「考・体・心・技」を信条とする塩谷司37歳になる彼が最優先する、レジェンドたちが継承してきた広島のDNAとは

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「考・体・心・技」を信条とする塩谷司37歳になる彼が最優先する、レジェンドたちが継承してきた広島のDNAとは

11月26日(水) 10:00

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第9回:塩谷司(サンフレッチェ広島)/後編

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前編◆大学卒業時まで無名だった塩谷司がプロなれたわけ>>

中編◆塩谷司が振り返る、ふたつのターニングポイント>>

2021年10月。古巣・サンフレッチェ広島に4シーズンぶりに復帰した塩谷司にとって、2022年から指揮官に就任したミヒャエル・スキッベ監督の存在は、33歳というキャリアの後半を過ごしていた彼に、サッカーへの新鮮な思いを蘇らせる意義深い出会いになったという。

「プロになってから、スキッベさんほど『サッカーを楽しもう』という言葉を発する監督はいなかったんですけど、それってすごく大事なことだと思うんです。僕を含め、プロになった選手も、子どもの頃はみんなサッカーが楽しくて、うまくなるのがうれしくて必死にボールを追いかけていたはずで、それがイマジネーション豊かなプレーを生んでいたし、"楽しさ"からサッカーの面白さを見出していた。

それはプロになっても同じで、楽しさから見出せること、観ている人に伝わることってたくさんあると思うんです。だからこそ、スキッベさんの言葉にすごく共感したというか。僕自身も常々ファン・サポーターの皆さんに広島のサッカーを楽しんでもらいたいと思っていたからこそ、自分自身もサッカーを楽しもうという思いがより強くなった。

また、スキッベさんが監督であること以前に"友人"だと思えるほど、いい意味で気を遣わなくてもいい存在なのも、僕にとってはすごく大きいです。ふだんからフランクによく話もしますし、僕なりの思いを伝えたり、ディスカッションしたりすることも多いですしね。そういう意味では監督と選手という垣根を越えて、サッカーを共に追求する仲間、友人という感覚で仕事ができる人に巡り会えたのも、(今年で)37歳になる今もピッチで戦えている理由のひとつである気がします」

もっとも、塩谷がその「思いを伝える」のはいつだって、自分のためではなくチームのことを考えて、だ。クラブの強化部長を務める栗原圭介氏も、塩谷に対して「彼はいつもチームのことを第一に考えて発言してくれる」と信頼を寄せる。

その点、塩谷なりの理由はふたつあるという。

「広島に戻ると決めた時から試合に出ても、出られなくても、チームのためにできることは全部やろうと決めていたし、正直、仮に自分が干されたとしても、それでチームがよくなるなら、勝てるならいいやとすら思っています。実際、常々チームがよくなるためには何をすべきか、若い選手がもっと伸び伸びとプレーするにはどう振る舞うべきかを考えているし、それを仲間にも、監督にも伝えています。

これはUAEでの経験も大きかったかもしれません。というのも、海外の選手ってチームで何かを発言する時によくも悪くも歯に衣着せぬというか。『これを言って干されたらどうしよう』とか『仲間に嫌われたらどうしよう』みたいなことをまったく考えないんです。思うことがあれば、自分の考えをまっすぐに伝えるし、相手もそれを当たり前に受け入れる。監督と選手の関係性もすごくフランクで、ただただ、チームをよくするための仲間として意見を交わしています。

もちろんここは日本で、そういった関係性を好む監督ばかりではないのは百も承知です。でも、少なからず、スキッベさんはそういうコミュニケーションを当たり前に受け入れてくれる監督だし、だからチームに風通しのいい雰囲気が流れているんだと思います」

そしてもうひとつは、自身が若い頃から見てきた、リスペクトしてやまない広島のレジェンドたちの姿を今も心に焼きつけているから。いつの時代もレジェンドたちが見せてきてくれた「チームのために戦う」姿は、広島にとってかけがえのないDNAだと塩谷は言う。

「昨年、引退した青さん(青山敏弘コーチ)しかり、歴代の先輩たちは選手としてはもちろん、本当に人として尊敬できる人ばかりでした。彼らはどんな時も『チームのために戦うチームでいよう』という姿を先頭に立って示してきてくれました。

その背中を見て、僕もあんなベテランになりたいと思っていたし、この歳になった今は、その先輩たちが紡いでくれたDNAを自分もしっかり表現したいな、と。それも僕が広島でプレーする責任のひとつだと思っているし、若い選手がまた引き継いでいってくれたらうれしいです」

特に近年はその思いがより強くなっているという。それは、いつかは訪れる"引退"も意識してのことなのか。尋ねたところ「いつか、どころか、ここ数年は引退のことをめっちゃ考えてます」と切り出した。

「変な言い方ですけど、近年はいつやめてもいいなと思いながらサッカーをしていますし、何なら広島に戻ると決めた時には、タイトルをひとつ獲ったらやめてもいいかなと思っていました。そしたら、復帰してすぐの2022年にルヴァンカップを獲れたんです。でも、さすがにまだ体も動いていたし、もうひとつ獲れるように頑張ろうと思っていたらすぐには実現せず......結果、今に至ります(苦笑)。

