くし、日々の生活や練習には次のシーズンに向けて入念に準備するという考えで臨んだ。

そして迎えた2025年。プレシーズンのキャンプで、当時のスティーブ・ホーランド監督がジャンを常にレギュラー組に入れたことで流れが変わり始めた。21歳になったトーゴ代表MFのポテンシャルを高く評価したイングランド人指揮官は、本職のボランチで使い続けることで本格開花を促す方針だった。

来日2シーズン目には、チームメイトたちとの関係性にも明らかな変化が見られるようになった。加入したばかりの頃はひとりでいることが多く、物静かな印象だったが、徐々にジャン本来のキャラクターを表に出すようになってロッカールームの人気者に。今では仲良し助っ人軍団の末っ子として毎日、笑顔を弾けさせている。

【奇抜なサングラス、巨大なスピーカー】「加入した頃からみんなとはいい関係を築けていたけれど、今はそれがどんどん深まっているのを感じている。僕は仲間がひとりぼっちでいるのを見るのが好きではないから、もし元気のなさそうな選手がいたら声をかけるし、ちょっとからかったり、小突いたりして、少しでも前向きな気分になってもらえるように行動する。

そうすることで誰もが孤独を感じることなく、家族の一員であると感じられると思うんだ。もちろんコーチングスタッフとの関係もいいし、メディカルスタッフのみんなとも最高の関係を築けている。(トレーナーの)日暮(清)さんとは毎日、すれ違うたびに冗談を交わしているよ(笑)」

スタジアム入りの際に奇抜なサングラスをかけてきたり、巨大なスピーカーから爆音を流しながら取材エリアに現れたり、行動は予測不能だ。ジャンを練習場に送迎するなど一緒に過ごす時間の長いトーマス・デンも「あいつの考えていることはよくわからない。突然変なことを言い出すし、何をやるか予想がつかないから面白いよ」と笑っていた。

一方、鈴木冬一は「僕はスイスでもっと強烈なアフリカ人選手たちを見てきているので、ジャンはまだかわいいほう。本当のキャラクターはまだ出しきれていない」と言う。こうやってチームメイトたちから愛されているのは、ジャンが日本で充実した日々を過ごせている証だろう。

今シーズンは前半戦に右ひざを痛めて長期離脱した影響もあり、11月20日時点でリーグ戦は20試合の出場にとどまっている。それでもピッチに立てば驚異的なスピードや圧倒的なボール奪取力で存在感を発揮してきた。

イエローカードが多かったり、簡単なショートパスをミスしたり、長身の割にヘディングが苦手だったりと課題はまだまだ多くあるが、スケールの大きさは誰もが認めるところ。きっかけさえつかめば、Jリーグ屈指の大型ボランチへ一気に飛躍していく可能性を秘めている。

(つづく)

第4回 >>> 「F・マリノスでプレーできることを感謝している」ジャン・クルード、最近のお気に入りは「あさり塩ラーメン」

Jean Claude ジャン・クルード

2003年12月14日生まれ、トーゴ・ロメ出身。14歳で出場したU-17アフリカ・ネーションズカップで注目され、UAEのアル・ナスルのユースに引き抜かれ、そこでプロに。帰化を断ったことでファーストチームに居場所を失い、2023年9月からウクライナのゾリャ・ルハンシクへ期限付き移籍。翌2024年7月に横浜F・マリノスに完全移籍で加入し、驚異的なスピードや鋭い寄せで中盤を引き締めている。



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