サッカー天皇杯は連覇が非常に難しい大会 その歴史のなか5大会連続で決勝を戦ったチームがある

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サッカー天皇杯は連覇が非常に難しい大会 その歴史のなか5大会連続で決勝を戦ったチームがある

11月26日(水) 7:05

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連載第77回

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今年の天皇杯はFC町田ゼルビアが初優勝。ヴィッセル神戸は昨年からの連覇を逃した。実力伯仲のチームが多い日本においてトーナメント戦である天皇杯の連覇は非常に難しいと言われていて、今回はその歴史を紹介します。

【カップ戦に強い町田と神戸】 「迷信」......。

第105回天皇杯全日本選手権決勝で勝利してFC町田ゼルビアに初タイトルをもたらした黒田剛監督は、直後の監督記者会見で「迷信」という言葉を使った。

第105回天皇杯で優勝したFC町田ゼルビアphoto by Kishiku Torao

第105回天皇杯で優勝したFC町田ゼルビアphoto by Kishiku Torao



青森山田高校監督として国立競技場での決勝を何度も経験してきた黒田監督は、試合前、選手たちに「決勝では15分までに何かが起きる」と伝えたのだという。「選手たちはそれを信じて戦ってくれた。それが6分の先制ゴールにつながった」と黒田監督。

勝利監督なのだから、その「黒田節」を滔々(とうとう)と展開してもよい場面なのだが、そこで「迷信かもしれないが」とバランスを取ってみせるのがこの指導者の面白いところだ。

「国立には魔物が棲んでいる」という言葉にも触れた。

たしかに、こうした言説はある種の「迷信」なのだろう。

決勝戦でそうした事象が発生すると人々は「ああ、やっぱり決勝戦の国立は......」と思い、それが二度、三度と繰り返されると記憶は強化されていく。そして、何事も起こらなかった試合の記憶は忘れ去られる......。

こうして、「迷信」が生まれるのだ。

つまり、「決勝戦では......」的な言説は科学的、統計学的根拠などない「迷信」なのかもしれない。だが、その言説を人々が(とくに当事者である選手たちが)本気で信じていたとしたら、それが彼らのパフォーマンスに影響を与えるのではないか。

いずれにしても、町田の選手たちは試合開始直後から非常に集中していた。「決勝」を何度も経験してきた黒田監督らしい「人心掌握術」の効果だったのだろう。ノックアウト式トーナメントに慣れており、勝利至上主義を否定しない黒田監督がいる限り、町田はこれからもカップ戦に強いチームであり続けそうだ。

一方、「堅守速攻」を掲げるヴィッセル神戸もカップ戦向きのチームと言える。昨年に続いて2年連続で決勝。2019年大会の優勝を含めて、過去7大会で3度も決勝に進出しているのだ。

吉田孝行監督は、カップ戦では思いきったターンオーバーを実施する。リーグ戦とはまったく違うメンバーを起用しながら勝ち上がってくるのはたいしたものだ。そのあたりの手腕も含めて、神戸もカップ戦に強いチームのひとつなのは間違いない。

【実力伯仲のJリーグクラブ】 欧州のいわゆる「5大リーグ」では財政規模の大きなクラブがほぼほぼタイトルを独占している。イングランドのプレミアリーグでは優勝を狙えるクラブはほんの一握り(「レスターの奇跡」という例外はあるが)。スペインのラ・リーガではタイトルは2大クラブが独占している。

それに対して、興亡が激しいのがJリーグだ。「Jリーグは上位と下位の力の差が小さい」と、外国人監督はよく口にする。昨年残留争いに巻き込まれていた柏レイソルは今季優勝争いの渦中にいるし、かつての王者横浜F・マリノスはようやく残留を決めたばかりだ。

そんな実力伯仲のなか、ノックアウト方式のカップ戦を勝ち抜くのは容易ではない。サッカーという番狂わせの多い競技では多少の実力差は戦術的工夫で引っ繰り返せるし、運不運で勝敗が分かれることもある。まして、リーグ戦と並行して、ターンオーバーを使いながら勝ち抜いていくのは簡単なことではないのだ。

1993年にJリーグがスタートして以来、天皇杯で連覇を記録した例は2005年と06年の浦和レッズ、2008年と09年および2014年と15年のガンバ大阪だけしかないのである。

強かったヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)も、最多のタイトル獲得数を誇る鹿島アントラーズも、「黄金時代」と言われたジュビロ磐田も天皇杯連覇は達成できなかった。

だから、過去7大会で3度決勝に進出し、2度の優勝を飾っている神戸はカップ戦に強いチームと言っていいわけだ。

【連覇が難しい天皇杯の歴史】 Jリーグ発足以前も、天皇杯での連覇は難しいことだった。

1964年の東京五輪の翌65年に、日本サッカーの父、デットマール・クラマーコーチの提言によって実業団の強豪8チームが参加して日本サッカーリーグ(JSL)が発足した。サッカー界初の全国リーグだった。そして、開幕の年から東洋工業(現・サンフレッチェ広島)が4連覇を達成した。

ところが、その東洋工業も天皇杯では連覇を達成できなかった。

その後、杉山隆一がいた三菱重工(現・浦和レッズ)や釜本邦茂のヤンマーディーゼル(現・セレッソ大阪)、さらに日立製作所(現・柏レイソル)、古河電工(現・ジェフユナイテッド千葉)などが強化を進め、JSLのタイトルはこれらのチームが占めていた。天皇杯でも、1965年に東洋工業が優勝して以降1974年までの10大会、上記のチームのいずれかが優勝している。だが、「連覇」は一度もなかったのだ。

※(注)文中の開催年は「年度」であり、大会や決勝戦が元日など翌年1月に入ってから行なわれた場合も多い。

状況が大きく変わったのは、1983年に日産自動車(現・横浜F・マリノス)が初優勝してからだった。

その後、1989年までの7大会は日産と読売サッカークラブ(現・東京ヴェルディ)が天皇杯タイトルを独占。それぞれ、一度ずつだが連覇も記録した。

1990年大会は雨中の決勝戦で松下電器(現・ガンバ大阪)がPK戦で日産を下して優勝。日産、読売のタイトル独占を打ち破ったが、翌1991年と92年は再び日産が連覇を飾っている(92年のチーム名は「日産FC横浜マリノス」)。つまり、日産は5大会連続で天皇杯決勝を戦ったのである。

1991年度・第71回大会の天皇杯入場券。歴史絵巻風のビジュアルが取り入れられたのはこの大会から(画像は後藤氏提供)

1991年度・第71回大会の天皇杯入場券。歴史絵巻風のビジュアルが取り入れられたのはこの大会から(画像は後藤氏提供)



この時期にはJSLでも日産と読売の実力は突出していた。1983年から1991/92年シーズンまでの9大会で、読売が5回、日産が2回優勝していたのだ。

1960年代から東洋、三菱、古河などの実業団(系列も含めて同一企業の社員によるチーム)が日本サッカー界をリードしてきたが、1980年代にはその限界も見えてきており、プロ的な経営を取り入れた日産や読売の実力が上回ったのだ。

さらに歴史を遡ってみると、第2次世界大戦前の1936年から40年まで慶應義塾大学が5大会連続で決勝に進出。1938年に宿敵、早稲田に敗れたものの2連覇を2回達成している。1988年から92年までの日産と同じである(1937年、38年は現役学生だけのチームで、他の3大会は現役とOB混成の「慶應BRB」だった)。

だが、当時の日本のトップリーグだった関東大学リーグでは東京帝国大学(現・東京大学)の7連覇や早稲田、慶應の4連覇といった記録があるが、天皇杯では連覇はほとんどない。

とにかく、天皇杯での連覇というのはどの時代でも非常に難しいことなのだ。来シーズン、町田には天皇杯連覇に挑戦してみてほしいし、神戸にとっては3大会連続決勝進出というのも大記録になる。

ところで、今回の天皇杯決勝は入場者が3万1414人しか集まらず物議を醸した。Jリーグ発足後(コロナ禍で入場制限があった2020年を除いて)最低の数字だった。

原因はいろいろ考えられるだろうが、そもそも主催者である日本サッカー協会(JFA)自らが日本代表の国際試合の合間に準決勝を行なうという、天皇杯の権威を失墜させるような行為をしたのだから当然の結果であるとしか言いようがない。

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