東京ヴェルディ・アカデミーの実態
~プロで戦える選手が育つわけ(連載◆第17回)
Jリーグ発足以前から、プロで活躍する選手たちを次々に輩出してきた東京ヴェルディの育成組織。その育成の秘密に迫っていく連載が再スタート。ここからは、同クラブのアカデミーで育った選手たちにスポットを当てていく――。
ジェフユナイテッド千葉で「10番」を背負う横山暁之photo by J.LEAGUE/J.LEAGUE via Getty Images
2025年シーズンのJリーグは、最終盤に突入した。
なかでもJ2は、史上稀に見る大混戦。わずかな勝ち点差にいくつものクラブがひしめき、1節ごとに順位がめまぐるしく入れ替わる。依然、多くのクラブにJ1昇格の可能性が残されたまま、佳境を迎えている。
「藤枝の時にJ2昇格を経験して、昇格するってなんか......、本当に人生が変わるんだなっていうのをめっちゃ実感しているんです。だから、今年はジェフで本当に昇格したいと思っています」
力強い言葉でそう語るのは、ジェフユナイテッド千葉のMF横山暁之である。
今季の千葉は、J2開幕直後からスタートダッシュに成功。シーズン半ばに3連敗を喫するなど、苦しい時期もあったが、第37節終了時点で3位につけ、2009年以来となるJ1昇格を実現しようとしている。
そんな古豪クラブで背番号10を託される横山は、藤枝MYFCでプレーしていた2022年にJ3で2位となり、J2昇格を経験。藤枝の中心選手としてJ2で1シーズンを過ごしたあと、2024年から千葉に加わった。
藤枝でのJ2昇格を「たぶん死ぬ時に思い出す出来事のひとつ」とまで言う横山は、その時の充実感を再び味わうべく、千葉に新天地を求めたのである。
横山が2年前を振り返る。
「シーズンが終わって、早い段階でオファーをもらったということもありましたし、ジェフ以外のクラブからもオファーがあったので迷いはしたんですけど、このフクアリ(フクダ電子アリーナ)で黄色のユニフォームを着てプレーして、自分が点を取る姿、相手を翻弄する姿、お客さんを熱狂させる姿っていうのを想像すると、一番ワクワクしたんです。それでジェフを選びました」
とはいえ、当時の横山にはワクワクと同時に、悔しさがあったことも確かだ。なぜなら、J1クラブからのオファーを待っていた、というのが正直な気持ちだったからである。
しかし、横山はその悔しさを胸に刻んだうえで「あくまでも自分が挑戦者として挑み続ける姿を表現したい」と、千葉での活躍を誓った。
「たとえチームが勝てない時があっても、常にミスを恐れず、ゴールに向かってチャレンジするっていう姿勢を自分は表現したい。それを表現するなかで、結果的にチームの力になって昇格につながればいいなって思っているので。まずは自分らしさとか、自分のギラギラ感みたいなものを一番に考えて表現していきたいっていうふうにはすごく思っています」
だからこそ、「ただチームが昇格すればオッケーなのかって言われると、心のなかではそうじゃなくて......、自分の力で昇格させないといけないんですよ。だから、自分がもっと活躍しなきゃいけないって思っています」と、語気を強める。
横山自身が口にした、「挑戦者としての姿を表現したい」という言葉が示すように、彼は決してエリートと評されるような道を歩んできた選手ではない。
プロサッカー選手としてのスタートは、当時J3の藤枝。アマチュアとしての最終キャリアも、北信越大学リーグの北陸大学だ。大卒選手の活躍が目覚ましい現在のJリーグにおいてもなお、多くのJリーガーを輩出しているとは言い難い大学である。
だがしかし、横山のキャリアをさらにさかのぼると、彼は東京ヴェルディのアカデミーで6年間を過ごしている。
小学校に入る前からヴェルディのサッカースクールに通っていた横山は、中学入学とともにアカデミーに加わると、2009年から2014年までの6年間、クラブユースの名門として知られるヴェルディで腕を磨いた。
横山がユース年代最終学年だった2014年とは、ヴェルディユースが高円宮杯U-18プレミアリーグEASTで9位に終わり、プリンスリーグ関東に降格した年。
すなわち横山は、今年ヴェルディユースが11年ぶりの復帰を果たすまで、"最後にプレミアリーグを戦った世代"のひとりだったのである。
(文中敬称略/つづく)
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