ただ、近年は動けなくなっている自分も自覚しているので。全盛期だと自覚している2014年頃に比べても、全然動けていない。当時より気持ちの部分はもっとうまくコントロールできるようにはなっている気がしますけど、客観的に自分のプレーを見ると『ああ、無理していないな~』って思います」

思えば、今シーズンもほとんどの試合で先発のピッチに立ってきた塩谷だ。第36節終了時点でリーグ最少失点(26)の守備での貢献はもちろん、機を見た攻撃参加も健在だ。

11月1日のルヴァンカップ決勝を前に「新スタジアムが出来たなかでクラブの発展を考えても、広島にとってこれを獲れるかどうかはすごく大きな意味を持つ」とタイトルへの想いを口にしていた柏レイソル戦でも、フル出場でいぶし銀たるプレーを光らせ、チームの3年ぶりのタイトル獲得に大きく貢献した。それでも――。

「確かに試合には出してもらっていますけど、周りの選手に任せることも増えたし、毎試合『俺、走れないから、みんな走ってよ。大事なところはちゃんとやるから』くらいの気持ちでピッチに立っています。無論、今も自分の全力で戦っていることに嘘はないです。

けど、その大事なところすらついていけなくなったら、それはさすがにやめ時だろうし......。っていう感じで、近年は繰り返し、引退について考えるんですけど、なんせ結論が出ない。3人の子どものうち3番目が今2歳で、その子が僕をサッカー選手だと理解してくれるくらいまでは頑張りたいなと思う自分もいますしね。よく『やり切った』って引退していく選手もいますけど、自分がどうなればやり切った感覚になれるのかもわからない。

広島でキャリアを終えるつもりで帰ってきたけど、じゃあ、仮に広島から『来年は契約しません』と突きつけられたとして、すぐに『じゃあ引退します』となるのか?そこで、もし他のチームからオファーをもらったら、どんな感情になるのかも見えてこない。2022年にタイトルを獲ったら『もうひとつ獲りたい』って欲が出たように、この先また違う欲が出てくるかもしれないし......ってことを堂々巡りで考えています」

ただ、現時点で明らかなのは、これまで過ごしてきたキャリアには微塵も悔いがないこと。そう言い切れるくらい、毎日を懸命に戦ってきたこと。キャリアを通して彼が信条としてきた「サッカー選手は心・技・体ではなく『考・体・心・技』の考えでサッカーと向き合ってきてよかった」ということ。そして、「そう思えている自分は、とても幸せ」だということ。

「選手してはかなりの遅咲きでしたけど、僕なりにいつも自分に何が足りないのかを考えてサッカーと向き合ってきたことに嘘はないです。いつも自分に足りないものを考えて、そこからの逆算で練習をしていたし、子どもの頃から線が細いことを自覚して、体を強くするにはどうすればいいのか、何を食べたらいいのかも常に考えていました。

中学に上がってすぐの頃、練習試合で軽いショルダータックルを食らっただけで吹っ飛んで鎖骨を折った時も、『体を強くしなくちゃいけない』と、当時月1500円のお小遣いを握り締めて栄養の本を買いに行ったのを覚えています。その日から、お母さんに『牛乳と納豆と、豆腐は絶対に冷蔵庫に入れといて』とか、メインのおかずにはこの食材を使ってほしい、みたいなことも偉そうに言っていました(笑)。

大学時代こそ少し心が折れて回り道をしたけど、プロになってからも"考える"ことは常に続けてきました。今になって思えば、単に『サッカーがうまくなりたい!』ではなく『うまくなりたいから、これをしよう!』『どうすればうまくなれるのか』をセットで考えられたことが自分を作ってくれたようにも思います。その習慣が備わっていたから、無名だった僕がここまで長く現役生活を送れてきたのかな、と。

だから......引退も、考えて、考えて、過ごしていたら、そのうち自分なりの結論が出るんじゃないかと思っています。結果、3年くらい経ってもまだやっていたら......その時は、またこの企画で取材に来てください(笑)。もっといい"引退"の考え方を見つけているかもしれないから」

そういえば、ルヴァンカップ優勝を決めた直後。広島在籍1年目となるジャーメイン良は、試合後のインタビューでマイクを向けられ「このクラブに来てプレーするなかで、シオくん(塩谷)や(佐々木)翔くんにタイトルを獲ってほしいという気持ちが強くなった」と話していた。

その言葉を聞く限り、塩谷が見せ続けているチーム最年長としての"背中"は、間違いなく広島のDNAを確かに受け継ぎながら、今もその潮流を強くしている。その事実もまた、彼にとってはこのうえなく幸せなことに違いない。

(おわり)

塩谷司(しおたに・つかさ)

1988年12月5日生まれ。徳島県出身。国士館大学卒業後、2011年に水戸ホーリーホック入り。2012年8月、サンフレッチェ広島に完全移籍。2012年、2013年の連覇、2015年と3度のJ1制覇に貢献した。2014年には日本代表にも呼ばれ、2016年にはオーバーエイジ枠としてリオデジャネイロ五輪出場を果たす。2017年、UAEのアル・アインに完全移籍。2018年のFIFAクラブW杯ではチームを準優勝へと導く活躍を見せた。2021年6月、アル・アインを退団。同年秋、古巣の広島に復帰した。

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