打倒・江川卓に燃えた日々を名将・渡辺元智が振り返る「小細工なしで戦ったからこそ、選抜で初優勝できたのかもしれない」

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打倒・江川卓に燃えた日々を名将・渡辺元智が振り返る「小細工なしで戦ったからこそ、選抜で初優勝できたのかもしれない」

11月23日(日) 17:35

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元横浜高の名将・名参謀が語る江川卓と松坂大輔(後編)

1972年秋の関東大会決勝は、6対0で作新学院が横浜を下し優勝を飾った。作新のエース・江川卓は4安打完封、16奪三振の快投を演じた。だがこの頃、江川が16三振を奪ったくらいでは誰も驚かなくなっていた。

「前日飛ばしすぎたので、抑え気味にいきました」

試合後の江川のコメントを見ると、本人なりに自重して答えているのだろうが、これだけの結果を前にすると、どこか人を食ったようにも響く。江川が「今日は調子がいい」と感じた時には、人智を超えた化け物じみた記録が生まれてしまうということなのか。その恐ろしさに戦慄すら覚える。

横浜高を全国屈指の強豪校へと育て上げた元監督の渡辺元智氏(写真・左)と元部長の小倉清一郎氏photo by Ohtomo Yoshiyuki

横浜高を全国屈指の強豪校へと育て上げた元監督の渡辺元智氏(写真・左)と元部長の小倉清一郎氏photo by Ohtomo Yoshiyuki





【対策など存在しなかった】横浜の監督である渡辺元智は、1998年に春夏連覇を達成した時のエースである松坂大輔と江川についてこう語る。

「松坂なんて、高校2年の明治神宮大会でようやく名前が知られ始めたくらいでしたが、江川は1年生の夏からすでに別格で、選手より先に『とんでもない投手がいる』という噂が耳に入ってきました。

松坂ももちろんすごかったですが、高校時代の江川はそのさらに上をいく別次元のすごさでした。松坂もキレはありましたが、江川のボールは低めからグィーンとホップしてくる。タイミングが合わないし、バットにかすらない。試合中に対策なんてできなかったです」

物理的にホップするボールなど存在しない。それでも江川のボールを見た者は口を揃えて「ホップしている」と言う。渡辺も当時の記憶が蘇ったのか、少し興奮気味に苦笑いを交えながら語り始めた。

「ホップするボールっていうのは、回転数が多い分、球質自体は少し軽くて、当たれば飛んだんじゃないですか......当たれば、ですけどね。それに、縦に鋭くブレーキがかかって落ちるカーブもすごかったですよ。昔でいうドロップですね。

今ならバッティングマシンを150キロにセットしてガンガン打たせればいいんでしょうけど、当時はそんなものないですから。私自身、野球の知識が豊富だったわけでもないですし、走らせようにもランナーが出ないんですから、どうしようもなかったですよ」

今なら、豊富な経験と蓄積した野球理論を駆使すれば、全盛期の江川であっても攻略できるという自負があるだろう。ただあの時代は、真っ向勝負でよかったんだと納得しているようにも思えた。

【江川との対峙が横浜を強くした】「私が携わったなかですごいチームといえば、まず98年の松坂の代、それから94年の紀田(彰一/元横浜ほか)、斉藤(宣之/元巨人ほか)、多村(仁/元横浜ほか)、矢野(英司/元横浜ほか)がいたチーム。そして江川と戦った代です。この代は、サムライという部分ではナンバーワン。翌73年の選抜で初出場・初優勝したんですから。

秋の大会が終わってから、"打倒・江川"を掲げて、毎日ほぼ打撃練習です。私自身、監督として未熟だった最中に江川という巨木が立ちはだかり、なんとかして倒すために選手と共に切磋琢磨しました。それが全国制覇という道につながったと思っています」

当時まだ20代後半だった渡辺は、試合中に具体的な指示を出すことができず、「なんとかしてこい。おまえしかいない」が口癖だったという。選手たちからすれば、「そう言われても......何をすればいいんだよ」と戸惑うしかない。気合いで打てと言われても、江川の球を気合いだけで打てるはずがない。

しかし、どれだけ三振を重ねても、ビビりながら打席に立つのと、気合いを入れて堂々と向かっていくのとでは全然違う。ピッチャーにとって、向かってくるバッターほど嫌な存在はない。

「秋の大会で、小細工なしで戦ったからこそ、選抜で初出場、初優勝を達成できたのかもしれません。あの年は、全国の高校が"打倒・江川"に燃えていた時期でしたから」

【もし高校時代の江川を指導したら...】

渡辺と二人三脚で"常勝横浜"を築き上げた、横浜高校野球部の元部長・小倉清一郎にも、「松坂と江川、どちらがすごかったのか?」と尋ねてみた。

「松坂とは比較にならないですね。当時、東海大一(現・東海大静岡翔洋)のコーチをしていたので、銚子まで江川を見に行きましたし、選抜にも足を運びました。まず、あれほど高めで伸びる真っすぐは見たことがありません。バットにかすりもしないんですよ。

それに、大きくて落差のあるカーブもすばらしかった。ただ、低めの球はほとんどなくて、全部ベルトより上でしたけどね。今のスピードガンだったら、158〜159キロは出ていたでしょう」

アメリカンノックで徹底的に足腰を鍛え上げ、フィールディングや牽制といった技術を細部まで指導し、松坂を"平成の怪物"へと育て上げた小倉でさえ、半ば呆れたような表情でこう語った。

「あれほどの球を持っていたら、低めのコントロールも、シンカーもスライダーも必要ないでしょう。今の時代に投げても、奪三振数は変わらないと思いますよ。松坂はいくら三振が取れるといっても、ある程度強いチームが相手なら10個も取れないことがある。でも江川なら、平均して15、6個は取りますから。文句なしに歴代ナンバーワンです。選抜の時は、ほとんど練習していないって聞いていましたから、本当の実力ではなかったのでしょう」

それでも春の選抜で、江川は4試合通算60奪三振の記録をつくった。この記録は今も破られていない。

続けて小倉は、こう語った。

「ただ、高校での練習量は松坂の半分もやっていなかったでしょうね。もし私の全盛期、まあ50歳くらいの頃に、高校時代の江川を指導できていたら、もっとすごい投手になっていたと思いますよ。松坂を鍛えたような練習をやらせていたら......。まあ江川は、天才なんで練習しなくてもあれだけのものになったんでしょうから。モノが違いますね、ありゃ別格です」

小倉は、高校時代の江川を自分の手で育てることができなかったことを、心底惜しく思っていた。大学、そしてプロでの江川の投球を見ながら、その天賦の才能が無駄に枯れていくようにも感じられ、苛立ちと寂しさが入り混じった思いを抱かずにはいられなかった。

本当に小倉が高校時代の江川を指導していたなら──。それは高校野球だけでなく、日本のプロ野球史そのものをも大きく変えていたかもしれない。たとえ小倉でなくとも、誰かが外野からの余計な圧に屈することなく、計画的に3年間みっちりと鍛え上げていれば......。この時ほど、"たられば"を強く思ったことはなかった。

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