エムバペの覚醒を間近で見たジェルマンがモナコでのあのシーズンを振り返る「かけがえのないもの」

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エムバペの覚醒を間近で見たジェルマンがモナコでのあのシーズンを振り返る「かけがえのないもの」

11月27日(木) 17:50

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Why JAPAN?私が日本でプレーする理由

サンフレッチェ広島ヴァレール・ジェルマンインタビュー中編

今のJリーグでは、さまざまな国からやってきた多くの外国籍選手がプレーしている。彼らはなぜ、日本を選んだのか。そしてこの国で暮らしてみて、ピッチの内外でどんなことを感じているのか。今回はサンフレッチェ広島のヴァレール・ジェルマンに話を聞いた。華やかなキャリアを持つフランス人アタッカーの横顔に迫る。

【「全般的に日本の方がオーストラリアよりレベルが高い」】2023年の夏、ヴァレール・ジェルマンは初めてフランスを離れ、オーストラリアのマカーサーに加入した。プロデビューしてからそれまでの12シーズンはモナコ、ニース、マルセイユ、モンペリエでプレーし、全公式戦通算で3桁の得点を記録してきた。マカーサーでの1年目も同16得点、2024-25シーズンは半シーズンで同11ゴールと、2シーズン連続で2桁得点をマークしていた。

リーグカップで優勝を果たし、日本でのデビューシーズンにタイトルを獲得したヴァレール・ジェルマン(中央)photo by Masashi Hara/Getty Images

リーグカップで優勝を果たし、日本でのデビューシーズンにタイトルを獲得したヴァレール・ジェルマン(中央)photo by Masashi Hara/Getty Images





ところがサンフレッチェ広島に移ってからは、ここまでJ1で2得点、リーグカップで2得点と計4ゴールのみ(広島でのデビュー戦となったACL2のライオン・シティ・セイラーズ戦で得点したが、出場資格がなかったことが発覚し没収試合に)。その理由をジェルマン本人はどう考えているのだろうか。

「オーストラリアでは最前線の中央を任されることが多かったが、広島ではやや低めを担うこともあるので、それが影響しているかもしれない。そして全般的に、オーストラリアと日本のフットボールを比較すれば、間違いなく日本の方がレベルは高い。テクニックや規律はもちろん、守備の個人戦術と組織戦術が非常に優れているチームもある」

一番厄介だったのは、あのチームだという。

「町田(ゼルビア)のディフェンスには手を焼いた。個々のフィジカルと能力が高く、クロスの対応が実にうまい。さりげなくシャツを掴んだりしてくるように、狡猾さも備えている」

日本で対峙する守備者は想像以上に手強く、ジェルマンの数字は思うように伸びなかった。それでもリーグカップでは湘南ベルマーレとの準々決勝、横浜FCとの準決勝と、勝負どころでネットを揺らし、チームの決勝進出に寄与。柏レイソルとの決勝では、3-1の終盤に投入され、スコアをそのまま維持して、3年ぶり2度目のトロフィーの獲得に貢献している。

「本当に嬉しかった。出番は短かったけど、優勝の瞬間をピッチ上で味わうことができて最高だった。自分にとっては、広島に来て1年目のタイトルだ。決勝には家族も観に来てくれていたから、特別な日になったよ。加入した時に、タイトルを獲得したいと言ったとおりに、それが実現できたんだ。とても良いシーズンになっているよ」

【ファンの記憶に残るモナコの2016-17シーズン】ただジェルマンのキャリアで最高のシーズンといえば、やはり2016-17シーズンとなる。10代のキリアン・エムバペが台頭し始めたモナコでリーグ・アンを制し、チャンピオンズリーグで強大な相手を次々に打ちまかして4強に進出し、欧州中に衝撃をもたらしたあのシーズンだ。

9年前の当時もすでに、ビッグクラブとそれ以外の格差は広がっていて、モナコのような中規模のチームがトッテナム・ホットスパー、マンチェスター・シティ、ボルシア・ドルトムントを次々に倒していく様は痛快だった。しかもそのチームには大物になる前のエムバペやベルナルド・シウバ、ファビーニョらがいて、彼らはその後、トップ中のトップレベルに羽ばたいていった。

そんなおとぎ話のようなシーズンを演じたチームで、時にキャプテンマークを巻き、前線でエムバペやファルカオとコンビを組んでいたのがジェルマンだ。本人の口から、あの時のモナコを振り返ってもらおう。

「いつ思い出してみても、本当に信じられないことが起きたシーズンだったと感じるんだ」と、ジェルマンは遠くを見るような目で話し始めた。

「私はその前のシーズンにニースにローンに出ていて、1年ぶりにモナコに戻っていたのだが、あのシーズンはチームの雰囲気がとてもよく、試合を重ねるごとに強くなっていく実感があった。ポルトガル人のレオナルド・ジャルディム監督は、選手と密にコミュニケーションを取り、控え選手を含め、全体の結束力を高めていた。またエムバペやベルナルド・シウバ、(トマ・)ルマル、ファビーニョをはじめ、ハングリーな選手が多かった。彼らはチャンピオンズリーグという大舞台で、自分の名前を世界中に知らしめようとしていたんだ」

17歳でそのシーズンを迎えたエムバペは、12月に18歳になった後、みるみる本格化していったという。チャンピオンズリーグでは、前半戦のグループステージで3試合計25分の出場にとどまり無得点に終わったが、決勝トーナメントではシティ、ドルトムント、ユベントスとの6試合で6得点を挙げた。

「2017年に入ってから、エムバペは急に覚醒した感があった。2月上旬のリーグ戦で彼と一緒に2トップを組み、エムバペの2カ月ぶりのゴールが決勝点になった。そこを境に、ゴールマシンになった気がする」

【「エムバペの一番の強みは......」】確かに翌節に、エムバペはキャリア初のハットトリックを達成し、その後のチャンピオンズリーグでの爆発につなげている。とてつもないスピードに決定力が備わり始めたのが、その頃だ。18歳とは思えないほどの堂々たるパフォーマンスは、今でもはっきりと思い出せる。

キリアン・エムバペの覚醒のきっかけは、何だったのだろうか──。間近で伝説の始まりを見ていたジェルマンになら、それもわかるかもしれない。

「直接的なものは私にもわからないが、エムバペの一番の強みは、自信にあると思う。18歳の頃から、まったく臆するようなところはなかったし、一度でもゴールを奪ったり、良いプレーができたりすると、さらに動きが鋭くなっていった。あんなに物おじしない10代の選手は、見たことがない。彼の父親は良いコーチのようで、その影響もあるかもしれないね。2度と現れることのない怪物のような選手と同じ目標を持って戦えたあのシーズンは、自分にとってかけがえのないものだよ」

そして現所属先にも、先々が楽しみな選手は少なからずいると、ジェルマンは続ける。

(つづく)

後編 >> ジダンに憧れたジェルマンがストライカーとして活躍できた理由を語る期待するサンフレッチェ広島の若手3人とは?

ヴァレール・ジェルマン Valère Germaim

1990年4月17日生まれ、フランス・マルセイユ出身。元フランス代表のブルノ・ジェルマンを父に持ち、モナコの下部組織からファーストチームに昇格した。2016-17シーズンには当時10代のキリアン・エムバペらと共にリーグアンを制し、チャンピオンズリーグのベスト4に進出。その後、マルセイユ、モンペリエ、マカーサーFC(オーストラリア)を経て、今年2月にサンフレッチェ広島に加入した。

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