▶▶最初から読む▶▶48歳で認知症になった母
学校から帰れば徘徊に出た母を連れ戻し、耳栓をして現実逃避のように勉強…。そんな子ども時代を過ごしたのは、ヤングケアラーだった美齊津康弘(みさいづやすひろ)さん。
お母さんの認知症が発症した当時、小学生だった美齊津さんは、明るく優しかった母が鏡に向かって一人激しく怒る姿を見て戸惑ったといいます。次第に母の病状は進行し、料理や掃除をはじめ、自分の入浴すらもままならない状態に。息子としての使命感、そして友達と同じように学生生活を送りたいという葛藤を抱えながらも、美齊津さんは症状が進行する母の世話に追われる日々を送ることになったそう。
もしも、家族の世話を子どもがせざるを得ない状況になったら? 美齊津さんの経験を知ることは、「ヤングケアラー」について考えるきっかけになりそうです。
※本記事は原案/美齊津 康弘、漫画/吉田 美紀子の書籍『48歳で認知症になった母』から一部抜粋・編集しました。
小学5年生が背負っていた誰にもわかってもらえないという孤独感、人生を変えてしまうほどの壮絶な経験の数々。まず私たちにできることは、そのような「ヤングケアラー」の存在を知ることです。
「母の認知症が進行していくに従い、どんどん不安が大きくなっていきました。今まで頼りになる存在であった母が崩れていくことへの不安、それに伴い自分の生活がこの先どのように変わってしまうのか分からない不安に常に怯えていました。
最初の頃は母の行動や言動を受け止めることができず、『これは夢に違いない。ある日目が覚めたらお母さんは元通りになるはずだ。』といつも考えていました。」と語ってくださった美齊津さん。
美齊津さんが背負っていた、誰にもわかってもらえないという孤独感には胸が締め付けられます。
著=原案/美齊津康弘、漫画/吉田美紀子/『48歳で認知症になった母』
【関連記事】
・
大好きだった優しい母。「異変」に気付いたのはショッピングセンターの出来事だった
・
散らかった部屋で毎日を過ごすだけ。実家に引きこもったまま40歳を迎えた女性/再生のウズメ(1)
・
選んだ服を「どこがいいの」とバカにされる。憧れだった母から全否定されてきた幼少期/家族、辞めてもいいですか?(1)
・
不器用で苦労が多い小学校生活。発達凸凹の小3息子の母親が抱く進学の不安/発達障害っ子の中学受験(1)
・
ガン病棟に若い女性が緊急入院。家族の願いに声を押さえて泣いた夜/続 鼻腔ガンになった話(1)