「両者は、ほぼ同時期にそれぞれ別の場所で生まれたと考えられているんですと語る篠田謙一氏
ひろゆきがゲストとディープ討論する『週刊プレイボーイ』の連載「この件について」。今回から分子人類学者の篠田謙一先生をお迎えして、人類の歴史などについて教えてもらいます。まずは、最近話題のネアンデルタール人について。「われわれの祖先」だと習った方は多いんじゃないですか?
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ひろゆき(以下、ひろ)
今回から新しいゲストをお迎えしてお送りします。国立科学博物館長の篠田謙一さんです。
篠田謙一(以下、篠田)
よろしくお願いします。
ひろ
早速ですが、先生には人類の起源についてお聞きしたいんです。僕が子供の頃は、教科書で「ネアンデルタール人が、われわれホモ・サピエンスに進化した」と習った記憶があるんですよ。
篠田
昔はそう教えられていたのですが、今では違うことがわかっています。
ひろ
え、いつの間にか変わっちゃったんですか(笑)。
篠田
実を言うと、私自身も昔はそういう説もあると教えていました(笑)。でも化石の発掘や年代の研究が進んで、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスは共存していたことがわかってきたんです。
ひろ
新しい発見があって、定説が変わっちゃったんですか。
篠田
そうです。両者が共存していたなら「進化した」とは言えませんよね。ではまず、そのネアンデルタール人とは何者かを簡単に説明しますね。
ネアンデルタール人の化石は1856年にドイツのネアンデル渓谷で見つかりました。でも、当時は「人間は神が創った」というキリスト教の世界観が常識でした。チャールズ・ダーウィンが『種の起源』を発表し、進化論が登場するのが、3年後の1859年ですから。
ひろ
じゃあ、当時は人間が進化したという考え方自体が異端だったわけですね。
篠田
そうです。だから最初にネアンデルタール人の化石が見つかったときは「病気の人の骨」だという説もあったんですよ。発達異常だとか病気で頭蓋骨が変形した現代人だろうと。ですが、その後50年ほどの間にヨーロッパ各地から似た特徴を持つ化石が次々と見つかり、「これは私たちとは別の古代の人類だ」と認識されるようになりました。
ひろ
なるほど。それから、よく「人類発祥の地はアフリカだ」って聞きますけど、それは合っていますか?
篠田
はい。人類の歴史を大まかに整理すると、およそ700万年前にアフリカから始まったと考えられています。そこから200万年前頃までの約500万年間は、アフリカ大陸でしか化石が出てきません。この時代のグループは「猿人」という名前で呼ばれています。
ひろ
よく聞く「アウストラロピテクス」とかですか。
篠田
そうです。ただ、今ではそれより古い時代の猿人のグループも見つかっています。200万年前くらいになると、今度はアフリカ以外のユーラシア大陸でも化石が見つかるようになります。それが「原人」という段階の人類です。代表的なのが、アジアのジャワ原人や北京原人ですね。
そして、その後40万〜30万年前に現れるのが「旧人」と呼ばれるグループで、その代表がヨーロッパのネアンデルタール人です。われわれホモ・サピエンスがアフリカで誕生するのがおよそ30万〜20万年前なので、ほぼ同時期にそれぞれ別の場所で生まれたと考えられているんです。
ひろ
だから、ほぼ同時期に生きていたと。
篠田
はい。だからこそ冒頭の「ネアンデルタール人がホモ・サピエンスに進化した」という説は間違いだったという話になるんです。
ひろ
なるほど。
篠田
ちょっと複雑になりますが、私たちの誕生の経緯を知るために、ここであらためて人類の進化についてお話ししますね。時代はまた少し戻ります。
ひろ
はい。
篠田
200万年くらい前、アフリカにいた「ホモ・エレクトス(原人)」というグループが、初めてアフリカの外へ広がっていきます。
ひろ
おお。
篠田
そして、60万〜30万年前にアフリカとヨーロッパにいた「ホモ・ハイデルベルゲンシス(初期の旧人)」へとつながります。このときにアフリカ以外にいた系統がネアンデルタール人やデニソワ人へと分かれていくんです。
ひろ
デニソワ人っていうのも、最近よく聞く名前ですね。アジアにいた人類でしたっけ。
篠田
そうです。これもおもしろいお話があるので、またの機会にお伝えしますね。そして、アフリカから出ていかず、大陸の中にとどまっていたホモ・ハイデルベルゲンシスの一部が独自に進化して、われわれホモ・サピエンスになっていったと考えられています。
ひろ
なるほど。ネアンデルタール人から僕ら(ホモ・サピエンス)に進化したんじゃなくて、もっと前の共通の祖先(ホモ・ハイデルベルゲンシス)から、それぞれ別の道に進んでいったということなんですね。イメージ的にはネアンデルタール人は兄弟のような関係で、直系の親ではないと。
篠田
そうです。われわれホモ・サピエンスが生まれた30万年前頃の世界がどうなっていたかというと、まずアフリカにはホモ・サピエンスがいました。そしてヨーロッパから西アジア、シベリア西部までの広い範囲にネアンデルタール人がいた。さらに、アジアには北京原人やジャワ原人の子孫やデニソワ人がまだ生きていました。これが、この時代の人類の分布状況です。ですから、われわれホモ・サピエンスが出現した30万年前には、われわれ以外の人類が世界中に住んでいたわけです。
ひろ
すごいですね。ネアンデルタール人だけでなく、地球上にいろんな種類の〝人間〟が同時に存在していたってことですね。でも、今生き残ってるのは僕らホモ・サピエンスだけですよね。なんで兄弟的な存在であるネアンデルタール人はいなくなっちゃったんですか?
篠田
それが大きな謎のひとつなんです。ネアンデルタール人が滅んでしまうのは、諸説ありますが、おおむね4万年くらい前だと考えられています。
そして、ここからが重要なのですが、ヨーロッパに私たちホモ・サピエンスが移動したのが、一番古い痕跡で5万年ぐらい前。つまり、5万年くらい前から約1万年間は両者が共存していた。しかし、その後ネアンデルタール人だけがいなくなったということになります。
ひろ
1万年間も同じエリアにいたんですか!その間に何があったのか、すごく気になりますね。
篠田
「ネアンデルタール人が最終的にどうなったのか」「ホモ・サピエンスとネアンデルタール人の関係性」「ネアンデルタール人がいた所に、どうやってホモ・サピエンスが入っていったのか」といった議論は、今世紀になってから本格的に始まったんです。
ひろ
あ、21世紀になってからなんですね。
篠田
はい。DNA解析の技術が進んだことで、ネアンデルタール人の研究が一気に進みました。そして、驚くべきことに私たちホモ・サピエンスのDNAの中にも、彼らの痕跡が残っていることがわかったんです。つまり、ネアンデルタール人は完全に滅びたわけではなくて、今も私たちの中に生き続けているとも言えるんです。
ひろ
うわ、それはちょっとロマンがありますね。ぜひ次回、続きを教えてください!
篠田
はい。
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■西村博之(Hiroyuki NISHIMURA)
元『2ちゃんねる』管理人。近著に『生か、死か、お金か』(共著、集英社インターナショナル)など
■篠田謙一(Kenichi SHINODA)
1955年生まれ。分子人類学者。国立科学博物館長。主な著書に『人類の起源』(中公新書)、『日本人になった祖先たち』(NHKブックス)など。2026年2月23日まで、東京・上野の国立科学博物館では特別展「大絶滅展」が開催中
構成/加藤純平(ミドルマン)撮影/村上庄吾
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